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五章

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 魔導連合会の建物とそれを取り巻くテントや小屋のすぐ近くに、何故か森があった。十数年でこれほどに育つはずはないから、災厄以前からあったのだろう。建物と違って、壊されず、民家などからの延焼もまぬがれたようだ。
 そこに一人で駆け込んで、リズはずるずるとしゃがみ込んだ。走ったせいで、息が苦しい。
 ――逃げてしまった。
 急に駆り立てられた不安は、同じくらい急激に去って行った。あまりの根拠のなさと思い違いに、呆然とする。引っかかっていた違和感は、今になって晴れた。
 師弟に引っ掛かりを覚えたなら、もっと近いところに気付くべきだったのだ。
 リズは既に、彼女たちの名を聞いていた。ランスロットと、エバンスの口から。
 カイのことをはっきりと師匠と呼んでいたし、シュムという名は珍しい。何故すぐに思い出さなかったのか。人の名を覚えているのに慣れているなどと、とんだ思い上がりだ。
「どうしよう…」
 勝手に疑い、勘違いして、逃げ出して。どんなかおをして戻ればいいのかがわからない。戻っていいのかも、わからない。
 いっそ、一人でサマンドラを目指そうかとも思うが、シュムの言葉を思い出すまでもなく危険だろう。いまや確信に近い推測が合っているのなら、護衛との合流もありえない。ランスロットとリードルは捕まっていて、シュムが助けに向かうところだったのだから。
「…来たんだ」
「――サラさん?!」
 しゃがみ込んでいた頭上からの声に、顔は上げたもののすぐに声が出なかったのは、サラの表情が抜け落ちていたからだった。
 はじめて二人きりになった夜もサラは無表情に近かったが、今はそれ以上に感情が見られない。どこか無機質で、眼からさえも何も読み取れない。
 そこに立っているのは、強くて勝気さに憧れた少女ではなく、命を持たない人形のように見えた。
「来ちゃったんだ、お姫様。かわいそう」
 抑揚よくようもなく平淡に。そのままに、リズには聞きなじみのない言葉の羅列られつつむいだ。催眠術をかけられた夜を思い出し、それが呪文と気付いたときには、体が動かなくなっていた。意識ははっきりとしているのに、指一つ動かせない。
「立って。ついて来て」
 リズの意思に関係なく、糸でつられた操り人形のように体が動く。
 サラは、リズが動き出したのを確認するとそれきり、振り返ることもなく森の奥へと歩き出した。迷いなく、足を運ぶ。その後をついていくリズは、ぎこちなく妙な感覚だ。術のせいなのか、妙に体が重く、気持ち悪さもある。
 そのことに気付く程度には、冷静だった。
 気持ち悪さは、一歩ごとに強くなるようだった。動くことさえ辛くなっていくが、身体は一定のリズムで足を交互に動かし続ける。サラを人形のようだと思ったが、これではリズの方が操り人形そのものだ。
 サラに何事なのかと問いただしたくても、口が動かず、声が出せない。
 不意に、サラが足を止めて振り返った。リズの足は、そんなサラに向かって歩み続ける。触れ合うほど近づいてようやく、止まって、というサラの声に従って動きを止める。
「どうします? 上半身だけでも術をきますか?」
 あまりに近くにいるせいで、リズははじめ、その言葉は自分に向けられたのかと勘違いした。だが、一歩引いてリズと距離を取ったサラの視線はリズの後方を見ていて、応える声も背後から聞こえた。
「何故そんなことを」
 すうと、血の気が引いた。
 聞いたことのある、男の声。そう低い声ではないのに、調子が暗いからか重く聞こえる。よく、語尾が消え入っていたのも覚えている。
 陰気、という言葉がぴたりと当てまる男だった。何を楽しみに生きているのか想像もつかないような沈んだ目をしていて、もしかすると魔導師は全てこんなものなのかと思った覚えもある。
「訊きたいことくらいあるでしょうし、そのくらいはしてあげてもいいんじゃないですか?」
「君がそう思うなら好きにすればいい。逃げなければかまわない。私は儀式をはじめるよ」
「はい」
 短く、歌うような文言の後に、ふっと体が軽くなる心地がした。
「座って」
 がくりと、足が勝手に折れて草地にへたり込むように腰を下ろす。衝撃に声がれて、口が動くことに気付いた。手も、衝撃をやわらげるように両脇についている。
 気分の悪さと体のだるさは残り腰から下は動かないが、サラを見上げることはできた。冷えたまなざしは無機質に感じられるが、あざけってもいない。
「ご質問は?」
「サラさん…」
「そう長くは時間を取れないわよ。訊きたいことから口にして。死ぬ理由くらいは知りたいでしょ」
 トン、と胸を突かれた気がした。
 死ぬのかと――すんなりと受け止めてしまった自分がいる。抵抗する気がしないのも取り乱さないのも、何らかの術がかかっているのかもしれないが、何故かそのことに安堵もする。
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