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五章
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閂を下ろし、椅子の一つに腰を下ろしたライルは、深々と溜息を落とした。
「やめてください、あんなところで」
「水を向けたのはそっちでしょ。嫌いかって訊かれたから正直に答えただけなのに、どうしてあたしが責められなきゃいけないの」
「ああそうですね、僕が間違っていました、こんなところであなたの姿を見つけて動転したようです。それで? 腐敗臭まみれのところに現れた理由は何ですか」
「酷いなあ、何度も届け物したり仕事回してあげたりしてるっていうのに」
「押し付けているの間違いでしょう」
ついには、呻き声と大差なくなってしまった。
リズは、いよいよシュムのことがわからなくなってきた。見かけ通りの年齢ではなく、リズよりも年上だとしても、こうも堂々と大きな組織のはずの魔導連合会を悪く言えるものなのか。強大な力を持つものであればあるほど、内輪でだけならともかく、批判は躊躇われるのが実情のはずだ。
エバンスが、成長が止まるのは強い魔力を持つからだと言っていたことを思い出す。
ではシュムは、人よりもずっと強い、そのために組織と一人で対峙できてしまうほどの魔力を持っているのだろうか。どうにも、上手く思い描けない。シュムの言動が、本心からかどうかはともかく、無邪気さの溢れていることが多いからだろう。まるで、外見通りに無垢な子どものように。
数回深呼吸を繰り返し、ライルは、ぐったりとして崩れていた姿勢を正した。
「目的をお訊きします。それと、そちらは?」
カイは無視して、リズだけを掌で指し示す。リズが何か言うよりも早く、シュムが皮肉気に笑った。
「目的は、魔法陣を見せてほしくて。この人が誰かは、知らない方が問題が起こらなくていいと思うよ?」
「…そういうわけにもいきません。まして、魔法陣を見たいと言うのなら」
「せっかくの忠告なのに。ヘル・アダムスを匿ってここまでつれて来たわけじゃないんだからさあ、見なくていいものは見ない方がいいのに」
「駄目です」
「そう。どうする?」
シュムに、こちらはライルに向けるのと違って笑みを含んで問いかけられ、こくりと頷く。出し抜いて出立したのは気まずいが、昨夜、顔を知られていたせいで一通りの説明はしていることもあって、リズとしては黙っている必要も感じない。
むしろ、既にライルと面識があると知られたとき、シュムがどんな反応をするのかが気になるくらいだ。
フードを下ろすと、またライルの目が真ん丸になった。が、すぐに厳しいものに変わる。
「名を、お訊ねしても?」
「…リズです」
知っているはずなのに初対面のふりをするのかと思いながらも、このほんの二日ほどで、エリザベスの名よりも馴染んでしまった名を口にする。考えてみれば、今までは滅多に名を呼ばれることはなく、名乗ることも少なかったのだから、昨日今日で呼ばれて名乗った回数を思えば、当たり前かもしれない。
淡い疑問は、わずかに逡巡した後のライルの言葉に氷解する。
「リードルという名に聞き覚えはありますか?」
ああ、と声を漏らしそうになった。説明をしていたからこそ、ライルはリズがどちらなのか迷ったようだ。エリザベスとしてサマンドラに向かった「リズ」と、「リズ」の記憶を与えられたエリザベスと。
ふりもできるのか、と、何故か一瞬迷ってしまった。
「言ってなかったけど、この人はリーランド孤児だよ。リーランドの民にそれは愚問じゃないかな。リードル・ランスロットは王子だったんだから」
「…。そうですね。少々お待ちください、許可を取ってきます」
「おかしいなあ、そのくらいのことは許可なくやってのけるだけの地位にあったと思ったけど? 何かやらかして、階級下げられちゃった?」
「――失礼、言い誤りました。鍵を取ってくるので、お待ちください」
「鍵置き場、途中じゃない。わざわざ戻ってこなくても、一緒に行った方が早いよ」
ひょいと立ち上がり、シュムが閂を外す。ライルは、渋面ながらもそれに従った。
リズは、それどころではなかった。
ランスロットがリーランドの王子だったというのは、やはりという思いしかない。しかし、その名にリードルまで含まれているのは何故だ。
リードル・ランスロット・リード。
単に、リードルと名が被ったために、そちらを名乗るのをやめただけのことかも知れない。いっそ全く別の名を名乗ってもおかしくはないのだ。それなら、昨夜ライルがしきりにランスロットに「リド」と呼びかけていたのも納得がいく。ランスロットはあの災厄から年を取らず、ライルはそれ以前からの知り合いだったということなのだろう。
その知己を、ライルは追っているのか。親しげに話をしながらも、ランスロットやシュムの話では、おそらくは研究のために。それとも、二人の言うような人体実験ではなく、悪影響はないような観察などを行うつもりなのか。だから、ああも楽しげに接せるのか。
不意に、思いつく。
今、ライルはカイを無視しきっている。昨夜、リードルを見ようともしなかった。もし、そこに共通するものがあるのなら。カイは隠すこともなく魔物で、リードルもそうだとすれば。
ランスロットは、使った禁じられた術は、魔物と寿命や能力を折半するものだといった。その折半した魔物が、リードルなのか。そうだとすれば、名も、もしかすると折半したのかもしれない。
わかったからといってリズが関わるようなものでもないのだが、急にあれこれと推測が繋がって、睡眠だけはたっぷりととったはずの脳が、呼吸困難に陥る。
「やめてください、あんなところで」
「水を向けたのはそっちでしょ。嫌いかって訊かれたから正直に答えただけなのに、どうしてあたしが責められなきゃいけないの」
「ああそうですね、僕が間違っていました、こんなところであなたの姿を見つけて動転したようです。それで? 腐敗臭まみれのところに現れた理由は何ですか」
「酷いなあ、何度も届け物したり仕事回してあげたりしてるっていうのに」
「押し付けているの間違いでしょう」
ついには、呻き声と大差なくなってしまった。
リズは、いよいよシュムのことがわからなくなってきた。見かけ通りの年齢ではなく、リズよりも年上だとしても、こうも堂々と大きな組織のはずの魔導連合会を悪く言えるものなのか。強大な力を持つものであればあるほど、内輪でだけならともかく、批判は躊躇われるのが実情のはずだ。
エバンスが、成長が止まるのは強い魔力を持つからだと言っていたことを思い出す。
ではシュムは、人よりもずっと強い、そのために組織と一人で対峙できてしまうほどの魔力を持っているのだろうか。どうにも、上手く思い描けない。シュムの言動が、本心からかどうかはともかく、無邪気さの溢れていることが多いからだろう。まるで、外見通りに無垢な子どものように。
数回深呼吸を繰り返し、ライルは、ぐったりとして崩れていた姿勢を正した。
「目的をお訊きします。それと、そちらは?」
カイは無視して、リズだけを掌で指し示す。リズが何か言うよりも早く、シュムが皮肉気に笑った。
「目的は、魔法陣を見せてほしくて。この人が誰かは、知らない方が問題が起こらなくていいと思うよ?」
「…そういうわけにもいきません。まして、魔法陣を見たいと言うのなら」
「せっかくの忠告なのに。ヘル・アダムスを匿ってここまでつれて来たわけじゃないんだからさあ、見なくていいものは見ない方がいいのに」
「駄目です」
「そう。どうする?」
シュムに、こちらはライルに向けるのと違って笑みを含んで問いかけられ、こくりと頷く。出し抜いて出立したのは気まずいが、昨夜、顔を知られていたせいで一通りの説明はしていることもあって、リズとしては黙っている必要も感じない。
むしろ、既にライルと面識があると知られたとき、シュムがどんな反応をするのかが気になるくらいだ。
フードを下ろすと、またライルの目が真ん丸になった。が、すぐに厳しいものに変わる。
「名を、お訊ねしても?」
「…リズです」
知っているはずなのに初対面のふりをするのかと思いながらも、このほんの二日ほどで、エリザベスの名よりも馴染んでしまった名を口にする。考えてみれば、今までは滅多に名を呼ばれることはなく、名乗ることも少なかったのだから、昨日今日で呼ばれて名乗った回数を思えば、当たり前かもしれない。
淡い疑問は、わずかに逡巡した後のライルの言葉に氷解する。
「リードルという名に聞き覚えはありますか?」
ああ、と声を漏らしそうになった。説明をしていたからこそ、ライルはリズがどちらなのか迷ったようだ。エリザベスとしてサマンドラに向かった「リズ」と、「リズ」の記憶を与えられたエリザベスと。
ふりもできるのか、と、何故か一瞬迷ってしまった。
「言ってなかったけど、この人はリーランド孤児だよ。リーランドの民にそれは愚問じゃないかな。リードル・ランスロットは王子だったんだから」
「…。そうですね。少々お待ちください、許可を取ってきます」
「おかしいなあ、そのくらいのことは許可なくやってのけるだけの地位にあったと思ったけど? 何かやらかして、階級下げられちゃった?」
「――失礼、言い誤りました。鍵を取ってくるので、お待ちください」
「鍵置き場、途中じゃない。わざわざ戻ってこなくても、一緒に行った方が早いよ」
ひょいと立ち上がり、シュムが閂を外す。ライルは、渋面ながらもそれに従った。
リズは、それどころではなかった。
ランスロットがリーランドの王子だったというのは、やはりという思いしかない。しかし、その名にリードルまで含まれているのは何故だ。
リードル・ランスロット・リード。
単に、リードルと名が被ったために、そちらを名乗るのをやめただけのことかも知れない。いっそ全く別の名を名乗ってもおかしくはないのだ。それなら、昨夜ライルがしきりにランスロットに「リド」と呼びかけていたのも納得がいく。ランスロットはあの災厄から年を取らず、ライルはそれ以前からの知り合いだったということなのだろう。
その知己を、ライルは追っているのか。親しげに話をしながらも、ランスロットやシュムの話では、おそらくは研究のために。それとも、二人の言うような人体実験ではなく、悪影響はないような観察などを行うつもりなのか。だから、ああも楽しげに接せるのか。
不意に、思いつく。
今、ライルはカイを無視しきっている。昨夜、リードルを見ようともしなかった。もし、そこに共通するものがあるのなら。カイは隠すこともなく魔物で、リードルもそうだとすれば。
ランスロットは、使った禁じられた術は、魔物と寿命や能力を折半するものだといった。その折半した魔物が、リードルなのか。そうだとすれば、名も、もしかすると折半したのかもしれない。
わかったからといってリズが関わるようなものでもないのだが、急にあれこれと推測が繋がって、睡眠だけはたっぷりととったはずの脳が、呼吸困難に陥る。
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