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四章
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「お姫様も大変だねえ」
のんびりと口にしながらも、シュムの手はてきぱきと動いている。
カイが集めてきた木切れを組み、道具も呪文もなしに、火をともす。その上に鍋をかけ、何やら煮込みはじめた。徐々に、いい匂いが漂いはじめる。
シュムに問われるままに「リズ」として話をしていたリズは、ほぼ一睡もしていない上に歩き通しだったせいでぼんやりとして、一瞬、自分のことを言われたかと思ったが、今の時点ではそうではないと気付いて、急いで肯きを落とす。
「そうですね」
「まあ、どこの誰にだって苦労はあるものだけど。苦労がなさそうって思われるところが面倒なんだよね、上の方の人たちは」
「…どなたかお知り合いが?」
「まあね」
穏やかに笑う目は、また遠くを見ている。今はいない人なのかもしれない。
ふっと瞬きをして、シュムは表情を切り替えた。焚き火の炎を照らし返して、子どものように好奇心をたたえた目を向けてくる。
「明日はどうしよう? 城跡自体は連合会が囲ってるんだけど、入れないことはないよ。見たい?」
何でもないことのように言うが、十年以上も独占している場所に、そうやすやすと踏み入れるものなのか。
今リズたちは、元リーランドの城下街の一歩手前といった集落跡で野営を決め込んでいる。急げば夜が降りきるまでに間に合いそうだったのだが、朝の方が紛れやすいとのことでこうなった。
「まあ、見たって何もないけど。お城は見事に吹っ飛んでて、ヘル・アダムスがこつこつと掘り込んだ魔法陣もちょっと崩れてるし。観光できるようなものは何もないよ」
「シュム」
「ん。ありがと」
いい匂いを漂わせていたスープを注いだ器を、カイがそれぞれに回していく。それをきっかけに、疲れたから、と、小屋の中で寝ているはずのサラを呼びに行く。
「サラさん、起きられますか? …サラさん?」
いるはずの場所に見当たらない。話し声がうるさくてもっと奥に入ったのかと探すが、見つからない。
「シュムさん、サラさんがいません!」
「あー、うん」
「あの女なら、そこに入ってそのまま抜けて出て行ったぞ」
「え?」
いくらか気まずげに目を逸らすシュムと、何でもないことのように言うカイとに、知らなかったのは自分だけなのだと気付く。スープの器も、三つしか用意されていない。
「…どうして…?」
「さあ、それは。とりあえず、食べて寝たほうがいいよ。ふらふらしてる」
促されるままに、口をつける。あたたかく、身体に染み入るようだった。
元々、サラには好かれていなかった。仕方がないと思っていた。おまけに、一度は置いて行こうとしている。それでも追いかけてきてくれたのは、リズをではなくランスロットをだろう。リズだけなら、一緒にいる意味もない。
そうは思っても――逃げるように去られて、落ち込んでいる。
自分勝手だと、自嘲が込み上げてきた。
人に頼って、甘えてばかりで、「リズ」にだって、だから好かれてはいないのだろう。もしかすると、そのせいでこんなことになったのかも知れない。裏切られたのではなく、見捨てられたのではないか。
「リズ? 食べながら寝るのは危ないよ、先に休む?」
気付けば、ずいぶんと器と顔が近い。
「…大丈夫、です」
「慣れてないんだし、休めるうちに休んどいたほうがいいよ。あたしたちは、手伝えても代わりはできないんだから」
「いえ、本当に大丈夫です。すみません、これ頂いたら、休ませていただきますね」
「うん。きっと明日も大変だから、しっかり眠って動けるようにね」
「はい」
頷いて、スープの温かさと塩の利いた味を感じながら、思考はとろりとたゆたう。
カイもシュムも、さっぱり得体が知れない。青年の姿をした魔物と年を取らない少女の組み合わせ。青年は言葉すら少なく、よくわからない。少女は、旅慣れていて、呪文もなく火を起こせる。
ランスロットであれば、警戒して距離を置いただろうか。リズは、流されるように全てを任せきりにしてしまっている。
例えば、シュムたちが襲ってきた男たちのようにリズをどこかに売り払うために助けたのだとしても、逆らうこともできずに売られてしまうだろう。そんな風には思えないが、リズには、自分の人を見る目などまったく信用ができない。
比べ、磨けるほどに人と関わることはなかった。そしてリズの前に現れた誰もが、先に、誰かの手によって選別されている。たった一人の友人と思いたがっている「リズ」さえ、巻き込み縋ったランスロットとリードルでさえ、リズではない誰かが振るいにかけた後の出会いだ。
目隠しをして、歩いているのだろう。そして、そのことを言いわけにしている。見えていないのだからわからないと、自分ではない誰かのせいだと。本当は、自由な両手でその目隠しを外せることを知りながら。
「まったく、何やってんだかあいつら。とっとと捕まえちゃえばいいのに」
「何かは知らないが、あっちはあっちで大変なんだろう」
声が聞こえた。リズが眠っていると思っているようで、実際ほとんど眠っているようなものでまぶたも上がらず、声だけが聞こえてくる。
心なし、リズが起きていたときよりも口調がくだけている。遠慮した様子は感じられなかったが、それでも他人がいると違うのだろう。
「甘いねえ、カイは。甘いついでに、リズを運んであげて」
「火の近くのほうがよくないか?」
「この気候だし、床があるほうがマシじゃない?」
「…シュムだって甘い」
「まさか。お姫様に途中で倒れられるのは勘弁してほしいってだけだよ。あ、夜中に掻っ攫われても厭だから、表の火の番と裏と、交代ね。先に睡眠どうぞ」
溜息と共に、軽々と体が持ち上げられた。
声が出た、と思ったが、シュムたちに変化がないということは出なかったのだろう。思った以上に眠っているのかもしれない、とリズは思う。それとも、既に夢の中だろうか。
「ランスロットたちが来たら、叩き起こせばいいのか? いきなり戦闘はやめろよ」
何故その名が出るのだろうと、沈みかける意識が疑問を浮かべる。知り合いなのか。そういえばランスロットも成長が止まっていると言っていたから、そんなギルドもあるのかもしれない。
だが、それなら戦闘とは穏やかではない。
「んー。とりあえず見送ってみる?」
「悪魔か」
「それはカイだよね?」
無邪気な少女の声。それを聞きながら、沈みきる寸前で、ひとつの推測がひらめく。
もしかして――敵。
すっかり意識の沈みきったリズが次に浮上したときには、小屋の中で毛布に包まっていた。そうして、シュムとカイに対して、何かを思いついた気はしたのにそれが何だったのか、思い出せずにいた。
のんびりと口にしながらも、シュムの手はてきぱきと動いている。
カイが集めてきた木切れを組み、道具も呪文もなしに、火をともす。その上に鍋をかけ、何やら煮込みはじめた。徐々に、いい匂いが漂いはじめる。
シュムに問われるままに「リズ」として話をしていたリズは、ほぼ一睡もしていない上に歩き通しだったせいでぼんやりとして、一瞬、自分のことを言われたかと思ったが、今の時点ではそうではないと気付いて、急いで肯きを落とす。
「そうですね」
「まあ、どこの誰にだって苦労はあるものだけど。苦労がなさそうって思われるところが面倒なんだよね、上の方の人たちは」
「…どなたかお知り合いが?」
「まあね」
穏やかに笑う目は、また遠くを見ている。今はいない人なのかもしれない。
ふっと瞬きをして、シュムは表情を切り替えた。焚き火の炎を照らし返して、子どものように好奇心をたたえた目を向けてくる。
「明日はどうしよう? 城跡自体は連合会が囲ってるんだけど、入れないことはないよ。見たい?」
何でもないことのように言うが、十年以上も独占している場所に、そうやすやすと踏み入れるものなのか。
今リズたちは、元リーランドの城下街の一歩手前といった集落跡で野営を決め込んでいる。急げば夜が降りきるまでに間に合いそうだったのだが、朝の方が紛れやすいとのことでこうなった。
「まあ、見たって何もないけど。お城は見事に吹っ飛んでて、ヘル・アダムスがこつこつと掘り込んだ魔法陣もちょっと崩れてるし。観光できるようなものは何もないよ」
「シュム」
「ん。ありがと」
いい匂いを漂わせていたスープを注いだ器を、カイがそれぞれに回していく。それをきっかけに、疲れたから、と、小屋の中で寝ているはずのサラを呼びに行く。
「サラさん、起きられますか? …サラさん?」
いるはずの場所に見当たらない。話し声がうるさくてもっと奥に入ったのかと探すが、見つからない。
「シュムさん、サラさんがいません!」
「あー、うん」
「あの女なら、そこに入ってそのまま抜けて出て行ったぞ」
「え?」
いくらか気まずげに目を逸らすシュムと、何でもないことのように言うカイとに、知らなかったのは自分だけなのだと気付く。スープの器も、三つしか用意されていない。
「…どうして…?」
「さあ、それは。とりあえず、食べて寝たほうがいいよ。ふらふらしてる」
促されるままに、口をつける。あたたかく、身体に染み入るようだった。
元々、サラには好かれていなかった。仕方がないと思っていた。おまけに、一度は置いて行こうとしている。それでも追いかけてきてくれたのは、リズをではなくランスロットをだろう。リズだけなら、一緒にいる意味もない。
そうは思っても――逃げるように去られて、落ち込んでいる。
自分勝手だと、自嘲が込み上げてきた。
人に頼って、甘えてばかりで、「リズ」にだって、だから好かれてはいないのだろう。もしかすると、そのせいでこんなことになったのかも知れない。裏切られたのではなく、見捨てられたのではないか。
「リズ? 食べながら寝るのは危ないよ、先に休む?」
気付けば、ずいぶんと器と顔が近い。
「…大丈夫、です」
「慣れてないんだし、休めるうちに休んどいたほうがいいよ。あたしたちは、手伝えても代わりはできないんだから」
「いえ、本当に大丈夫です。すみません、これ頂いたら、休ませていただきますね」
「うん。きっと明日も大変だから、しっかり眠って動けるようにね」
「はい」
頷いて、スープの温かさと塩の利いた味を感じながら、思考はとろりとたゆたう。
カイもシュムも、さっぱり得体が知れない。青年の姿をした魔物と年を取らない少女の組み合わせ。青年は言葉すら少なく、よくわからない。少女は、旅慣れていて、呪文もなく火を起こせる。
ランスロットであれば、警戒して距離を置いただろうか。リズは、流されるように全てを任せきりにしてしまっている。
例えば、シュムたちが襲ってきた男たちのようにリズをどこかに売り払うために助けたのだとしても、逆らうこともできずに売られてしまうだろう。そんな風には思えないが、リズには、自分の人を見る目などまったく信用ができない。
比べ、磨けるほどに人と関わることはなかった。そしてリズの前に現れた誰もが、先に、誰かの手によって選別されている。たった一人の友人と思いたがっている「リズ」さえ、巻き込み縋ったランスロットとリードルでさえ、リズではない誰かが振るいにかけた後の出会いだ。
目隠しをして、歩いているのだろう。そして、そのことを言いわけにしている。見えていないのだからわからないと、自分ではない誰かのせいだと。本当は、自由な両手でその目隠しを外せることを知りながら。
「まったく、何やってんだかあいつら。とっとと捕まえちゃえばいいのに」
「何かは知らないが、あっちはあっちで大変なんだろう」
声が聞こえた。リズが眠っていると思っているようで、実際ほとんど眠っているようなものでまぶたも上がらず、声だけが聞こえてくる。
心なし、リズが起きていたときよりも口調がくだけている。遠慮した様子は感じられなかったが、それでも他人がいると違うのだろう。
「甘いねえ、カイは。甘いついでに、リズを運んであげて」
「火の近くのほうがよくないか?」
「この気候だし、床があるほうがマシじゃない?」
「…シュムだって甘い」
「まさか。お姫様に途中で倒れられるのは勘弁してほしいってだけだよ。あ、夜中に掻っ攫われても厭だから、表の火の番と裏と、交代ね。先に睡眠どうぞ」
溜息と共に、軽々と体が持ち上げられた。
声が出た、と思ったが、シュムたちに変化がないということは出なかったのだろう。思った以上に眠っているのかもしれない、とリズは思う。それとも、既に夢の中だろうか。
「ランスロットたちが来たら、叩き起こせばいいのか? いきなり戦闘はやめろよ」
何故その名が出るのだろうと、沈みかける意識が疑問を浮かべる。知り合いなのか。そういえばランスロットも成長が止まっていると言っていたから、そんなギルドもあるのかもしれない。
だが、それなら戦闘とは穏やかではない。
「んー。とりあえず見送ってみる?」
「悪魔か」
「それはカイだよね?」
無邪気な少女の声。それを聞きながら、沈みきる寸前で、ひとつの推測がひらめく。
もしかして――敵。
すっかり意識の沈みきったリズが次に浮上したときには、小屋の中で毛布に包まっていた。そうして、シュムとカイに対して、何かを思いついた気はしたのにそれが何だったのか、思い出せずにいた。
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