9 / 43
二章
1
しおりを挟む
森を抜けた街は、ヒース山脈の玄関の役割も果たしている。ヒース山脈は幅く、回り込むよりは、連なる山と山の間を抜けた方が早い。
そして、おそらくは一番低いだろう場所を登るのに適している場所にあるのが、この街だ。
山を越えるにはこの街で装備を整える必要があり、そのために、都市部ほどとまではいかなくとも、にぎわっている。商店や屋台が立ち並び、宿屋も何軒もある。そのどれもに人が集まっているのだから、十分に繁盛しているといえる。
とりあえず宿の一室を確保したリズらは、食堂で額を寄せ合っていた。
「さて、訊きたいことはあるか?」
「あります。…けど、その前に、あの、…見つかりません?」
「え? ナニに?」
焼き菓子をほおばりながら能天気に見つめてくるリードルに、リズは、思わずランスロットを見た。こちらは、度の強い酒と申し訳程度のつまみを前にしている。
ランスロットはグラスを傾けながら、優雅に肩をすくめた。
「これだけ人がいれば、少しくらい――」
「きゃあぁっ、ランス様! やだっ、こんなところでお会いできるなんて! ああもうこれって運命だわ、ランス様と私は、結ばれる運命にあるのよ! きゃっ、言っちゃった!」
「…ごめん、俺が間違ってた」
横合いから飛び出してきた少女にがっちりと抱きつかれ、ランスロットは、今まで聞いたことのない弱々しい声で呟いた。表情が見るからに引きつり、視線も泳いでいる。決して、黄色い声を上げて抱きついている少女の方だけは見ようとしない。
リズは呆気に取られながら、少女の意識が全く自分に向いていないと判ると、しげしげとその少女を見つめた。
下ろしたら背中にも届きそうなくらいの赤毛を、二つに分けて高い位置でくくっている。大きなパッチリと開いた眼は琥珀色をしていて、見つめられたランスロットは、必死に眼をそらしている。リズとそう変わらない年齢に見える。十代の半ばほどだろうか。
服は、動きやすそうなものの、明らかに飾りのみと思われる装飾も多い。お嬢様の野外服といった感じだろうか。腰には、申し訳程度の短刀がある。こちらは、使い込まれていた。
唐突に、ランスロットが立ち上がった。抱きついていた少女が、少し慌てたように体勢を立て直す。それでも離れないのは、手を離せば逃げると思うからか。
「あと、頼む」
「はーい」
明るい返事は、当然リードルで。
少女を連れて去っていったランの背中を、リズはただただ呆然と見送った。たっぷりと間を置いてから、強張ったような首を動かし、リードルを見る。
「飲む?」
「い、いえ…」
立ち去ったランスロットのグラスをすかさず手にしていたリードルが、リズの視線に気付いて掲げて見せた。リズはゆっくりと首を振って、ぬるくなったお茶を口にした。
「とりあえず、飲んだら部屋行こっか。ランみたいに、いつ見つかるかわからないし。説明とかはランのがいいんだけど、まあ、おれでガマンして」
軽い口調で言って、ついでにちゃっかりと、更なる焼き菓子の追加をたのんでいる。部屋に持って行こう、と、とてつもなく無邪気に微笑む。
焼き菓子と共に移動を済ませると、リードルはまず、外開きの窓を開けた。それなのに、景色を見下ろすことはせず、窓からは見えないだろう位置にリズを座らせる。
「…?」
「ああ、これ? 窓あけてるほうが、そとの声きこえるから。で、そっちはなるべく姿みられないほうがいいし。ホーランドは、オウゾクがけっこーヒトマエに出るクニだからなー」
「他は違うの?」
ランスロットに対してよりも身構えないのは、リードルが今までリズに概ね優しかったためと、子どものように振舞うところがあるからだろう。
リードルは、早速菓子をつまみながら頷く。
「何かのギョージのときにすっごく遠くにちょっとだけ姿みせるとか、王と王妃とあとつぎだけは出るけど、他のこどもはヨメ入りやムコ入りで出ていくときさえカオも見せないってこともあるし。あんまり、クニの大小はカンケーないらしいよ。そういうところは大体、コクミンなんて働きアリくらいにしか思ってないって」
「…ホーランドは、そんなことないわ」
「だろうね。だから、フシギなんだよ」
「え?」
「そんなクニが、だまして戦争なんてするかな?」
「それは――…」
何か言おうとして、しかし、リズは黙り込んでしまう。確かにその通りだ。
溺愛していた末姫を失った悲しみからとしても、亡くなってから出立までは、たっぷりと時間があった。考え直す時間は、十分とまではいわなくてもあっただろう。それとも、それですら実行してしまうほどに、狂気に駆られているのか。
リズが黙り込むと、リードルが菓子をかじる音と、窓の外のざわめきが聞こえた。
「まあそのへんは、いりくんでるからランが戻ってからってことで。おれほんと、考えるのむいてないんだよねー」
「そ、それでいいの…?」
「そういうのランが好きだし。えっとほら、炭は炭焼きに、肉は肉屋に」
笑っているが、そこまでばっさりと放棄できるのは、いっそすがすがしいが下手をしたらただの大愚者だ。いくら相棒とはいえいつか別れることもあるかもしれないのに、それでいいのかと全く他人のリズですら危ぶんでしまうが、本人は、いっかな気にする様子はない。
「とりあえず、ランが戻ってくるまでに、おれでこたえられるだけの質問にはこたえるよ」
「さっきの子、何?」
「ああ、サラ。やいてる?」
「どうして?」
悪童のように笑ったリードルに、逆にリズが訊き返す。リードルは、眼を丸くしたかと思うと瞬きを繰り返し、うわー嫌われてるよりむごいなーと呟いた。
そして、気を取り直したように座りなおす。
「サラは、なんでも屋やってるんだ。前に知りあって、ランにヒトメボレして。モヤシとダルマがおれたちのおっかけ一位と二位だとしたら、四位くらいかな」
「…三位は?」
追っかけって、とリズは突っ込みたかったが、脱線しそうでやめておく。が、あまり変わらなかった気がする。そもそも、質問が初めから迷走していた。
そこに、一言。
「馬鹿王子」
「…わかった。わからないけど、とりあえずわかったことにしておくわ」
「えー?」
そして、おそらくは一番低いだろう場所を登るのに適している場所にあるのが、この街だ。
山を越えるにはこの街で装備を整える必要があり、そのために、都市部ほどとまではいかなくとも、にぎわっている。商店や屋台が立ち並び、宿屋も何軒もある。そのどれもに人が集まっているのだから、十分に繁盛しているといえる。
とりあえず宿の一室を確保したリズらは、食堂で額を寄せ合っていた。
「さて、訊きたいことはあるか?」
「あります。…けど、その前に、あの、…見つかりません?」
「え? ナニに?」
焼き菓子をほおばりながら能天気に見つめてくるリードルに、リズは、思わずランスロットを見た。こちらは、度の強い酒と申し訳程度のつまみを前にしている。
ランスロットはグラスを傾けながら、優雅に肩をすくめた。
「これだけ人がいれば、少しくらい――」
「きゃあぁっ、ランス様! やだっ、こんなところでお会いできるなんて! ああもうこれって運命だわ、ランス様と私は、結ばれる運命にあるのよ! きゃっ、言っちゃった!」
「…ごめん、俺が間違ってた」
横合いから飛び出してきた少女にがっちりと抱きつかれ、ランスロットは、今まで聞いたことのない弱々しい声で呟いた。表情が見るからに引きつり、視線も泳いでいる。決して、黄色い声を上げて抱きついている少女の方だけは見ようとしない。
リズは呆気に取られながら、少女の意識が全く自分に向いていないと判ると、しげしげとその少女を見つめた。
下ろしたら背中にも届きそうなくらいの赤毛を、二つに分けて高い位置でくくっている。大きなパッチリと開いた眼は琥珀色をしていて、見つめられたランスロットは、必死に眼をそらしている。リズとそう変わらない年齢に見える。十代の半ばほどだろうか。
服は、動きやすそうなものの、明らかに飾りのみと思われる装飾も多い。お嬢様の野外服といった感じだろうか。腰には、申し訳程度の短刀がある。こちらは、使い込まれていた。
唐突に、ランスロットが立ち上がった。抱きついていた少女が、少し慌てたように体勢を立て直す。それでも離れないのは、手を離せば逃げると思うからか。
「あと、頼む」
「はーい」
明るい返事は、当然リードルで。
少女を連れて去っていったランの背中を、リズはただただ呆然と見送った。たっぷりと間を置いてから、強張ったような首を動かし、リードルを見る。
「飲む?」
「い、いえ…」
立ち去ったランスロットのグラスをすかさず手にしていたリードルが、リズの視線に気付いて掲げて見せた。リズはゆっくりと首を振って、ぬるくなったお茶を口にした。
「とりあえず、飲んだら部屋行こっか。ランみたいに、いつ見つかるかわからないし。説明とかはランのがいいんだけど、まあ、おれでガマンして」
軽い口調で言って、ついでにちゃっかりと、更なる焼き菓子の追加をたのんでいる。部屋に持って行こう、と、とてつもなく無邪気に微笑む。
焼き菓子と共に移動を済ませると、リードルはまず、外開きの窓を開けた。それなのに、景色を見下ろすことはせず、窓からは見えないだろう位置にリズを座らせる。
「…?」
「ああ、これ? 窓あけてるほうが、そとの声きこえるから。で、そっちはなるべく姿みられないほうがいいし。ホーランドは、オウゾクがけっこーヒトマエに出るクニだからなー」
「他は違うの?」
ランスロットに対してよりも身構えないのは、リードルが今までリズに概ね優しかったためと、子どものように振舞うところがあるからだろう。
リードルは、早速菓子をつまみながら頷く。
「何かのギョージのときにすっごく遠くにちょっとだけ姿みせるとか、王と王妃とあとつぎだけは出るけど、他のこどもはヨメ入りやムコ入りで出ていくときさえカオも見せないってこともあるし。あんまり、クニの大小はカンケーないらしいよ。そういうところは大体、コクミンなんて働きアリくらいにしか思ってないって」
「…ホーランドは、そんなことないわ」
「だろうね。だから、フシギなんだよ」
「え?」
「そんなクニが、だまして戦争なんてするかな?」
「それは――…」
何か言おうとして、しかし、リズは黙り込んでしまう。確かにその通りだ。
溺愛していた末姫を失った悲しみからとしても、亡くなってから出立までは、たっぷりと時間があった。考え直す時間は、十分とまではいわなくてもあっただろう。それとも、それですら実行してしまうほどに、狂気に駆られているのか。
リズが黙り込むと、リードルが菓子をかじる音と、窓の外のざわめきが聞こえた。
「まあそのへんは、いりくんでるからランが戻ってからってことで。おれほんと、考えるのむいてないんだよねー」
「そ、それでいいの…?」
「そういうのランが好きだし。えっとほら、炭は炭焼きに、肉は肉屋に」
笑っているが、そこまでばっさりと放棄できるのは、いっそすがすがしいが下手をしたらただの大愚者だ。いくら相棒とはいえいつか別れることもあるかもしれないのに、それでいいのかと全く他人のリズですら危ぶんでしまうが、本人は、いっかな気にする様子はない。
「とりあえず、ランが戻ってくるまでに、おれでこたえられるだけの質問にはこたえるよ」
「さっきの子、何?」
「ああ、サラ。やいてる?」
「どうして?」
悪童のように笑ったリードルに、逆にリズが訊き返す。リードルは、眼を丸くしたかと思うと瞬きを繰り返し、うわー嫌われてるよりむごいなーと呟いた。
そして、気を取り直したように座りなおす。
「サラは、なんでも屋やってるんだ。前に知りあって、ランにヒトメボレして。モヤシとダルマがおれたちのおっかけ一位と二位だとしたら、四位くらいかな」
「…三位は?」
追っかけって、とリズは突っ込みたかったが、脱線しそうでやめておく。が、あまり変わらなかった気がする。そもそも、質問が初めから迷走していた。
そこに、一言。
「馬鹿王子」
「…わかった。わからないけど、とりあえずわかったことにしておくわ」
「えー?」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる