38 / 73
短編
月夜の猫屋 活動日記1
しおりを挟む
最近、彰の様子が変だ。
それは、正義と征の一致した意見だった。この頃、妙に「子ども」っぽい。あの外見だから、傍から見れば違和感はないのだが、中身をよく知っている側としては、何やら居心地が悪い。
「何があったんだと思う? てか、彰がこんな風になったことって、今までもあったのか?」
「わしの知る限りでは、一度ほどはあったが…」
朝。まだ彰が起きないうちに、二人は食卓にしているテーブルで顔をつき合せていた。既に朝食の準備は整っており、普段であれば「俺の作ったもんが冷めるのはゆるせんっ」という正義が、彰を起こしに行っている頃だ。
「その時の原因と解決法は?」
「さあて…。気付くと、元に戻っておったしのう」
「何の話してるの?」
淋しそうな声に、正義は危うく飛びあがるところだった。眠っていると思ったからこそ、こんな話をしていたのに。おまけに、普段小憎らしいほどの彰が淋しげにしていると、どうも調子が狂う。
だが征は、少なくとも表面上、平然と声を返した。
「今朝、食器が妙なところにあったんじゃよ。彰、コップを右の棚に入れたか?」
通常、コップの類は左側の棚に入れるようになっている。無論、実際にはそんな事にはなっていなかったのだが。
彰は首を振ると、自分の席についた。目の前には、ちゃんと和風の朝食が並んでいる。
「…食べていい?」
正義がぎこちなく頷くのを待って、箸を取る。二人もそれに倣いながら、小声を交わす。
「…さすが、年の功」
「そう思うなら、少しは敬わんか」
普段より少しばかり遅く、静かな朝食だった。
フライパンで野菜を炒める。野菜の赤と緑が、油と熱で一層鮮やかになる。隣のフライパンでは、温めて油を引いてから、溶き卵を流し込む。少ししたら、炒めた野菜を卵の上に移せばいい。
そんな手馴れたはずの作業が、今日はやりにくかった。
「なあ、彰…。見てられるとやりにくいんだけど。…あっち行っててくれないか?」
「やだ」
きっぱりと。
正義は、こっそりと溜息をついた。このところ、彰は妙にセイギやロクダイのそばにいたがる。甘えている、といってもいい。
今までであれば、今のように滅多に来ない客がくれば、料理そっちのけで客と雑談でもしているのに。
「ねえセイギ、お昼たらこパイ食べたい」
「はい、これ持って行って。――わかったよ、作るから」
「絶対だよ」
泣きそうな表情で見上げて、どこか怖がるように念を押して。この様子では、皿を持って行くとすぐに戻ってきて、更には、パイ作りの間もずっと見ているのだろう。
「…何があったんだよ」
深深と息を吐き、正義はパイ作りに取りかかった。
「彰。…彰?」
右肩がしびれている。見てみれば、着物の裾を握り締め、肩に頭をもたれかけたまま、眠り込んでいる彰がいた。
夕食後、本を読む征にくっついていたまま、眠ってしまったようだ。夕食の片付けの終ったセイギが、「お気の毒様」とでも言うように、苦笑して見せる。少しばかり、心配そうでもあった。
「部屋、つれて行こうか?」
「いや、わしが行こう。服も離してくれんようじゃしな」
「じゃ、茶の用意しとく」
「頼む」
袖をつかまれたまま彰を抱き上げ、彰の部屋に向かう。当たり前だが、子どもの重さでしかない。
ベッドに寝かせて布団を被せるが、まだ袖はつかまれたままだ。そっと、起こさないように指を外そうとする。
「厭だ、兄さん…行かないで……」
一瞬、征の動きが止まる。以前にも、似たような寝言を言っていた。
兄がいたのか、と思う。兄と、酷い別れ方でもしたのか――征は、自分の死に際を重ねて、そう思った。だが、何が出来るわけでもない。
ただこれ以上。本人の意志もなく思い出に立ち入らないよう、静かに部屋をあとにした。
どこか遠くで、戸の閉まる音がした。
ああ。――やっぱり。行ってしまったんだ。帰って来ないんだ。#
還__かえ__#らないんだ。
「兄さん。馬鹿だよ、行っちゃうなんて」
後に、皆が戦争に行かなくてならない時代になったことは「知って」いる。でも。だからといって、悲しみが薄れるわけではない。行かないで欲しいと思った気持ちがなくなるわけではない。
そして、もしあのとき兄が行かなければ。自分はここにはいなかったかもしれない。せめて、ほんの少しだけでも多く、楽しい記憶が増えていたかもしれない。
――独りは怖い。
独りぼっちになってしまう。兄がいなければ、ずっと独りだ。物心ついた頃には、そう思っていた。
涙が零れる。
彰は、それをどこか遠くで感じた。まただ。閉じ込めていなければいけない思い出が、出てきてしまっている。違う。ここは、今の自分がいるところじゃない。
――ごめん、ロクダイ、セイギ。
迷惑をかけてしまった。もう、戻らないと。――大丈夫、明日からはまた、やっていける。
それは、正義と征の一致した意見だった。この頃、妙に「子ども」っぽい。あの外見だから、傍から見れば違和感はないのだが、中身をよく知っている側としては、何やら居心地が悪い。
「何があったんだと思う? てか、彰がこんな風になったことって、今までもあったのか?」
「わしの知る限りでは、一度ほどはあったが…」
朝。まだ彰が起きないうちに、二人は食卓にしているテーブルで顔をつき合せていた。既に朝食の準備は整っており、普段であれば「俺の作ったもんが冷めるのはゆるせんっ」という正義が、彰を起こしに行っている頃だ。
「その時の原因と解決法は?」
「さあて…。気付くと、元に戻っておったしのう」
「何の話してるの?」
淋しそうな声に、正義は危うく飛びあがるところだった。眠っていると思ったからこそ、こんな話をしていたのに。おまけに、普段小憎らしいほどの彰が淋しげにしていると、どうも調子が狂う。
だが征は、少なくとも表面上、平然と声を返した。
「今朝、食器が妙なところにあったんじゃよ。彰、コップを右の棚に入れたか?」
通常、コップの類は左側の棚に入れるようになっている。無論、実際にはそんな事にはなっていなかったのだが。
彰は首を振ると、自分の席についた。目の前には、ちゃんと和風の朝食が並んでいる。
「…食べていい?」
正義がぎこちなく頷くのを待って、箸を取る。二人もそれに倣いながら、小声を交わす。
「…さすが、年の功」
「そう思うなら、少しは敬わんか」
普段より少しばかり遅く、静かな朝食だった。
フライパンで野菜を炒める。野菜の赤と緑が、油と熱で一層鮮やかになる。隣のフライパンでは、温めて油を引いてから、溶き卵を流し込む。少ししたら、炒めた野菜を卵の上に移せばいい。
そんな手馴れたはずの作業が、今日はやりにくかった。
「なあ、彰…。見てられるとやりにくいんだけど。…あっち行っててくれないか?」
「やだ」
きっぱりと。
正義は、こっそりと溜息をついた。このところ、彰は妙にセイギやロクダイのそばにいたがる。甘えている、といってもいい。
今までであれば、今のように滅多に来ない客がくれば、料理そっちのけで客と雑談でもしているのに。
「ねえセイギ、お昼たらこパイ食べたい」
「はい、これ持って行って。――わかったよ、作るから」
「絶対だよ」
泣きそうな表情で見上げて、どこか怖がるように念を押して。この様子では、皿を持って行くとすぐに戻ってきて、更には、パイ作りの間もずっと見ているのだろう。
「…何があったんだよ」
深深と息を吐き、正義はパイ作りに取りかかった。
「彰。…彰?」
右肩がしびれている。見てみれば、着物の裾を握り締め、肩に頭をもたれかけたまま、眠り込んでいる彰がいた。
夕食後、本を読む征にくっついていたまま、眠ってしまったようだ。夕食の片付けの終ったセイギが、「お気の毒様」とでも言うように、苦笑して見せる。少しばかり、心配そうでもあった。
「部屋、つれて行こうか?」
「いや、わしが行こう。服も離してくれんようじゃしな」
「じゃ、茶の用意しとく」
「頼む」
袖をつかまれたまま彰を抱き上げ、彰の部屋に向かう。当たり前だが、子どもの重さでしかない。
ベッドに寝かせて布団を被せるが、まだ袖はつかまれたままだ。そっと、起こさないように指を外そうとする。
「厭だ、兄さん…行かないで……」
一瞬、征の動きが止まる。以前にも、似たような寝言を言っていた。
兄がいたのか、と思う。兄と、酷い別れ方でもしたのか――征は、自分の死に際を重ねて、そう思った。だが、何が出来るわけでもない。
ただこれ以上。本人の意志もなく思い出に立ち入らないよう、静かに部屋をあとにした。
どこか遠くで、戸の閉まる音がした。
ああ。――やっぱり。行ってしまったんだ。帰って来ないんだ。#
還__かえ__#らないんだ。
「兄さん。馬鹿だよ、行っちゃうなんて」
後に、皆が戦争に行かなくてならない時代になったことは「知って」いる。でも。だからといって、悲しみが薄れるわけではない。行かないで欲しいと思った気持ちがなくなるわけではない。
そして、もしあのとき兄が行かなければ。自分はここにはいなかったかもしれない。せめて、ほんの少しだけでも多く、楽しい記憶が増えていたかもしれない。
――独りは怖い。
独りぼっちになってしまう。兄がいなければ、ずっと独りだ。物心ついた頃には、そう思っていた。
涙が零れる。
彰は、それをどこか遠くで感じた。まただ。閉じ込めていなければいけない思い出が、出てきてしまっている。違う。ここは、今の自分がいるところじゃない。
――ごめん、ロクダイ、セイギ。
迷惑をかけてしまった。もう、戻らないと。――大丈夫、明日からはまた、やっていける。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる