34 / 73
短編
扉の中
しおりを挟む
――なんだここは!?
木製の扉を開けるとベルが鳴り、そしてお粗末な藁でできた、かろうじてヒトガタと判る人形が迎えた。店――のはずだが、一応――の中にはダンボールが詰まれ、そこからも、何か得体の知れない物体の数々が頭を覗かせている。
しかも、三人いる人間は、血まみれのナイフを持った俺を一瞥したきり。
魔女の館にでも入り込んだかと思った。
「看板、まだはずしてなかった?」
「いや、そこにあるじゃろう。ああ…大きい方ははずし忘れとるな」
「セイギ、後ではずしてね」
「ハイハイ、何でもやりますよっ、だから早く荷物詰め込んでくれ! 予定より遅れてるのわかってんだろうな」
「予定なぞ、立てんかったら遅れたと騒がずに済むのにのう」
「そういう問題じゃないだろ!」
小学生くらいのガキと、高校か大学生くらいの生っちょろい男が二人。男のうちの一人は、映画くらいでしか見ない着物姿。何とかの家元とかいうんじゃないだろうな。
「無視すんなよこるぁ!」
ガキと若造たちが目を見交わす。
「巻き舌だ。あたし、あれできないんだよね」
「俺できるぜ。一時はやっててさ」
「試したこともないのう」
…予想だにしていなかった反応だ。魔女の館、というのは間違ってなかったんだろうか。ガキしか女はいないが。
「聞いてんのかよ!」
「聞こえてはいるけど?」
ガキが、俺を睨み付ける。それがやけに大人びて見えて、正直、少し怖いと思った。
悠然とこちらを見る着物の男と、もう一人は、何かぶつぶつ言いながら段ボール箱に詰め込む手を休めようともしない。
「おまえら、今の状況わかってんのか!?」
右手がほとんど乾いた血で赤くなっていて、服にもたくさんの返り血が飛んでいる。右手にはまだナイフを握り締めたままで、普通なら悲鳴のひとつでもあげるだろう。
三人は、また目を見交わした。肩をすくめて、男が口を開く。
「あんまり強く握り締めてると、型つくんじゃねー?」
「誰がそんな話をしている!」
「人ひとり刺したのが、そんなに自慢か?」
着物の男が、言った。睨んではいないのだが…蔑むような、そんな視線で。
――殺したくなんてなかった! ただ、悲鳴を上げようとしたから…黙っていれば、何もするつもりはなかったのに!
少し、金が必要だっただけで、ナイフだってただの用心のつもりだった。それなのにこんなことになって、自分でもついてないと思っていた。とどめがこれか。
「多分、一番状況がわかってないのはあなただと思うんだけど」
ただ静かに、そのガキは俺を見た。底知れないひとみだと、なぜかそんな言葉が浮かぶ。
「な、なんだと?!」
「手についてる血は乾いてる。じゃあ、服に付いた血は? まだ濡れてない?」
言われてみると、服の返り血はさっきよりも広がっていた。返り血じゃ、ない?
「左の胸のあたり、痛くない?」
今まで気づかなかった痛みが、心臓を直撃する。
「どうしたの。見てみれば?」
心臓のあたりに手を当てると、手が血に染まっていく。恐る恐る見ると、縦にぱっくりと線がいっていた。ちょうど、俺のナイフを突き立てたように。
「う、うわああぁあっ……!」
「そのナイフ、自分も刺してたんだよ。気付かなかった?」
ただ夢中で、その店を飛び出していた。
ダンボール箱の積み上げられた店内に、風が吹き込んだ。男の開けて行った扉が、ちゃんとしまらなかったらしい。高校生くらいの青年――セイギが、立ち上がった。ついでに、はずし忘れていた看板に手をかける。そこには、白と黒で「月夜の猫屋」とかかれている。
ひとつ留め金をはずすと、薄い埃と重量が降ってきた。
「重! ロクダイ、手伝えよ、一人じゃ無理だ」
「若い者が情けないことを」
「それ言うなら、ロクダイだってまだ若いだろ、いいから早く」
「やれやれ…」
わざとゆっくりとした足取りで、セイギの元へ向かう。着流しに合わせた下駄が、音を立てた。
十歳前後の少女――彰は、そんな二人を楽しそうに見ながら、不意に、表情を消した。
さっき店を出ていったのは男の中身だけで、体の方は警察病院で手当てを受けている。
思い出した以上、中身は体に戻り、男は助かることになるはずだ。男が刺した被害者は死んだというのに。ナイフを向けてきた男を逆に刺した者も、振り切られて頭を打ち、遠からず死ぬというのに。
いっそ、教えずにいたかったと思う。
教えなければ、帰る場所もなく、死んだだろうのに。でもこれは、仕事だから。これが、死んでからも生きるために選んだことだから。
「彰、どこに置く?」
「……ああ。送る荷物と一緒にしとけば、運んでくれるよ。見間違えようもないしさ」
「ん。じゃ、俺先行くから」
セイギが前を、ロクダイが後ろを持って看板を運ぶ。そう距離はないので、すぐに看板を下ろし、三人は店内にあったものをダンボール箱に詰め込む作業を再開した。
今日の夜には移動するから、急がなければならない。あと十時間もなかった。
「あまり、根を詰めて考えんようにな」
三時になって、半ば自棄でこんな状況でもお茶の用意をすると言い張ったセイギが店の奥に行ったとき、ロクダイが言った。
厨房からは、いつのまにか焼いていたらしいマドレーヌの甘い匂いがした。
木製の扉を開けるとベルが鳴り、そしてお粗末な藁でできた、かろうじてヒトガタと判る人形が迎えた。店――のはずだが、一応――の中にはダンボールが詰まれ、そこからも、何か得体の知れない物体の数々が頭を覗かせている。
しかも、三人いる人間は、血まみれのナイフを持った俺を一瞥したきり。
魔女の館にでも入り込んだかと思った。
「看板、まだはずしてなかった?」
「いや、そこにあるじゃろう。ああ…大きい方ははずし忘れとるな」
「セイギ、後ではずしてね」
「ハイハイ、何でもやりますよっ、だから早く荷物詰め込んでくれ! 予定より遅れてるのわかってんだろうな」
「予定なぞ、立てんかったら遅れたと騒がずに済むのにのう」
「そういう問題じゃないだろ!」
小学生くらいのガキと、高校か大学生くらいの生っちょろい男が二人。男のうちの一人は、映画くらいでしか見ない着物姿。何とかの家元とかいうんじゃないだろうな。
「無視すんなよこるぁ!」
ガキと若造たちが目を見交わす。
「巻き舌だ。あたし、あれできないんだよね」
「俺できるぜ。一時はやっててさ」
「試したこともないのう」
…予想だにしていなかった反応だ。魔女の館、というのは間違ってなかったんだろうか。ガキしか女はいないが。
「聞いてんのかよ!」
「聞こえてはいるけど?」
ガキが、俺を睨み付ける。それがやけに大人びて見えて、正直、少し怖いと思った。
悠然とこちらを見る着物の男と、もう一人は、何かぶつぶつ言いながら段ボール箱に詰め込む手を休めようともしない。
「おまえら、今の状況わかってんのか!?」
右手がほとんど乾いた血で赤くなっていて、服にもたくさんの返り血が飛んでいる。右手にはまだナイフを握り締めたままで、普通なら悲鳴のひとつでもあげるだろう。
三人は、また目を見交わした。肩をすくめて、男が口を開く。
「あんまり強く握り締めてると、型つくんじゃねー?」
「誰がそんな話をしている!」
「人ひとり刺したのが、そんなに自慢か?」
着物の男が、言った。睨んではいないのだが…蔑むような、そんな視線で。
――殺したくなんてなかった! ただ、悲鳴を上げようとしたから…黙っていれば、何もするつもりはなかったのに!
少し、金が必要だっただけで、ナイフだってただの用心のつもりだった。それなのにこんなことになって、自分でもついてないと思っていた。とどめがこれか。
「多分、一番状況がわかってないのはあなただと思うんだけど」
ただ静かに、そのガキは俺を見た。底知れないひとみだと、なぜかそんな言葉が浮かぶ。
「な、なんだと?!」
「手についてる血は乾いてる。じゃあ、服に付いた血は? まだ濡れてない?」
言われてみると、服の返り血はさっきよりも広がっていた。返り血じゃ、ない?
「左の胸のあたり、痛くない?」
今まで気づかなかった痛みが、心臓を直撃する。
「どうしたの。見てみれば?」
心臓のあたりに手を当てると、手が血に染まっていく。恐る恐る見ると、縦にぱっくりと線がいっていた。ちょうど、俺のナイフを突き立てたように。
「う、うわああぁあっ……!」
「そのナイフ、自分も刺してたんだよ。気付かなかった?」
ただ夢中で、その店を飛び出していた。
ダンボール箱の積み上げられた店内に、風が吹き込んだ。男の開けて行った扉が、ちゃんとしまらなかったらしい。高校生くらいの青年――セイギが、立ち上がった。ついでに、はずし忘れていた看板に手をかける。そこには、白と黒で「月夜の猫屋」とかかれている。
ひとつ留め金をはずすと、薄い埃と重量が降ってきた。
「重! ロクダイ、手伝えよ、一人じゃ無理だ」
「若い者が情けないことを」
「それ言うなら、ロクダイだってまだ若いだろ、いいから早く」
「やれやれ…」
わざとゆっくりとした足取りで、セイギの元へ向かう。着流しに合わせた下駄が、音を立てた。
十歳前後の少女――彰は、そんな二人を楽しそうに見ながら、不意に、表情を消した。
さっき店を出ていったのは男の中身だけで、体の方は警察病院で手当てを受けている。
思い出した以上、中身は体に戻り、男は助かることになるはずだ。男が刺した被害者は死んだというのに。ナイフを向けてきた男を逆に刺した者も、振り切られて頭を打ち、遠からず死ぬというのに。
いっそ、教えずにいたかったと思う。
教えなければ、帰る場所もなく、死んだだろうのに。でもこれは、仕事だから。これが、死んでからも生きるために選んだことだから。
「彰、どこに置く?」
「……ああ。送る荷物と一緒にしとけば、運んでくれるよ。見間違えようもないしさ」
「ん。じゃ、俺先行くから」
セイギが前を、ロクダイが後ろを持って看板を運ぶ。そう距離はないので、すぐに看板を下ろし、三人は店内にあったものをダンボール箱に詰め込む作業を再開した。
今日の夜には移動するから、急がなければならない。あと十時間もなかった。
「あまり、根を詰めて考えんようにな」
三時になって、半ば自棄でこんな状況でもお茶の用意をすると言い張ったセイギが店の奥に行ったとき、ロクダイが言った。
厨房からは、いつのまにか焼いていたらしいマドレーヌの甘い匂いがした。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
婚約破棄された公爵令嬢は虐げられた国から出ていくことにしました~国から追い出されたのでよその国で竜騎士を目指します~
ヒンメル
ファンタジー
マグナス王国の公爵令嬢マチルダ・スチュアートは他国出身の母の容姿そっくりなためかこの国でうとまれ一人浮いた存在だった。
そんなマチルダが王家主催の夜会にて婚約者である王太子から婚約破棄を告げられ、国外退去を命じられる。
自分と同じ容姿を持つ者のいるであろう国に行けば、目立つこともなく、穏やかに暮らせるのではないかと思うのだった。
マチルダの母の祖国ドラガニアを目指す旅が今始まる――
※文章を書く練習をしています。誤字脱字や表現のおかしい所などがあったら優しく教えてやってください。
※第二章まで完結してます。現在、最終章について考え中です(第二章が考えていた話から離れてしまいました(^_^;))
書くスピードが亀より遅いので、お待たせしてすみませんm(__)m
※小説家になろう様にも投稿しています。
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
「宮廷魔術師の娘の癖に無能すぎる」と婚約破棄され親には出来損ないと言われたが、厄介払いと嫁に出された家はいいところだった
今川幸乃
ファンタジー
魔術の名門オールストン公爵家に生まれたレイラは、武門の名門と呼ばれたオーガスト公爵家の跡取りブランドと婚約させられた。
しかしレイラは魔法をうまく使うことも出来ず、ブランドに一方的に婚約破棄されてしまう。
それを聞いた宮廷魔術師の父はブランドではなくレイラに「出来損ないめ」と激怒し、まるで厄介払いのようにレイノルズ侯爵家という微妙な家に嫁に出されてしまう。夫のロルスは魔術には何の興味もなく、最初は仲も微妙だった。
一方ブランドはベラという魔法がうまい令嬢と婚約し、やはり婚約破棄して良かったと思うのだった。
しかしレイラが魔法を全然使えないのはオールストン家で毎日飲まされていた魔力増加薬が体質に合わず、魔力が暴走してしまうせいだった。
加えて毎日毎晩ずっと勉強や訓練をさせられて常に体調が悪かったことも原因だった。
レイノルズ家でのんびり過ごしていたレイラはやがて自分の真の力に気づいていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる