月夜の猫屋

来条恵夢

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短編

記憶の中の出来事

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 「鈴木先生」
 振り返ると、小学生か中学生くらいの女の子が立っていた。
 周りには授業を終えた、またはこれから始まるのを待っている似たような年代の子どもが多くいたので、そのこと自体には気を払わなかった。
 ただ、いくら暖房が効いているとはいっても半袖のその姿を見て寒くは無いのだろうかと思った。
「わからないことがあるんです。教えてください」
 笑顔で言われた言葉に気安く応え、そのまま自習室へと足を向ける。内心、休憩時間を多少なりとも潰される事に舌打ちした。
 癖の無い黒髪を短くした女の子は、何が楽しいのか道隆みちたかの横でくすくすと笑っていた。
 道隆は、あまり子どもが好きではない。それがなぜ小・中学生が大半のこの塾の講師をしているのかといえば、ただ単に給料がいいからということになる。おかげで、車も買ったし一人暮しも始めた。最近では、本業だったはずの大学へ行く気も起こらない。
「先生、講師って大変ですか?」
「まあね。それで、質問っていうのは?」
「こっちです。あ。誰もいないや」
 大抵は人がいる自習室には誰もおらず、荷物も置かれていない。
 道隆は、他の子供に声をかけられる心配が無いことに安堵し、同時に珍しい光景を不思議がった。まだ授業の残っているこの時刻に自習室が空だというのは珍しい。だが、その疑問よりも早く用事を済まして休みたいという思いが勝った。
 繰り返し問うと、女の子はにっこりと笑い、真っ向から道隆を見据えた。瞳だけが鋭く光っている。
「どうしてあたしたちを殺したの」
 言っていることを理解するのに時間がかかった。その間、外で騒ぐ子どもたちの声が空々しいほどにはっきりと聞こえた。
「…殺した? 俺が? 誰を」
「覚えてないんだ。そうだね、ほんの些細なことだもんね。罪にも問われないのかも知れない。でも、あなたがあたしたちを殺したのは本当なんだよ。忘れちゃった?ほんの数日前のことなのに」   
「数日前…? くだらない冗談はやめろ」
「本当に覚えてないんだ。仕方ないなあ」
 冷ややかに言うと、その女の子は道隆のすぐ前に立った。思わず身をひく。女の子は冷笑を浮かべ、道隆の目の前に手をかざした。足りない身長差を補うために椅子の上に立っていたが、滑稽ともとれるその姿を笑う余裕は今の道隆には無かった。 
 次の瞬間、意識がとんだ。
 そして、暗く、霞んだ様子が映る。その中に、黄色っぽい光が差し込む。次いで、強い衝撃。間を置いて、人影が降り立つ。光は、車のライトのようだった。
『なんだ、びっくりした。狐の群れをはねるなんてここも田舎だな。やっぱりどこか他に引っ越すかな』
 声がして、人影が車に乗り込む。最後に一瞬、こちらを見た。
『くだらないことで時間とらせやがって』
 再び意識が飛ぶ。正気に戻ると、椅子に後ろ前に座った女の子が道隆を見上げていた。
「思い出した?」
「俺の声…」 
「そう。あなたのとった行動だよ。見てるのはあたしだけどね」
「俺が、殺した…」
「やっと認めた」
 軽い調子の言葉が鋭く響く。道隆にはそれが死刑宣告かのように聞こえた。黒い瞳が、彼をとらえる。
「どうやって仕返ししようかと思った」
 表情の無い言葉に怯え、道隆は自習室から飛び出した。

 道隆が出て行くと、彰は椅子から立ち上がった。
「あれ、他に誰もいないの?」
「うん。珍しいね」
「そうだね。加奈ちゃん、自習室あいてるよー」
 それをきっかけに生徒が入り出した自習室と塾の建物を出て、他よりも余計に暗い路地に移動する。三匹の狐を認め、微笑を浮かべる。
 狐たちは、そろってせかすように彰を見上げた。
「終わったね。送るよ」
 彰が何か呪文のような文句を呟くと、狐たちの姿が消えた。それを確認すると、彰は小さく息を吐いて近くの壁にもたれかかった。
「伝えるだけでいいなんて。あたしは、許せなかったなあ」
 暗い眼で、ビルの壁しかない上を見上げる。 
「あたしに、こんなことする資格なんて無いのに」

 後日、鈴木道隆はどこかへ引っ越していった。 
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