月夜の猫屋

来条恵夢

文字の大きさ
上 下
3 / 73
短編

闇夜の晩

しおりを挟む
 俺は、倒れた自転車を呆然と眺めた。
 買ったばかりのそれは、早くも修理に出さなければならないようだ。いや、「買ったほうが安い」と言われるかもしれない。
「そこの若いの、何をぼけっとしておる。早くけんかい!」
 台詞セリフとミスマッチな若い声に思わず飛び退くと、その直後に、俺がいた場所は光の塊のような熱をびていた。血の気が引く。
「何をやっとる、走れ!」
 必死で走り出す。無我夢中だった。
 高校時代の体育の授業よりも速く、数百メートルほど走ったところで、ばてた。一体、何故走っているのか。そう思うと、もう走り続けることができない。
 ちょうど、どこかのコンビニに着いていた。見覚えがあるような無いような…ここは、どこだ?
「中野、久しぶりだな」
「…島田? お前、この近くに住んでるのか?」
「ああ。中野は何やってるんだよ、こんなところで。この近所じゃないだろ」
「うん、実は俺もよくわからないんだ」
「なんだそりゃ」
 呆れる島田の顔を見ていると、ようやく落ち着いてきた。
 島田は、高三の時のクラスメイトだ。特によく話すわけでも、全く話さないわけでもなかった。俺にとって、あと半年もすれば、すれ違ったくらいでは名前が浮かんでこなくなるような存在だ。多分、島田にとっての俺もそんなものだろう。
 学校というのは奇妙な場所だ。たくさんの人間が、半ば無作為に長時間同じ所に放り込まれているのだから。
 不意に出会った意外さも手伝って、俺は、誘われるままにジュース片手に近くの公園で話すことにした。
 ついさっき思い出したことだが、島田は、いつもかけていた眼鏡をかけていない。コンタクトにでもかえたのだろうか。まあ、どうでもいいことだ。
「同窓会やるって話、聞いたか?」
「え? もうやるのか?」
「夏休みにでも、って。中野、行く?」
「あー、どうしようかなあ…多分、ひまだったら」
「そっか。いいな」
「は?」
「俺、行けないから」
「まだいつやるか決まってないんだろ?」
 無理やり幹事にさせられてしまった相川の顔が浮かんでくる。たしか、かなりの優柔不断だったはずだ。
「多分」
「それなら、どうして」
 長い沈黙があった。突然、闇がおおいかぶさってきた。何故、こんな人気ひとけの無いところに来てしまったのだろう。話なら、コンビニのそばででもできたのに。
 どこかで、何かが、危険だと叫んでいる。
「あのさ…」
「中野って、いつもマイペースだったよな。誰が何してようとおかまいなしで、やりたいことをやってた」
 帰ると言おうとして、さえぎられた。何故か、口を出しづらい。
「だから俺、ねたましかった。お前が俺に無い物ばっかり持ってて」
 ――こいつは誰だ!?
 それがゆっくりと立ち上がるのを、ただ見ているだけしかできなかった。微動だにできず、底の無い恐れだけが膨らんでいく。そいつは、俺を見た。島田だった。ただ、頭がつぶれただけの。
「死にたくない………」
 そのあとは、もう言葉になっていなかった。
 言葉にならない言葉をつぶやきながら、そいつは一歩一歩緩慢かんまんに近づいてくる。俺は、声も出せなかった。
 そこに、誰かがやってきた。俺と同世代の男。
「やれやれ、勘の鈍い男じゃのう」
「あ…。さっきの……」
「若いの、邪魔じゃからそっちへ行っておれ」
「なっ」
「死にたいのか」
 その声は、飄々ひょうひょうとしながらも鋭さを含んでいた。俺は何も言えずに、後ろへ下がる。見えない呪縛は、無くなっていた。
「おぬしも、往生際が悪いぞ。何をしても死者は生者には戻れぬ。知っておろう。己の手で、大切だったものを壊してゆくだけじゃ」
 立ち止まっていたそいつは、急に動き出して、男に襲いかかった。男の方はそれを予期していたらしく、一撃…そいつの放った白い光…を軽々と避けると、どこからか出してきた棒を構えた。如意棒みたいだと、こんな状況ながら思った。男は、棒をそいつの胸のあたりに突き刺した。にごった液体をまとわりつかせて、そいつは倒れた。
 時間がたっても、そいつは起き上がら無かった。
「おぬしも早くここを離れたほうが良い。誰かに見つかると厄介じゃからの」
 それだけ言って、男は立ち去ろうとした。倒れたそいつも気にせずに。
「ま…まてよ。なんなんだよ、これ…これは誰なんだよ……」
「島田敏弘じゃよ」
「え…?」
「良いか。世の中に、おぬしの知らぬことは山程ある。その中には、知っておくべきことや知っておいた方が良いこともあるが、知らぬ方が良いこともあろう。今夜のことは、気にせぬほうが良いよ」

  数日後、俺は同窓会の決行と島田の死を知った。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...