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夜祭
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今度は何を言い出したのだろうと、雪季は英に胡乱な目を向ける。追うように、電車の接近を知らせるアナウンスが流れた。
そして言葉通りに受け取れば。つい、雪季は考え始める。
早くも何も、あのタイミングでなければ請けなかっただろうと思う。あの時肯いたのも、我が事ながら不思議ですらあるのだが。そもそも最初の依頼で顔を合わせた時から勧誘めいた言葉は受けていたが、全く本気にしていなかった。当然、前職を辞めて英の護衛や部下に収まるつもりなどなく。
改めて考えると、どうしてここにいるのかが雪季自身さっぱりわからない。魔が差したというのは、こういうことだろうか。違うような気もする。
「仕事のサポート自体はちゃんとやってくれる人がいるから、秘書なんていてもいなくても、せいぜい花を添えてくれるくらいに思ってたけど、全然違った。断然楽。お客さんと話してる時も、細かいこと全部片付けてくれるから話に集中できるし」
「…それは、俺がどうこうではなく初めから秘書を雇うならちゃんと秘書として使える人物を選ぶべきだったということでは」
いくらかでも役立っているならいいことではあるが、おそらくは比較対象が低すぎて、喜ぶようなことではないとしか思えない。
自分でこなせるからと恋人に小遣いでもやるような感覚で秘書役を任せていたことに問題があるのではないのか。
雪季の冷ややかな言葉と眼差しに、英は平坦な視線を返した。
「四六時中誰かと一緒にいることに、俺が、耐えられると思う? 一日や二日ならともかく、仕事中ずーっと」
「…できてるだろう。今、現に」
そして実際は、仕事中どころではない。住居が一緒なので、就寝中以外はほぼ一日一緒にいたという日もざらだ。
改めて考えると、雪季としてもよくそれで一年近くも過ごしてこれたと思う。不思議と、鬱陶しく思うことはあるが、耐えられないということはない。
ちらりと顔を見ると、必要がないからか何の表情も浮かべてはいない。
「だからそれは雪季が特別なんだって。結構気配消してるし。その癖、細かいこと気が付くし。なんか日々できること増えてるし。契約書なんていつの間に作れるようになってたんだよ」
昨日の昼間のことを持ち出され、今更だと雪季は思う。朝から昼にかけて、「パンダを見ながら話したい」という謎の条件で訪れていた動物園だかテーマパークだかでのことだ。
英と客が雑談紛れに話をまとめていくので、それを拾っていって携帯端末越しに会社に投げて、契約書の叩き台を作ってもらっていた。
そういったことが秘書の仕事なのかというのは、雪季にはよくわからないままだが、中継役とすれば今までとやっていることは何ら変わらない。
「あれは、作ったのは三浦さんだ」
「それはわかってる。でもあそこで話したこと盛り込んでるんだから概要なり何なり雪季が送ってたんだろ。いつもだったら、俺が客と別れてから散々駄目出しされて客にも確認取り直してようやくオッケー貰ってるやつ、なんで別れる前にできてるんだよ」
「お前が直接は関係ない話を長々としてるから間に合っただけのことだ」
「俺が無駄話してたってこと?」
「お前のそういうのは、立派な仕事だろ」
再度のアナウンスの後に、電車がホームに滑り込む。雪季たちの前で開いたドアから降りる人はなく、速やかに乗り込んだ。
次に下りる駅までは少しかかり、座席もそれなりに空いているので英に座るよう促すと、素直に腰を落としたものの、小さくうめき声が漏れた。筋肉痛だろうと、追及はしないでおく。
「雪季って、なんであの仕事してたんだ?」
「…なんとなく」
「…雪季さあ、俺に小言いう前に、自分のことの雑さなんとかした方が良くない? 忘れてるかもしれないけど、そもそも、俺も葉月も雪季のストーカーだったんだからな? 昨日の男と結構同類だからな?」
感情の抜けた声音ではあるが、どこからか心底の呆れは伝わってくる。雪季も己のどうしようもなさの自覚はあるので、文句を言う気にもなれない。
なのでそこはあえて無視をして、首をかしげてみせる。
「昨日の。本当に、そこまで危険人物だったか?」
「だからー。俺、そういうのは勘が利くって。わかるよ、なんとなく」
「…同類だから?」
「同類だから」
英が危険人物だとは、今でも雪季は思っている。
目的があれば、そこへの最短距離の道筋を選ぶことを、そこにどんな障害や倫理的に避けた方がいいものがあっても、呵責を覚えずに選択できるのだろうと。
ただ、周囲を見渡して、自分の行為がどう受け止められるかもきっちりと把握している。それは、英の言う「先生」の教育の賜物だったのだろう。
英は、危険を孕みながらも、この社会で問題を起こさずに生きていく術を知っている。
それの良し悪しは雪季にはわからないが、ある意味では雪季以上に生きることに適しているし、相対する人によっては善良ですらあるかもしれない。
だから、英が己を危険人物と認識するのは、合ってはいるのだろうが違和感もある。
そのあたりの、うっかりと「犯罪者」の烙印を押されるような連中と、同じ括りでいいのだろうか。
「篠原みたいな同類じゃないけど」
「…契約書のことで確認してもらいたいことが」
「あっ、面倒になって流しただろ。もうちょっと俺に興味持ってって」
「ここだけど」
「雪季がひどい」
言いながらも、目は雪季の示したタブレットの文字を追っている。いい加減なようで、一応ちゃんとしている。やはり自分よりもずっと社会に適応しているなと、雪季はぼんやりと思った。
車窓の向こうには晴れ渡った空が流れているのに、何故か、雪季は昨夜の神社から見下ろした夜の闇を思い出していた。
そして言葉通りに受け取れば。つい、雪季は考え始める。
早くも何も、あのタイミングでなければ請けなかっただろうと思う。あの時肯いたのも、我が事ながら不思議ですらあるのだが。そもそも最初の依頼で顔を合わせた時から勧誘めいた言葉は受けていたが、全く本気にしていなかった。当然、前職を辞めて英の護衛や部下に収まるつもりなどなく。
改めて考えると、どうしてここにいるのかが雪季自身さっぱりわからない。魔が差したというのは、こういうことだろうか。違うような気もする。
「仕事のサポート自体はちゃんとやってくれる人がいるから、秘書なんていてもいなくても、せいぜい花を添えてくれるくらいに思ってたけど、全然違った。断然楽。お客さんと話してる時も、細かいこと全部片付けてくれるから話に集中できるし」
「…それは、俺がどうこうではなく初めから秘書を雇うならちゃんと秘書として使える人物を選ぶべきだったということでは」
いくらかでも役立っているならいいことではあるが、おそらくは比較対象が低すぎて、喜ぶようなことではないとしか思えない。
自分でこなせるからと恋人に小遣いでもやるような感覚で秘書役を任せていたことに問題があるのではないのか。
雪季の冷ややかな言葉と眼差しに、英は平坦な視線を返した。
「四六時中誰かと一緒にいることに、俺が、耐えられると思う? 一日や二日ならともかく、仕事中ずーっと」
「…できてるだろう。今、現に」
そして実際は、仕事中どころではない。住居が一緒なので、就寝中以外はほぼ一日一緒にいたという日もざらだ。
改めて考えると、雪季としてもよくそれで一年近くも過ごしてこれたと思う。不思議と、鬱陶しく思うことはあるが、耐えられないということはない。
ちらりと顔を見ると、必要がないからか何の表情も浮かべてはいない。
「だからそれは雪季が特別なんだって。結構気配消してるし。その癖、細かいこと気が付くし。なんか日々できること増えてるし。契約書なんていつの間に作れるようになってたんだよ」
昨日の昼間のことを持ち出され、今更だと雪季は思う。朝から昼にかけて、「パンダを見ながら話したい」という謎の条件で訪れていた動物園だかテーマパークだかでのことだ。
英と客が雑談紛れに話をまとめていくので、それを拾っていって携帯端末越しに会社に投げて、契約書の叩き台を作ってもらっていた。
そういったことが秘書の仕事なのかというのは、雪季にはよくわからないままだが、中継役とすれば今までとやっていることは何ら変わらない。
「あれは、作ったのは三浦さんだ」
「それはわかってる。でもあそこで話したこと盛り込んでるんだから概要なり何なり雪季が送ってたんだろ。いつもだったら、俺が客と別れてから散々駄目出しされて客にも確認取り直してようやくオッケー貰ってるやつ、なんで別れる前にできてるんだよ」
「お前が直接は関係ない話を長々としてるから間に合っただけのことだ」
「俺が無駄話してたってこと?」
「お前のそういうのは、立派な仕事だろ」
再度のアナウンスの後に、電車がホームに滑り込む。雪季たちの前で開いたドアから降りる人はなく、速やかに乗り込んだ。
次に下りる駅までは少しかかり、座席もそれなりに空いているので英に座るよう促すと、素直に腰を落としたものの、小さくうめき声が漏れた。筋肉痛だろうと、追及はしないでおく。
「雪季って、なんであの仕事してたんだ?」
「…なんとなく」
「…雪季さあ、俺に小言いう前に、自分のことの雑さなんとかした方が良くない? 忘れてるかもしれないけど、そもそも、俺も葉月も雪季のストーカーだったんだからな? 昨日の男と結構同類だからな?」
感情の抜けた声音ではあるが、どこからか心底の呆れは伝わってくる。雪季も己のどうしようもなさの自覚はあるので、文句を言う気にもなれない。
なのでそこはあえて無視をして、首をかしげてみせる。
「昨日の。本当に、そこまで危険人物だったか?」
「だからー。俺、そういうのは勘が利くって。わかるよ、なんとなく」
「…同類だから?」
「同類だから」
英が危険人物だとは、今でも雪季は思っている。
目的があれば、そこへの最短距離の道筋を選ぶことを、そこにどんな障害や倫理的に避けた方がいいものがあっても、呵責を覚えずに選択できるのだろうと。
ただ、周囲を見渡して、自分の行為がどう受け止められるかもきっちりと把握している。それは、英の言う「先生」の教育の賜物だったのだろう。
英は、危険を孕みながらも、この社会で問題を起こさずに生きていく術を知っている。
それの良し悪しは雪季にはわからないが、ある意味では雪季以上に生きることに適しているし、相対する人によっては善良ですらあるかもしれない。
だから、英が己を危険人物と認識するのは、合ってはいるのだろうが違和感もある。
そのあたりの、うっかりと「犯罪者」の烙印を押されるような連中と、同じ括りでいいのだろうか。
「篠原みたいな同類じゃないけど」
「…契約書のことで確認してもらいたいことが」
「あっ、面倒になって流しただろ。もうちょっと俺に興味持ってって」
「ここだけど」
「雪季がひどい」
言いながらも、目は雪季の示したタブレットの文字を追っている。いい加減なようで、一応ちゃんとしている。やはり自分よりもずっと社会に適応しているなと、雪季はぼんやりと思った。
車窓の向こうには晴れ渡った空が流れているのに、何故か、雪季は昨夜の神社から見下ろした夜の闇を思い出していた。
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