回りくどい帰結

来条恵夢

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衝動

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 結局、思った以上にだらだらと飲んでしまった。

 予想通りに少しばかり遅い時間の夕飯になったので雪季セッキは呑む気はなかったのだが、目の前で白ワインを開けられてしまってはついグラスに手が伸びる。
 そして、白ワインのような日本酒があるという話になってそちらも開けてしまった。先日、雪季がスーパーの特設コーナーで見かけて購入していたものだ。

「あー。うん、ワインっぽい。実際、英語でライスワインだし、食事に合うってのもあって、ワイン飲む文化圏の人で日本酒に嵌まる人もそこそこいるらしくってさ。あー…美味しいなこれ」
「前に飲んだことがあって。そう見かけるわけじゃないから、つい買って…まずいな、飲みやすい…」

 うっかりしていたがグラタン皿はなく、ただ、耐熱性の深さのある大皿はあったので、まとめて二人分を盛って、取り分けて食べた。
 それは熱いうちに平らげたのだが、クラッカーや生ハム、チーズを持ち出して、がつがつと食べるわけではないが止まらない。

「これ飲むまで、日本酒で果物っぽいのがあるって言われてもピンとこなかったんだけど、なるほどと思って」
「あー。あるある、確かにあれ、不思議だったよな。米なのにフルーツって、ってさ。でも考えてみたら、米だって果物と同じ植物だし、まあ種と果実で違うけど。でもそもそも糖が分解されて醗酵して酒になるわけだろ? 同じところ通ってて不思議はないんだよな」
「そういうものか」
「適当に言った」

 言った傍から忘れてしまいそうな話をしながら、グラスを傾ける。まるっきり友人同士の飲み会で、いまだに雪季は、何だろうこの状況はとぼんやりとしてしまう。平和で、少し退廃していて。

「あ。カラだ。次何あける?」
「…明日も仕事なのにさすがにそろそろまずいだろ」
「もう一本くらいいいんじゃないか? 心配なら軽いのに…瓶入りのサングリアなんて買ってたっけ」
「いつだったかに笹倉さんが置いて行った」
「氷あった?」

 返事を待つまでもなく製氷室を覗き込む。
 二人でとはいえ二本空けて酔いが回っているのか、いつもであれば言うだけ言って座ったままだろうに、と見送ってから、多少嫌な予感を覚えて立ち上がると、氷を付属のプラスティックのスコップですくったもののどうすれば、と言うように首を傾げている。
 無駄にアイスペールさえあるというのに、家主は全くもって家にあるものを把握していない。しかしそれでも、皿なりスープ皿なりジョッキに入れるなり、思いつかないものなのか。

河東カトウ

 とりあえず使っていたグラスを流しに運び、新しいグラスを二つ渡す。ロンググラスにぎっしりと氷を入れているので、それだけで足りるかもしれないが一応、アイスペールにも半分くらい氷を入れた。
 常温だったサングリアが氷で冷えるまで少し待って、口をつける。赤ワインベースだが、かなり甘い。おかげでつい、しょっぱいつまみに手が伸びる。

「雪季はさ」

 氷を溶かしたいのかグラスをゆすって赤いサングリアを回しながら、アキラが言葉を落とす。雪季は、水用のグラスが空いたのでミネラルウォーターをそそぐ。英のグラスはほとんど手が付けられず、減っていない。

「親を殺した人を、殺そうとは思わなかった?」
「…どうだろうな」

 自分のことなのに他人事のようだと、言われるかと思ったが英はただ続きを待っているようだった。

 自分のことであっても、どれだけ理解できているだろうと雪季は思う。
 考えたり、思い出してわかることなのだろうか。
 かたきであり師でもある人を見つけた時や、英の護衛を引き受けた時の気持ちを、正確に言葉にすることなどできるのだろうか。例え、自分の胸の内だけであったとしても。

 酒のグラスを傾ける。甘くて、ジュースのようで、もっと強く甘みのないものにすれば良かったかとの思いがふとよぎる。

「殺して、全てが戻るなら…それでも良かったけど」
「どんな人たちだった?」

 何が聞きたいんだろうと、ぼんやりと英に視線を向ける。こんな話をして、何になるのか。

「…よく笑う人たちだった。楽しいことが好きで、怒っても長続きしなくて」
「いい親だった?」
「多分。…薄情なんだろうな、俺」

 大好きだった。反抗期を迎える前だったということもあるのかも知れないが、家族仲は良かった。
 それなのに、ほとんどのものを処分してしまった。仇を見つけたのに、復讐をしようともしなかった。弟子入りなんて、正気の沙汰ではないだろう。
 きっともう、顔さえはっきりとは思い出せない。手元に残したアルバムも、もう何年も開いていない。

 英は相変わらずグラスをゆすりながら、雪季に視線を据えている。何が知りたいんだろうと、アルコールにかった脳が空回り気味に思考する。何を、引きずり出したいのだろう。
 そんなことを考えながらも、言葉はこぼれ落ちる。

「次の週末に、遊びに行くはずだった。テント借りて、釣りしたりキャンプファイヤーしたり。行けなくなっちゃったなって、警官に声をかけられながら思った。一月後の習ってた格闘技の大会にも出られるのかもわからないし、中学校もどうなるんだろうとか、来年の誕生日にはもう母さんのチョコレートケーキ食べられないんだとか…自分のことばっかり、考えた」

 だからだろうか。雪季は、先のことを考えるのが苦手になった。
 予定を立てることも、長いスパンで物事を考えることも、できないわけではない。ただ、どれだけ考えたところで簡単にそんなものはなかったことになるのだとの諦念がついて回って、身が入らない。
 結愛ユアにはきっと、気付かれているだろう。雪季が先の約束をけていることを。いつか、といった曖昧なものはそれほどではないが、来年も、と言われても言葉を逃がしてしまう。
 この間の花見も、結愛に行けなくて悔しかったから来年もきっと誘ってね、と言われて頷けずに終わった。曖昧に、どうとでも取れるようにふんわりと返した。来年、まだこの場所にいるのかもわからない。

「庇護者がいなくなって、自分のことを一番に考えて何が悪いんだ?」

 ようやくグラスに口をつけて半分近くを一息にあおり、英は感情の見えない視線を投げかける。

「俺だって、先生が死んだとき、お手本がなくなっちゃったなって思ったよ。これからどうしよう、って」
「…結局、俺はお前と似てるのかも知れないな」

 思いがけないことを聞いた、と言うように目が見開かれる。雪季は少し、視線をらした。
 テーブルの上に並んだつまみが、何故か取り残されたように見える。少し、生ハムが乾いて来ているだろうか。食べきってしまった方がいいだろうなと考えるでもなく考える。

「自分のことだけが大切で、人のことをわかろうとしない」
「雪季がそうだとは思えないけどな」

 首を傾げ、クラッカーにチーズと生ハムを乗せてかじる。グラスを傾け、残り少なくなったところに瓶から追加を注ぐ。瓶を手渡され、雪季も自分のグラスに追加した。

「俺と雪季は全然違う。同じだったら、一緒にいたいとは思わないな、俺は。俺なら俺一人で十分」
「…何か意味が違う気がする」

 違う気はするが、すこし、息が吐けた。英はただ、思ったままを言ったに過ぎないのだろうが。
 そうしてから、その反応は随分と失礼だった気がした。英を大概ひとでなしだと思っているのは確かだが、くらべて自分をまだまともだと思いたがるのは、それも随分と酷い。酒が入っているせいだとするのは、ただの言い訳だろう。
 浅く、息を吐く。

「悪い。変な話をした」
「ん? 別に何も変なことは」
「さっさと片付けて、そろそろ寝ないと明日も仕事だぞ」
「あー…休む?」

 睨むと、冗談冗談、と、すぐに言葉をひっくり返す。本気だっただろうと思うが、追及はせずにおく。
 何だかんだ言っても、結局のところ、英には随分と助けられている。英の思い付きのせいでまた接点は持ってしまったものの、とりあえず雪季自身は殺人稼業からは足を洗え、過分な給料ももらっている。
 そのうち、英が興味を失えば切れる縁ではあるが、望めばこのまま、今の職場で働いていたことを足掛かりに「表側」で仕事を探すことはできるだろう。
 もしかすると恩人と呼んでもいいのかも知れないが、素直に頷けないのはこのいい加減そうな態度のせいだろうか。
 半分ほども残っていたサングリアを一息に空けて、英は軽く、首を傾げた。

「雪季」
「…何だ?」

 何が続くのかと思えば首を傾げたまま黙っているので、訊いてみる。英は表情のないまま、息だけで笑った。

「俺は、雪季が親と一緒に殺されなくて、殺し屋になって、そうやって生きてくれてよかったと思う。俺が今、こうやって案外毎日楽しいのは、あそこで人を殺した雪季を見つけたからだから。どうせこんなもんなんだなって、毎日に見切りをつけなくて良かったって思ってる」
「…何の告白だ」
「告白って言うか、懺悔ざんげ?」
「似たようなものだろそれ」
「そうなんだ?」

 しかしその意味でいくと罪悪を吐き出すものだということになるが、一体この発言のどこにそんなものがあるのかが雪季にはわからない。ねじれた感謝の言葉でも聞かされたような気分になってわりが悪かったのだが、違うとなってもそれはそれで落ち着かない。
 英は、瓶に残ったサングリアをグラスに注ぎ切り、氷を足した。逆にすればいいのに、赤くしずくが跳ねる。

「俺は雪季を困らせてるのかなと思って」
「…………何か変なものでも食ったか…?」
「さっきから雪季と同じものしか食べてないと思うけど?」
「いや…昼は別メニューだっただろ。きのこの中にでも妙なの混じってなかったか」
「いや茸って言っても食べ慣れた種類しか入ってなかったから。山で茸狩りした帰りじゃないんだからそこはさすがに店の仕入れ疑う必要なくない?」

 深夜の居間で、酒の入ったグラスを片手に見つめ合う。変な絵面だ、と頭の片隅で思いながらも、雪季は目を逸らせずにいた。
 どうにも…英がまともなことを言い出したような気がする。いつの間にか、ひとでなし具合が入れ替わっていただろうかと馬鹿馬鹿しいことまで考えてしまった。

「別に、困ろうが嫌おうがどうだっていいんだけど」

 嫌われていれば距離を取りたくなるものだろう、と思ったが雪季は口を挟まずにいた。
 結愛は感情の動きを実感できないからといって傷つかないわけではないだろうと言ったが、どうなのだろうと、ぼんやりと考えてしまったせいでもある。

「そのことで雪季が離れて行くのは見逃せないからっていう…宣言?」
「懺悔どこ行った」
「…あれ?」

 つか考えるように動きを止め、無表情のまま、また首を傾げる。しばらく左右に首をひねりながら、合間につまみを食べてグラスを傾け、呆れの混じった雪季の視線をすみやかに無視する。
 最終的に全て空いた皿とグラスを前に、英は、雑誌の表紙にでもありそうなみをひらめかせた。

「雪季がどう思っても逃がすつもりはないから、悩んでも無駄だよってアドバイスでもしたかったのかな?」
「脅し文句か」

 げんなりとして額に手を当てた雪季は、笑い顔のまま、英がソファーに沈みこむのを視界の端に捉えて深々と息を吐いた。

「そこで寝るな。水飲んで部屋に戻れ」
「んー。困ったことに結構足に来てる」
「…とりあえず、水」

 はじめから置いていたのに手つかずだった英の水のグラスを、軽く音を立ててローテーブルに置き直す。
 雪季は、ローテーブルに広げた食器やグラス、瓶を盆に集めて片付け始める。グラタンを食べ終えた時点で一度軽く片付けていたこともあって、一度に全て運べそうだ。

「雪季。ちゃんと俺より長生きしてくれよ」

 前にそんな話をしたなと思い出す。ただ、事故や事件といった突発事態を別にすれば、そんなことを心配するほどに長く、英は雪季に興味を持ち続けるのだろうか。
 おそらくは英にも雪季にもわからないだろう疑問を抱えたまま、雪季は、深く息を吐いた。

「努力はする。…一応、お前には感謝してなくもないしな」
「………え?」

 硬直するように動きを止めた英を放置して、雪季は流しへと足を向けた。
 やはりいつもよりも遅い食事になってしまい、その上でだらだらと飲んだものだから早く寝た方がいい。朝一番での予定は入っていなかったが、午後からは立て続けに三人と会うことになっている。

「水飲んで、さっさと寝ろよ」
「…はーい。雪季おかあさん」
「…次そういう呼び方したら殴るからな」
「距離なかったら予告なしで蹴りがきてたよな、それ」
「わかってたらはじめから言うな」
「はーい」

 一体この会話は何なんだろうと思いつつも、雪季は、手早く食器を洗いにかかっていた。
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