回りくどい帰結

来条恵夢

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風邪

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 朝、走り込みと我流のトレーニングを終えて戻ると、既にアキラが起きていた。起こすまでもなかったなとまばたきを落とす。

「おはよう。熱は?」
「…へーねつ」

 うたがわしげに視線を向けて、雪季セッキは冷蔵庫を開けた。
 オレンジジュースを二つのグラスにそそぐと、ほぼ空になったので表面張力に期待して片方に注ぎ切る。こぼれるまではいかなかった方を一息に飲んで、普通に入れた方を英の前に置く。
 雪季を向いた眼からは、熱によるうるみは見受けられない。

「朝飯は?」
「んー。オムレツ。だけ」
「シャワー浴びてくるからその後でいいか?」
「…ん」

 だるそうなのが、寝起きだからなのかまだ完全に快復したわけではないからなのかわからない。ぺたりとテーブルに頬をつけてしまった英に、とりあえずソファーに放置していた毛布を掛けて、雪季は風呂場へ向かった。
 手早く汗を流して出ると、英はほとんど同じ姿勢のままでいた。

「…体痛くないのか、それ」

 返事はなく、そのまま眠っているのかも知れない。寝足りないなら布団に戻ればいいのにと思いつつ、卵を出して、コンロにフライパンを乗せる。
 英はプレーンオムレツでいいとして、自分の分はどうしようかと考える。昨日の夕飯を簡単に済ませたので、いくらかしっかりと食べたい気はする。

「河東、食べるか。…起きてるか」
「食べる」

 とりあえずプレーンオムレツを焼いて出し、玉ねぎとキャベツとトマト、ベーコンを切って炒める。それにチーズを加えて具にして、オムレツを焼く。バターロールを二つトースターで温め、ピーナツバターを出す。あとは、先日残ったアジフライを冷凍していたので、解凍してバターロールの一つに挟む。
 雪季の分の皿はキッチンカウンターに並べ、立て掛けてある折りたたみの椅子を出してそのまま食べ始める。
 ふと気づくと、自分の皿を空にした英が見ていた。度々たびたびあることなので、特に気にめず食事を続ける。用があれば何か言葉にするだろうし、そうならないものを気にしていると疲れるだけだ。

「雪季、やっぱり出かける?」
「…大人しくしてろよ。お前がどうなってもいいが周りにウイルスをばらまくな」
「え。えー。雪季ひどい」

 恨めしそうな眼はいつもよりも低いところから見上げてくる。面倒なのかだるいのか、気付けばまたテーブルに頭を乗せている。
 食べ終えた食器を、英の分もまとめて流しに引き上げて、小さな子どもがするならともかく可愛かわいくもない同級生の不貞腐ふてくされたような顔を見下ろした。

「昼、何か作って行くか?」
「…雪季、何時くらいに帰って来る?」
「…夕方?」
「えー…そっかー…」

 木曾キソが事務所に来るのは昼前で、との待ち合わせは二時。
 一応、二時間くらいの予定だがそこから一旦会社に戻ったりすれば結局定時退社とそう変わらなくなるのではないだろうか。早く言っておいてごねられる方が鬱陶しい。
 英は、無機質な視線を投げ落とす。

「コロッケ」
「…こだわるな」
「だって。あんまり断らない雪季がかたくなに作ってくれないから」

 別に頑なになっているわけではなく、状況が合わないだけだしそもそもいつも唯々諾々いいだくだくと従っているつもりはないのだが。本当のことなのに言い訳のようになりそうで、それらの言葉を呑み込む。
 あと、ほとんど嫌がらせのいきに入っている気がするが、気付いているのかいないのか。どちらであっても変わらなそうなので、これも呑み込んでおく。
 時計を見て、時間にまだ余裕があることを確認して、英に背を向けて食器を洗い始める。

「明日か明後日でいいか」
「えー」
み上がりで油の塊食べて吐いても知らないぞ」

 返事がなく、しばらく雪季が食器を洗う音だけがする。まさかまた寝たのかと体をひねると、眼は雪季を向いていたが、どこを見ているのはよくわからなかった。

「…寝るなら布団に戻れ」
「寝てない。雪季のばーか」

 馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ、という切り返しは何歳まで許されるのだろう。それこそ馬鹿げたことを考えて、雪季は短く息を吐いた。とっくに成人は迎え、被選挙権さえ得ている歳のはずなのだが。

「昼頃にご飯が炊けるから、茶漬けなり冷蔵庫の総菜をおかずにするなり、適当に食べとけ。薬もちゃんと飲めよ」
「あーはいはいわかりましたー」

 投げやりな返答に苛立いらだって、食器を水切りかごに置く手が荒くなる。一度深呼吸をして、治める。物に当たったところで、気が晴れるわけでもない。うっかり割ったりすれば、苛立ちが増すだけだ。
 食器を片付けて、そういえば麦茶がそろそろなくなるなと薬缶やかんを火にかける。
 水出しのものもあるが、母や師が作っていたように、煮出す方が馴染みがある。年中麦茶をかすのは、その二人から受けいだ習慣だ。
 母と師が与えてくれたものが、随分とかぶっていると雪季が気付きはじめたのはいつ頃だっただろう。もしかすると師が敢えてなぞったのかも知れないと思いついたのは、一人暮らしを始めてからのことだ。ただ、もしそうだとしても、その理由まではよくわからない。
 かばんを取り、身支度も整えに自室に行き、リビングに戻っても英はテーブルに突っ伏したままでいた。

「河東。寝違えるぞ」
「寝てないって。…誘われたら、ちゃんと断れよ。喧嘩別れになってもいいから。会社とか仕事とか、どうでもいいから」
「どうでもよくないだろ」
「どうでもいい。俺、雪季のご飯好きだけど、一人で食べてもあんまりおいしくない」

 どういう駄々だだのこね方だろうと、雪季は英を見降ろした。
 一人で食べるよりも親しい人と食卓を囲んだ方が美味しく食べられるというのは往々にして言われることだが、英が言い出すとは思わなかった。それともこれも、一般論の加工品だろうか。
 どう返せばいいか思い浮かばず黙り込んでいると、英が言葉をいだ。

「仕事より、雪季が俺の相手をしてくれることの方が大切」
「…どこの王様と道化だ」

 英の後ろ頭をはたくと、痛い、というつぶやきめいた呻き声が聞こえた。こぶしでないだけ、病み上がりに手加減はしている。

「ちゃんと、食べて休んでろよ。何か要るものがあれば、適当に連絡入れてくれ」
「雪季が冷たいー」
「行ってきます」

 二人きりでこういった挨拶をきっちりするほどではないが、言い置いて行かないとずるずると会話が続きそうな気がして、雪季はそれで身をひるがえした。
 車は乗って出るが、果たして大人しくしているだろうかと一抹の不安は残った。
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