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昨日の未来
二日目
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その日の夜も、霧雨が降っていた。
この町では、雨の降らない日の方が少ない。いい加減、汚れきった空気を伝って降る雨が体に良くないだろうことは判っているが、それでも、霧夜は傘を差す気にはなれなかった。傘が嫌いなのか雨に濡れるのが好きなのか、よく判らない。
傘を差さない霧夜の隣を、やはり雨に濡れた羽澄が歩いていた。
「付き合うことはない。差せばいいだろう」
「いやまあ、俺もそう好きじゃないからな」
差し出された傘をまるきり無視して、羽澄は、頭の後ろで手を組んだ。軽く目を閉じて、瞼に細かな雨を受ける。
上下ともに黒の服を着て茶のジャケットを羽織った羽澄は、その色ごと、この町に馴染んでいた。
廃屋に見える崩れかけの建物にも、まず間違いなく人が住んでいる。ごみの散らばった汚い町角は、夜ともなれば灯りは乏しく、人身売買を行なう輩も闊歩する。いや、それは昼であっても大差はなく、軽犯罪まで数に入れれば、この町には犯罪者以外はいないかも知れない。
拒むことはないけれど、優しく迎え入れてくれることもない。それは、よくある町の姿だった。
それでも霧夜は、そんなこの町が嫌いではない。嫌いならばもっと楽だったかも知れないと思うが、そうはならなかった。生きることに必死で、そのくせ退廃しているような。そんな空気が、妙に愛しい。
「そういや、三谷のおやっさんの娘が行方不明なんだと」
何気なく唐突に、羽澄は言った。
三谷というのは、大きな組織の、半ばお抱え医者の名だ。羽澄も霧夜も、多少の面識はある。
「見事な金髪で、それは愛らしい女の子だとか。薫ってんだと」
含みのある口振りに、霧夜は睨み付けていた。しかし羽澄は、口の片端を上げて笑っている。
「ついでにおやっさんも、このところずーっと、金城のところにいるんだよなあ。今までは、日に一度は家に帰ってたっていうのにな」
にやにやと笑う羽澄の視線の先には、数人の男たちがいた。どれも、酔っ払いや、あるいは人身売買を目論むといった風ではない。見るからに、どこかの下っ端でしかない。
霧夜は、苦々しく溜息をついた。
「お前の職業を忘れていた」
「あっ、何それ、酷いなあ。俺、今日はずっとお前と一緒にいただろ。相棒を疑うなんて、そんな子に育てた覚えはないぞ」
「昨夜か」
軽口を無視して断定すると、霧夜は男たちを見据えた。
周囲はぐるりと取り囲まれている。この程度なら人数はあまり問題ではないが、もしも、秋衣たちにまで手が及んでいれば。がらくたを改造して、あの建物の周りはとりあえず守っているが、無事だろうか。
何かあれば――羽澄といえど、ただでは済まさない。
その気配を見取って、羽澄は口調を改めた。
「言っとくけど、俺、本当に何もしてないからな。俺の目論見は他にあるんだ。今は、こんなやつらは邪魔なんだよ。大体、お前の恨みを買うのだけはやめようって決めてるんだから」
「それを信じろと?」
「お前を怒らせたらとてつもなく容赦がないって知ってなかったら、とっくに秋衣や木曽のじーさんたち殺してでも今の生活なんか辞めさせてる」
「――そうか」
「ああ」
終始、淡々と言葉を交わして、二人は男たちに声をかけた。安っぽい挑発は、すぐに効果をあらわした。
この町では、雨の降らない日の方が少ない。いい加減、汚れきった空気を伝って降る雨が体に良くないだろうことは判っているが、それでも、霧夜は傘を差す気にはなれなかった。傘が嫌いなのか雨に濡れるのが好きなのか、よく判らない。
傘を差さない霧夜の隣を、やはり雨に濡れた羽澄が歩いていた。
「付き合うことはない。差せばいいだろう」
「いやまあ、俺もそう好きじゃないからな」
差し出された傘をまるきり無視して、羽澄は、頭の後ろで手を組んだ。軽く目を閉じて、瞼に細かな雨を受ける。
上下ともに黒の服を着て茶のジャケットを羽織った羽澄は、その色ごと、この町に馴染んでいた。
廃屋に見える崩れかけの建物にも、まず間違いなく人が住んでいる。ごみの散らばった汚い町角は、夜ともなれば灯りは乏しく、人身売買を行なう輩も闊歩する。いや、それは昼であっても大差はなく、軽犯罪まで数に入れれば、この町には犯罪者以外はいないかも知れない。
拒むことはないけれど、優しく迎え入れてくれることもない。それは、よくある町の姿だった。
それでも霧夜は、そんなこの町が嫌いではない。嫌いならばもっと楽だったかも知れないと思うが、そうはならなかった。生きることに必死で、そのくせ退廃しているような。そんな空気が、妙に愛しい。
「そういや、三谷のおやっさんの娘が行方不明なんだと」
何気なく唐突に、羽澄は言った。
三谷というのは、大きな組織の、半ばお抱え医者の名だ。羽澄も霧夜も、多少の面識はある。
「見事な金髪で、それは愛らしい女の子だとか。薫ってんだと」
含みのある口振りに、霧夜は睨み付けていた。しかし羽澄は、口の片端を上げて笑っている。
「ついでにおやっさんも、このところずーっと、金城のところにいるんだよなあ。今までは、日に一度は家に帰ってたっていうのにな」
にやにやと笑う羽澄の視線の先には、数人の男たちがいた。どれも、酔っ払いや、あるいは人身売買を目論むといった風ではない。見るからに、どこかの下っ端でしかない。
霧夜は、苦々しく溜息をついた。
「お前の職業を忘れていた」
「あっ、何それ、酷いなあ。俺、今日はずっとお前と一緒にいただろ。相棒を疑うなんて、そんな子に育てた覚えはないぞ」
「昨夜か」
軽口を無視して断定すると、霧夜は男たちを見据えた。
周囲はぐるりと取り囲まれている。この程度なら人数はあまり問題ではないが、もしも、秋衣たちにまで手が及んでいれば。がらくたを改造して、あの建物の周りはとりあえず守っているが、無事だろうか。
何かあれば――羽澄といえど、ただでは済まさない。
その気配を見取って、羽澄は口調を改めた。
「言っとくけど、俺、本当に何もしてないからな。俺の目論見は他にあるんだ。今は、こんなやつらは邪魔なんだよ。大体、お前の恨みを買うのだけはやめようって決めてるんだから」
「それを信じろと?」
「お前を怒らせたらとてつもなく容赦がないって知ってなかったら、とっくに秋衣や木曽のじーさんたち殺してでも今の生活なんか辞めさせてる」
「――そうか」
「ああ」
終始、淡々と言葉を交わして、二人は男たちに声をかけた。安っぽい挑発は、すぐに効果をあらわした。
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