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昨日の未来
一日目
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ハーブティーをカップに入れて、霧夜は椅子に座った。冷えた体を温めるように、カップを両手で抱えて、湯気の向こうをぼんやりと眺める。
この建物は、アパート状になっている。
一階で四部屋、計八部屋の二階建て。一応、正式に霧夜の持ち物ということになっているが、この町で、書類上の持ち主などということにどれほどの価値があるだろうか。
霧夜と秋衣がそれなりに平穏に居を構えていられるのは、このあたりで――闇医者を数に入れなければ――唯一の医師の助手という、そこに何割かの理由がある。
もう一人、半住人とでも呼ぶべき者もいるが、それが訪れると知る者の方が少ないのだから、こちらは関係ないだろう。
改造したキッチンは、そこだけ壁を取り払い、二部屋分の空間を繋げてある。どうせ食事は一緒にとるのだからと、外へ出る手間を省いたためだった。
「あたしの分もいれて」
向かいの椅子を引いて、秋衣が座る。秋雨に冷えた夜で、先程見た格好の上に、焦げ茶のカーディガンを羽織っていた。
一方の霧夜は、濡れきった白衣を脱いでタオルをおざなりに肩に掛けただけで、立ち上がるとタオルが落ちてしまった。
棚から秋衣のカップを取って、多めに入れておいたティーポットから注ぐ。それを秋衣に渡すと、先程まで座っていた椅子に座り直す。また、カップを両手で持つ。
秋衣も、霧夜に倣うようにティーカップを抱えた。霧夜の癖が移ってしまったらしく、無意識だろう。
「ありがと」
「――あの子は?」
「体拭いて着替えさせて、今はあたしのベッド。ずっとぼうっとしてたわ。一言も話さないで。…どこで見つけてきたの?」
「…道端で寝てたから。僕も、何も聞いてない」
責めるような調子を崩すことなく、秋衣は霧夜を見て溜息をついた。
「拾うのは勝手だけど、あたしに面倒をみさせること前提で連れて帰るのは、ちょっと図々しくない?」
「それは…悪いと思ったけど、でも、放っておくのも危ないし、女の子だから…」
実際、秋衣には迷惑をかけ通しで、悪いとは思っている。
そんな言葉を受けて、苦笑を浮かべかけて、押しつぶしたのが判った。秋衣は素直な分だけ、そういったことが判りやすい。
隠すためにか、浅く溜息を吐く。
「事情が事情だから仕方ないけど、今度からは無しにしてよね」
「…ごめん」
「謝るなら、はじめから拾ってこないで」
「ごめん」
それ以上に言える言葉もなく、俯く。
霧夜の拾い癖はいっそ見事なほどで、犬猫は恒例、インコにアルマジロ。そうして、今度は人間。――いや、秋衣も、拾ってここにいるようなものだから、「今度も」となるのかも知れない。
どれにも、最終的には落ち着き先を見つけるが、それまでの面倒は霧夜や秋衣が見ることになる。
「せめて、ありがとうくらい言ってもいいんじゃない?」
秋衣の言葉に、思わず顔を上げる。次いで、そこに笑みが浮かんだ。
本人に自覚はないが、秋衣が密かに「詐欺よ」と呟く笑顔だ。困ったように、秋衣は視線を逸らした。
「ありがとう、秋衣ちゃん」
「どういたしまして」
ごちそうさまと言って、秋衣は、空のカップを流しに置いて、部屋へと戻っていった。
その背を見送ってすっかりぬるくなったお茶を飲みきると、霧夜もカップを流しに置いて、ランタンの灯りを消した。
ズボンは濡れていたものが体温で生乾きになって、余計に気持ちが悪い。シャツも湿っている。一応風呂の設備はあって、湯船にゆったりとつかるのに未練がないわけではないが、今は疲れの方が勝る。
服だけ着替えて眠ってしまおう。――そんな素直な目論見は、しかし、寝室の戸を開けた途端に、総崩れの危機に瀕した。
まず、灯りがともっている時点で異常だ。
「よう」
ベッドの上でくつろいであぐらをかいているのは、上下とも黒の服を着た青年だった。ポケットには、黒眼鏡も差し込んである。素顔をさらした今は、人なつっこい笑みが浮かんでいた。
ランタンに灯りを入れたのも、この青年だろう。
しかし霧夜は、無言で、無断の侵入者に人差し指を向け、それを窓に向けた。出て行け。
「あ、ひでー。久しぶりに会う親友に、その態度はないだろー?」
「勝手に人の部屋に押し入るような親友なんて持った覚えはない。瞬殺されても文句は言えないはずだが、違うか」
「はあ。騙されてるぜ、秋衣ちゃん」
半眼で睨み付ける霧夜を前に、いくらかふざけた空気を持った青年は、そう言ってわざとらしく溜息をついた。
霧夜とこの青年との付き合いは、それなりに長い。知り合って、そろそろ十年ほどが経つことになる。霧夜のこれまでの生涯の、約半分だ。
「僕は疲れてるんだ。腐れ縁の馬鹿な先輩の長話につき合うつもりも義理もない」
「相変わらず容赦ないな、お前」
「手加減のいる相手じゃないからな」
更に言葉を重ねかけて、ようやく、青年のペースに乗せられていることに気付く。霧夜は、疲れたあたまを振った。
「とにかく眠らせてくれ。部屋の鍵はそこにあるし、ここで寝るなら布団は隣だ」
「なんだ、本当に疲れてるのか?」
追い払う口実だと思っていたのか、青年は、拍子抜けしたように霧夜を見遣った。
「ああ。帰ってくれるなら大歓迎だ」
いくら言っても動かない青年をベッドから追い払い、服を脱ぎ捨てて布団をかぶる。着替えはこの際、断念する。
思っていた以上に疲れていたのか、すぐに、霧夜は眠りに落ちていった。既に、緊張の糸は切れていたのかも知れない。
「…眠るの早すぎないか、おい?」
一人残された青年は、寝入って身動き一つない霧夜を、呆れたように見下ろした。長いまつげの伏せられた顔を覗き込んでも、何の反応もない。起きていれば、とりあえず拳くらいはとんでくるだろう。
少し馬鹿話をして、帰るつもりだったのだが。
「何か、こっちも面白そうなことになってそうだよな」
青年は、そう言って笑みを浮かべた。
普段は二人しかいない建物の中に、この夜は四人がいた。
この建物は、アパート状になっている。
一階で四部屋、計八部屋の二階建て。一応、正式に霧夜の持ち物ということになっているが、この町で、書類上の持ち主などということにどれほどの価値があるだろうか。
霧夜と秋衣がそれなりに平穏に居を構えていられるのは、このあたりで――闇医者を数に入れなければ――唯一の医師の助手という、そこに何割かの理由がある。
もう一人、半住人とでも呼ぶべき者もいるが、それが訪れると知る者の方が少ないのだから、こちらは関係ないだろう。
改造したキッチンは、そこだけ壁を取り払い、二部屋分の空間を繋げてある。どうせ食事は一緒にとるのだからと、外へ出る手間を省いたためだった。
「あたしの分もいれて」
向かいの椅子を引いて、秋衣が座る。秋雨に冷えた夜で、先程見た格好の上に、焦げ茶のカーディガンを羽織っていた。
一方の霧夜は、濡れきった白衣を脱いでタオルをおざなりに肩に掛けただけで、立ち上がるとタオルが落ちてしまった。
棚から秋衣のカップを取って、多めに入れておいたティーポットから注ぐ。それを秋衣に渡すと、先程まで座っていた椅子に座り直す。また、カップを両手で持つ。
秋衣も、霧夜に倣うようにティーカップを抱えた。霧夜の癖が移ってしまったらしく、無意識だろう。
「ありがと」
「――あの子は?」
「体拭いて着替えさせて、今はあたしのベッド。ずっとぼうっとしてたわ。一言も話さないで。…どこで見つけてきたの?」
「…道端で寝てたから。僕も、何も聞いてない」
責めるような調子を崩すことなく、秋衣は霧夜を見て溜息をついた。
「拾うのは勝手だけど、あたしに面倒をみさせること前提で連れて帰るのは、ちょっと図々しくない?」
「それは…悪いと思ったけど、でも、放っておくのも危ないし、女の子だから…」
実際、秋衣には迷惑をかけ通しで、悪いとは思っている。
そんな言葉を受けて、苦笑を浮かべかけて、押しつぶしたのが判った。秋衣は素直な分だけ、そういったことが判りやすい。
隠すためにか、浅く溜息を吐く。
「事情が事情だから仕方ないけど、今度からは無しにしてよね」
「…ごめん」
「謝るなら、はじめから拾ってこないで」
「ごめん」
それ以上に言える言葉もなく、俯く。
霧夜の拾い癖はいっそ見事なほどで、犬猫は恒例、インコにアルマジロ。そうして、今度は人間。――いや、秋衣も、拾ってここにいるようなものだから、「今度も」となるのかも知れない。
どれにも、最終的には落ち着き先を見つけるが、それまでの面倒は霧夜や秋衣が見ることになる。
「せめて、ありがとうくらい言ってもいいんじゃない?」
秋衣の言葉に、思わず顔を上げる。次いで、そこに笑みが浮かんだ。
本人に自覚はないが、秋衣が密かに「詐欺よ」と呟く笑顔だ。困ったように、秋衣は視線を逸らした。
「ありがとう、秋衣ちゃん」
「どういたしまして」
ごちそうさまと言って、秋衣は、空のカップを流しに置いて、部屋へと戻っていった。
その背を見送ってすっかりぬるくなったお茶を飲みきると、霧夜もカップを流しに置いて、ランタンの灯りを消した。
ズボンは濡れていたものが体温で生乾きになって、余計に気持ちが悪い。シャツも湿っている。一応風呂の設備はあって、湯船にゆったりとつかるのに未練がないわけではないが、今は疲れの方が勝る。
服だけ着替えて眠ってしまおう。――そんな素直な目論見は、しかし、寝室の戸を開けた途端に、総崩れの危機に瀕した。
まず、灯りがともっている時点で異常だ。
「よう」
ベッドの上でくつろいであぐらをかいているのは、上下とも黒の服を着た青年だった。ポケットには、黒眼鏡も差し込んである。素顔をさらした今は、人なつっこい笑みが浮かんでいた。
ランタンに灯りを入れたのも、この青年だろう。
しかし霧夜は、無言で、無断の侵入者に人差し指を向け、それを窓に向けた。出て行け。
「あ、ひでー。久しぶりに会う親友に、その態度はないだろー?」
「勝手に人の部屋に押し入るような親友なんて持った覚えはない。瞬殺されても文句は言えないはずだが、違うか」
「はあ。騙されてるぜ、秋衣ちゃん」
半眼で睨み付ける霧夜を前に、いくらかふざけた空気を持った青年は、そう言ってわざとらしく溜息をついた。
霧夜とこの青年との付き合いは、それなりに長い。知り合って、そろそろ十年ほどが経つことになる。霧夜のこれまでの生涯の、約半分だ。
「僕は疲れてるんだ。腐れ縁の馬鹿な先輩の長話につき合うつもりも義理もない」
「相変わらず容赦ないな、お前」
「手加減のいる相手じゃないからな」
更に言葉を重ねかけて、ようやく、青年のペースに乗せられていることに気付く。霧夜は、疲れたあたまを振った。
「とにかく眠らせてくれ。部屋の鍵はそこにあるし、ここで寝るなら布団は隣だ」
「なんだ、本当に疲れてるのか?」
追い払う口実だと思っていたのか、青年は、拍子抜けしたように霧夜を見遣った。
「ああ。帰ってくれるなら大歓迎だ」
いくら言っても動かない青年をベッドから追い払い、服を脱ぎ捨てて布団をかぶる。着替えはこの際、断念する。
思っていた以上に疲れていたのか、すぐに、霧夜は眠りに落ちていった。既に、緊張の糸は切れていたのかも知れない。
「…眠るの早すぎないか、おい?」
一人残された青年は、寝入って身動き一つない霧夜を、呆れたように見下ろした。長いまつげの伏せられた顔を覗き込んでも、何の反応もない。起きていれば、とりあえず拳くらいはとんでくるだろう。
少し馬鹿話をして、帰るつもりだったのだが。
「何か、こっちも面白そうなことになってそうだよな」
青年は、そう言って笑みを浮かべた。
普段は二人しかいない建物の中に、この夜は四人がいた。
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