92 / 95
道案内の顛末 2009/6/19
しおりを挟む
「あの、すみません」
「は?」
暮れて行く空の下でぼんやりと友人を待っていたら、声をかけられた。おずおずとした声に顔を上げれば、まだ小学生くらいの男の子が、申し訳なさそうなかおで立っていた。
駅前とあって人通りは多く、金曜の夕方だからか行き交う人たちの足取りも、心なし軽い。さっきから、幾つもの足が目の前を通り過ぎて行った。その中にも子どものものは幾つもあって、駅ビルの中に学習塾があるから珍しくもない光景だ。
だが少年は、一目でそれと判る塾のカバンは持っていなかった。それどころか、荷物らしき荷物もない。
多くの人の中から私を選んで声をかけてきたのは、せわしげな人たちの中で、閑そうに見えたからだろうか。まあ実際、閑だ。約束の時間より少し早く着いてしまい、時間を持て余していた。
少年は、有名な中華料理のチェーン店の名前を上げ、その場所を知らないかと不安げに尋ねてきた。
束の間考え込んだのは、その店の場所が判らなかったからではなく、判ってはいるもののさてどうやって教えればいいんだと悩んだからだった。
歩いても五分とかからない距離にあるから、いっそ一緒に行った方が早い。が、友人と待ち合わせの最中だ。
言葉で説明できるかとためらいつつ口を開こうとしたら、携帯電話が震えた。一瞬迷ったものの友人の名が表示されていて、少年に短く断って通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、もしもしー? ごめん、ちょっと長引いて、今出たとこで。今向かってます』
「ああ、そうなんだ。どのくらいかかる?」
『えー? 十分…十五分、くらいあれば』
「そっか。わかった、頑張って来いー」
あっさりと通話を終えて、少年を見る。もしかしたらこの間にどこかに行ってしまうかと思ったが、少し困ったようなかおをした少年は、所在無げにやはりそこに立っていた。
今度は、あまり迷わなかった。
「えーと、こっち」
ぱっと顔が輝き、駆け出そうとする少年に慌てる。指差した方向に向かっているが、そこを真っ直ぐ行けばいいわけではなくて、角を二つ三つ曲がる。それが、説明を危踏んだ理由だ。
「案内するよ。…急いでる?」
「ううん。ありがとうございます」
やはり少し困ったように、でも嬉しそうに頭を下げる。随分と礼儀正しい子どもだ。はて私は、このくらいの年齢のときにちゃんとこんなことが言えただろうか。
腰掛けていた花壇の縁から立ち上がり、心持ち先立って、実際のところはほぼ並んで歩き始める。
雑踏ではぐれないように、ちらちらと少年を窺う。何か話したほうがいいのかとも思ったが、人付き合いは得意ではない上に子どもは更に不得手だ。案内しようと即断したことすら、実のところ我ながら驚いている。
ざわめきのおかげでさほど気まずくもなく、角を二つ曲がり、店のある通りに出る。ここも、変わらず人通りが多い。が、パチンコ店があるためか、元いた通りよりも雑然とした感じが強くなる。
「ほら、あそこ」
看板が見えて、ほっとして指差す。間違えてなくて良かった、と、密かに胸を撫で下ろす。
少年は、今度こそ駆け出した。ありがとう、との言葉もなく、意外な気がして呆気に取られてその背を見送る。少年の姿は、人込みにまぎれた。
携帯電話が震える。
「…もしもし?」
『あっ、ちょっと今どこ? ケータイ繋がらないし、何やってんの!』
耳慣れた友人の声が、少々怒ったように放たれる。時計を見れば、先ほどの連絡からまだ数分も経っていない。
「どこって…もう着いたの? 十分くらいかかるって言ってなかった?」
『はあ? 何それ?』
「何って…さっき、遅れるって連絡…」
『してないよ』
「え?」
何それ。
雑踏で私は一人、首を傾げた。これは怪異譚なのか、何かの勘違いか…あの少年は実在していたのか、それとも友人がからかっているのか。
「は?」
暮れて行く空の下でぼんやりと友人を待っていたら、声をかけられた。おずおずとした声に顔を上げれば、まだ小学生くらいの男の子が、申し訳なさそうなかおで立っていた。
駅前とあって人通りは多く、金曜の夕方だからか行き交う人たちの足取りも、心なし軽い。さっきから、幾つもの足が目の前を通り過ぎて行った。その中にも子どものものは幾つもあって、駅ビルの中に学習塾があるから珍しくもない光景だ。
だが少年は、一目でそれと判る塾のカバンは持っていなかった。それどころか、荷物らしき荷物もない。
多くの人の中から私を選んで声をかけてきたのは、せわしげな人たちの中で、閑そうに見えたからだろうか。まあ実際、閑だ。約束の時間より少し早く着いてしまい、時間を持て余していた。
少年は、有名な中華料理のチェーン店の名前を上げ、その場所を知らないかと不安げに尋ねてきた。
束の間考え込んだのは、その店の場所が判らなかったからではなく、判ってはいるもののさてどうやって教えればいいんだと悩んだからだった。
歩いても五分とかからない距離にあるから、いっそ一緒に行った方が早い。が、友人と待ち合わせの最中だ。
言葉で説明できるかとためらいつつ口を開こうとしたら、携帯電話が震えた。一瞬迷ったものの友人の名が表示されていて、少年に短く断って通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、もしもしー? ごめん、ちょっと長引いて、今出たとこで。今向かってます』
「ああ、そうなんだ。どのくらいかかる?」
『えー? 十分…十五分、くらいあれば』
「そっか。わかった、頑張って来いー」
あっさりと通話を終えて、少年を見る。もしかしたらこの間にどこかに行ってしまうかと思ったが、少し困ったようなかおをした少年は、所在無げにやはりそこに立っていた。
今度は、あまり迷わなかった。
「えーと、こっち」
ぱっと顔が輝き、駆け出そうとする少年に慌てる。指差した方向に向かっているが、そこを真っ直ぐ行けばいいわけではなくて、角を二つ三つ曲がる。それが、説明を危踏んだ理由だ。
「案内するよ。…急いでる?」
「ううん。ありがとうございます」
やはり少し困ったように、でも嬉しそうに頭を下げる。随分と礼儀正しい子どもだ。はて私は、このくらいの年齢のときにちゃんとこんなことが言えただろうか。
腰掛けていた花壇の縁から立ち上がり、心持ち先立って、実際のところはほぼ並んで歩き始める。
雑踏ではぐれないように、ちらちらと少年を窺う。何か話したほうがいいのかとも思ったが、人付き合いは得意ではない上に子どもは更に不得手だ。案内しようと即断したことすら、実のところ我ながら驚いている。
ざわめきのおかげでさほど気まずくもなく、角を二つ曲がり、店のある通りに出る。ここも、変わらず人通りが多い。が、パチンコ店があるためか、元いた通りよりも雑然とした感じが強くなる。
「ほら、あそこ」
看板が見えて、ほっとして指差す。間違えてなくて良かった、と、密かに胸を撫で下ろす。
少年は、今度こそ駆け出した。ありがとう、との言葉もなく、意外な気がして呆気に取られてその背を見送る。少年の姿は、人込みにまぎれた。
携帯電話が震える。
「…もしもし?」
『あっ、ちょっと今どこ? ケータイ繋がらないし、何やってんの!』
耳慣れた友人の声が、少々怒ったように放たれる。時計を見れば、先ほどの連絡からまだ数分も経っていない。
「どこって…もう着いたの? 十分くらいかかるって言ってなかった?」
『はあ? 何それ?』
「何って…さっき、遅れるって連絡…」
『してないよ』
「え?」
何それ。
雑踏で私は一人、首を傾げた。これは怪異譚なのか、何かの勘違いか…あの少年は実在していたのか、それとも友人がからかっているのか。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる