地球と地球儀の距離

来条恵夢

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タソカレハイケイ 2007/4/26

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 タソガレ、という言葉の由来は知っている。
 多分古典で、そうでなかったら、入学したてのときだけちょっとしゃべった金森から聞いたんだと思う。
 タソガレは「タレソカレドキ」、「彼時かれとき」。つまり、あいつは誰だと、そうきかなければいけないくらいによく見えない時間だというのが由来。ちなみに、明け方は「カワタレドキ」、「誰時たれとき」。言ってることは同じなのに、ちょっとのことで区別をつけようとする。
 またそれとは別に、夕方には「オウマガトキ」、「が時」、妖怪とか、何かよくわからないものにうっかり逢ってしまう時間だなんて呼び方もあるとか。これは確実に、あの地味な金森から聞いたハナシ。

 ――そんなこと、どうでもいいんだけど。

 そんなどうでもいいような知識、でもきっとうちの学校のではほとんどが知っているに違いない。
 この学校には、「黄昏時たそがれどきには逢いたい人に逢える――この世にいない人でも、というかそっちがメイン」という噂がある。しかも、「友達の友達」じゃない体験談もたくさん。

「…ったく誰よー、クジにこんなのまぜたヤツー」

 タダイマ、あたしは教室でたった一人。窓の外からは運動部のかけ声やら吹奏楽部の演奏やらが聞こえてきて、活気はあるけど遠い。多分、青春ってヤツ。ああ、暑苦しい。
 昼休みのヒマつぶし、大富豪で負けて引いた四つ折の紙には、「黄昏時を試してみる」という一文。わざと書いたような走り書きで、誰の字かはよく判らなかった。

 「黄昏時」。

 それが、この学校の公然のヒミツ、ウワサの的。方法はカンタン、ただただ、放課後の学校にいればいい。夕方、つまりは黄昏時に。ただし、必ず一人で。
 放課後っていったって部活をしてる子も先生もたくさん残ってるから、一人になれる場所ってのは案外少ない、らしい。トイレの個室にこもったけど、何しろ個室、誰か他の人が入れるわけもなくて結局誰にも会えなかった、なんて笑い話もある。
 それを考えるとあたしは、教室でぼんやり座ってるだけで目的を果たせそうなんだからついてるのかもしれない。

 ――っていったって、逢いたい死人なんていないんだけど。

 この季節、黄昏時は大体下校時間に重なる。下校時間になると校内放送がかかるから、それをケータイで中継すれば、任務完了。
 つまりは、あともうすこし、ぼーっとしてないといけないわけだ。

「あー、ひま。ねちゃおっかなー。…でも、それで誰にも気付かれなくって起きたら夜、とかヒサンよねー」

 ついついこぼれる独り言。この前なんて、うっかりテレビ相手にしゃべってて自分でひいた。一応、一人暮らしでもないのに、まだ高校生だってのに、それってどうよ。
 それにしても退屈で、本当に寝ようかな、と、ちょっと目をつぶった。

「ねー、居眠りするなら家帰った方がいいんじゃない?」
「え」

 いきなりの声に、突っ伏していた顔を上げる。電気もつけてないから、顔までははっきりとは見えないけど、制服を着た女の子だってことは判った。
 ――ちょっと待ってよ、ここまで来てやり直し? 

「いくら春だからって、こんなところで寝たら風邪引くわよ? 今の時期、朝晩は冷え込むんだから」
「…うるさい。何、あんた」
「ほらほら。それでなくたって、季節の変わり目は体調崩しやすいんだから。馬鹿なことしてないで、早くお帰りなさいな」 
「うざ」

 そろそろ下校を呼びかける放送の流れる時間で、ここにいればこの女がずっと話しかけてきそうで、かばんをつかんで立ち上がる。
 最後の最後で、ついてない。

「その言葉遣いはないでしょう、女の子なのに」
「…はあ?」

 変な女。
 思わずにらんだけど、相手にしないほうがいい。とっととここを出よう。出ようと――した。

「あのねーヨウちゃん。もっと自分を大事にしてやりなさいな。自分のことを一番思いやれるのが自分なんだから。お父さん、一人になっちゃって忙しいしね」
「……え…?」

 あたしをヨウちゃんなんて呼ぶのは、一人だけ。だって、縮めるほどの長さもないし言いにくいわけでもない名前で。そのクセ、その名前を選んだ片方が、いつもそうやって呼んだ。
 思わず振り向くと、明るいのに暗い、妙に見えない教室に、ぽつんと一人が立っていた。暗くて、顔なんて判らない。だって今は。

「…あなた、だれ…?」
「さあ、誰でしょう?」
「ふざけないで!」
「言わないわよ、照れ臭い」

 楽しそうな声に、何も言えなくなった。どうして。言いたいことは、たくさんあって、それなのにどうして、何一つ声にできないの。
 きっと、生まれて生きてきた中で一番、今が悔しい。――どうして!

「ま、わたしは向こうでのんびりしてるから、お父さんには急がないでいいって言っておいてね。ヨウちゃんは、もっともっとゆっくりでいいわよー。親としては、子どもに先越されるのイヤだしね」

 ぷつりと、放送の入る前のかすかなノイズが聞こえた。

『――下校時刻になりました。校内の生徒は――』

 見回りに来た先生に追い出されたときには、すっかり夜になっていた。時間はそんなにたってないはずなのに、ずいぶん暗い。星まで、出てきていた。
 暗くなりきるとそれはそれでそれなりに、人の顔も判るから不思議だ。明るいのによく見えないあの時間は、一体何なんだろう。
 ぼんやりとバスを待っていたら、ケータイがノーテンキにカルトの新曲を歌った。

「――何?」
『どーだったー?』
「何が?」
『何がって、黄昏時じゃん、黄昏時! 何か出た?』

 実況中継をする相手は一人だけ、適当に選ぶつもりで決めてもなかったから、気になってかけてきたんだろう。明日学校でわかるってのに、せっかちだ。
 直接会ってしゃべるのとは少し違った感じで、ユキの声が聞こえる。やけにはしゃいでる。

「うん」
『やっぱり?! スゴイスゴイ、誰?』
「――お母さん」

 あ、と言って、気まずそうに黙り込んだ。うん、自分のことでもないことなんて、カンタンに忘れちゃう。でもそれは、別に悪いことじゃない。遠慮ばっかりされるのも困るし。
 なんだかちょっと、笑っちゃった。

「それが、制服着ててさ。いくらなんでも若作りにもほどがあると思わない?」
『せーふくー?』
「そ。あ、バス来たから切るね。くわしくはまた明日」
『えー!』
「じゃね、ばいばい」

 バスが来たのは本当で、話し終えたケータイをかばんに放り込む。
 あの紙を入れたのが誰だったか知らないけど、わかったらお礼くらい言おうかなと、ちょっと思った。
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