地球と地球儀の距離

来条恵夢

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加担 2007/1/27

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「身代わり受験?」

 何か聞き間違えただろうか、それとも漢字変換や文節の区切りが間違っているだろうか。未月ミツキは、きょとんとして母の顔を見た。ちなみに、父は今日も元気に単身赴任中だ。
 だが期待に反し、母はにっこりと微笑ほほえんだ。

「そう。だってもう、そうするしかないでしょう? あの子、あの調子で試験が受けられると思う?」
「いやそれは――あたしも無理だと思う」
「でしょう? だからここは、あんたが受けて、見事合格して見せなさい」
「いや、それおかしいって、まずいって! お母さん、正気? 下手したら法律にも引っかかるんじゃないのそれ、身分詐称とか」

 ぽかんとして、何だかまばたきの回数が多くなる。
 それに対して母は、にこにこと、曇りのない笑顔だ。いつも思うが、この人は何故こうも笑顔になると若返るのか。とてもじゃないが、高校受験を控えた二人の子どもを持つ主婦とは思えない。結婚自体は早かったのになかなか子どもができず、そろそろ五十に届こうかという年齢のはずなのに。 
 母はきらきらとした、少女の笑みを撒き散らす。

「昨日、弘司さんと電話で話してて、とりあえずやるだけやってみちゃおっかー、ってことになってね」
「そ、そんなこと話してたの、昨日」

 両親の長電話は日常のひとコマで、せっせと香月カツキの看病をしていた未月は、内容にはとんと注意を払っていなかった。
 思わず炬燵こたつ机を叩きつけ、未月は身を乗り出した。

「無理に決まってるでしょ?!」
「えー、どうして? あんたたち双子でもないのに、取り違えられそうなくらいにそっくりじゃない」

 それが親の言葉か、と言いたくなるが、そう言いながら両親が未月と香月を取り違えたことはないのだから、悪気も含みもないのだろう。実際、この頃ようやく減ってきたが、少し前までは初対面なら確実に見分けをつけてもらえなかった。
 香月は予定よりも一月近く早く生まれてしまったために、未月と同じ学年に滑り込んでしまった。
 おまけに未熟児だったからか幼年時は虚弱体質で、家族の愛情と注目を一身に浴びて育ってきた。今ではうまくすればスポーツ推薦も狙えたかもしれないというほどになっていたが、身内の対応は今も変わらず甘々だ。

「お母さん、お忘れかもしれませんけど、あたしも受験生なんですけど?」
「やっだー、まだ十一月じゃない。大体、あんたの成績で今西落ちるなんてまずないんでしょ?」
「…そーいう問題じゃなくってね…?」

 実際、推薦入試がいくつかはあるが、本入試はまだ先だ。しかも未月は、成績はそう悪くないところに、行きたい高校がぎりぎり進学校かもしれない、という微妙なラインのため、受ける模擬試験全てでA判定を勝ち取っている。
 しかしそれとこれとは別問題で、そこのところをどう説明したものかと、未月は頭を悩ませた。
 まず、正攻法。

「あのね、ばれたりしたら、下手したらあたしも香月もこの辺りの高校、ううん、私立は全国規模かもしれない、入学拒否されかねないのよ?」
「ばれなきゃいいじゃない」
「ばれるわよ! 一日だって難しいのに三泊四日の非常識な試験で、どうやったってあたしが女だってばれるわよ!」
「えー?」

 香月は未月のれっきとした弟で、いくらか成長が遅い気もしないではないが、いい加減諸々の差がつき始めている。
 不満そうな母を、未月は半眼で睨みつけた。

「さっき言ったよね、まだ十一月って。本入試までまだ時間はあります。それまでみっちり勉強すれば…」
「あの子が入れる高校、あると思う?」
「…ある、んじゃあない…かなあ…。ほ、ほら、少子化、問題になってるし!」
「でもあの子、この間も試験、零点で持って帰って来てたわよ。先生が補修で何とかします、って請合ってくれたけど」

 未月は、母と顔をあわせ、深々と溜息をついた。
 香月は頭が悪いわけじゃない、覚える気がないだけだ、とは共通の主張で、もしかすると身内の欲目かも知れないが、確かめる勇気はない。
 しかしだからこそスポーツ推薦しかないかと思っていたのだが、先日、サッカー部を辞めて帰って来てしまった。曰く、「どうも向いてなかったみたいなんだよね」。…もっと早く気付け。

「もういっそ、進学諦めたら? 働くとか、専門学校行くとか。好きなことについてだったら吸収早いんだから、しばらくバイトして探すとか」
「うーん、でもねえ、行きたがってたのよ。あの子」
「え」

 絶句。
 試験前にノートや教科書を広げて躍起に勉強する未月と違い、香月はいつも、のんびりと腹筋や背筋を鍛えていた。勉強しないのかと訊くと、その気になったらね、という回答。
 だから未月はてっきり、進学そのものに興味はないと思っていた。友人くらい、人懐ひとなつっこい香月であればどこでだって作れるはずで、彼に学校という枠組みは必要がないと思っていた。

「あたし…聞いてない…」
「ほら、あんたは忙しかったから…わざと黙ってたわけじゃないと思うわよ?」
「…うん」

 急激に元気をなくした未月に、母が慰めの声をかけてくれる。うつむいていた未月は、だから、声をかけられるまで気づかなかった。

「いいよ、無茶しなくて」
「香月!」
「かっちゃん、寝てなさい!」

 まだほとんど声変わりをしていない、未月とよく似た声で、カーディガンの上にどてらまで羽織った少年は、ふらりと居間に姿を見せた。
 熱のせいで上気した頬が、下手をすれば未月よりも女の子っぽい。
 慌てて駆け寄った母に苦笑して、香月は炬燵にもぐりこんだ。そして上目遣いに、未月を見つめる。

「俺の学力で行けそうなとこないし。夜間とか通信制とか、探してみる」
「…よく知ってたね、夜間とか通信制とか」
「進路指導室の常連だよ、俺」

 思わず口走った未月にいよいよ苦笑いを浮かべて、いでき込む。未月が背中をさすっていると、母が飴湯を持って来た。生姜の匂いが、ふわりと漂う。
 そのときには、未月は覚悟を決めていた。

「香月」
「うん?」
「落ちても恨まないでね」
「うん…て、え?」
「お母さん、さらし買って来て。えっと、あんたの志望理由って何?」
「えーっと…未月?」

 戸惑うように、しかし高熱で潤んだ眼を向ける香月ににっこりと笑いかけ、未月は立ち上がった。

「やれるだけやってみるわ。うん、このくらいの演技ができないと、役者なんて無理よね」
「それは…何か違うと思うよ、未月」

 香月の呟きをきっぱり無視して、未月はこぶしを握り締めた。
 ――そう、昔から全員一致でこの末っ子には甘いのだ。勿論、一年も年の離れていない未月も、例外ではない。
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