71 / 95
夢 売ります/買います 2006/4/6
しおりを挟む
『 夢 売ります/買います 』
見覚えのない看板に、完は足を止めていた。
これが、街頭占い師の類だったら素通りしただろうが、ちゃんとした一軒屋。建物自体は、そういえば前からあったような気もする。しかし、縦に書かれた昔の診療所のようなこの看板は、断じてなかった。
「夢?」
呟いてみる。悪夢や吉夢といった睡眠時のものか、将来の夢といった展望か、そのどちらかが即座に思い浮かぶが、どちらも売り買いできるようなものではないはずだが。
どうしたものか。
別段、用事のない昼下がりではある。しかしだからといって、怪しげな得体の知れない見せに入りたいとは思わない。何なのか、気になるところではあるが。
帰るかと、足を動かしかけたときだった。
「あなた、入るの、入らないの?」
内側から外開きの扉を開けたのは、どこかの学校の制服を着た少女だった。高校生だろうか。長く垂らした髪は、緩やかに波打っている。
「気付いてないかもしれないけど、結構長く立ち止まってたわよ? 気になるなら、入れば? 入場料なんて取らないわよ」
「え、いや――」
「違ったのね、ごめんなさい」
待った、と咄嗟に声をかけてしまったのは、断じて、少女が美人だったからではない。…と、思いたい。
気付けば完は、木と埃の臭いのしそうな店内に足を踏み入れていた。プリーツスカートを翻した少女は、入ってすぐのカウンター台の向こうに行ってしまう。
まさか、あの少女が店主なのか。どう考えても高校生以上ではなく、完よりも年下だというのに。
だがその予想は、あっさりと覆された。
「いらっしゃい。悠が、無理な勧誘をしたようだね。お詫びといっては何だけど、どうぞ好きに見て行って」
馴れ馴れしくはない砕けた調子で言ったのは、白衣を羽織った青年――女性? だった。卵形の顔の輪郭に沿ったような短い髪といい、体型の判らない服装といい、性別が不明だ。声までも、中性的だ。
完は曖昧な返事をして、とりあえず目線を逸らし、狭い店内をぐるりと見遣った。
ガラス戸棚が壁に沿って並べられ、中には小瓶が納まっている。
大きさも色形も様々で、それが商品なのかと、一瞬だけ思った。だがよく見てみると、瓶に括りつけられた札に、「野球選手になる」「ピアノの先生になる」「好きな人のお嫁さん」「ゼリーの海で泳ぎたい」「課長を殴る」などと、様々に読みやすい小さな字で書き付けられている。
「それが夢だよ。正確には、夢の容器」
カウンターから出てきたその人は、そう行って完の隣に並んだ。完と同じくらいの二十歳前後にも見えるが、逆に、実は四十台だと言われても肯けてしまいそうでもある。年齢も不詳だ。
その人は、白いすらりとした指でガラス戸を空け、王冠のような栓の銀色の瓶を取った。
「例えばこの中には、ある人の王様になる、という夢が詰められている」
「王様?」
「小さな頃に絵本で読んで、それ以来ずっと夢だったらしいよ。でも、日本は王制ではないし王制の国でも、突然来た外国人がなることは難しい。かといって、今のご時勢、国を立ち上げるのもまず無理だ。そうして彼は、諦めきれない夢を売りに来た」
狐につままれたよう、というのはこういうことを言うのかもしれない。そういえばこの人は、少し吊り目気味で狐に似ていなくもない。
そんな完の反応を読み取ったのか、くすりと笑った。
「どうせだから、ひとつ試してみる? 今なら、開店記念でおまけしてもいいよ。靴屋を持つ夢なんてどうかな。風呂敷で空を飛ぶ夢は?」
「からかわないでください」
「からかってなんてないんだけど。どうしてかな、大抵の人はそう言うよ」
冗談以外の何だというのか。そう思ったが、嘘を言っているようには思えず、糾弾することはなかった。
代わりに、戸棚を見回して、「池に張った氷でスケートをする」という札を見つける。瓶は、ぎざぎさに削られた多面の三角錐。
完は、冬が嫌いだ。冬のスポーツは、更に嫌いだ。何を好き好んで、寒いところに出て行かなければならないのか。
「あれ、いいですか」
「アイススケート? いいけど、安全を確認してやらないとだめだよ」
言って足音も立てずに移動してガラス戸を引く。小瓶を取り出すと、代わりに王冠型の栓のものをそこに置いた。
完の目高さに瓶を持って、尖った栓を抜く。
低く高い不思議な、旋律めいたものがその人の口から出た。徐々に、それが風の音のように、木々の呼吸の音のように聞こえてくる。
ふうと、何かが吹いてきた心地がした。
「さあ、これでいい」
突然引き戻された完は、声もなく瞬きを繰り返した。今自分は、どこにいただろうか。この小さな店から、一歩たりとも動いてはいないはずだが。
その人は、それが地顔のように微笑んだ。
「また何か、ほしい夢があればどうぞ。眺めているだけでも楽しいから、来るだけでもいいよ。ああ、売りたい夢があればそれも歓迎」
「…お邪魔しました」
「はい、ありがとうございました」
にこやかに送り出され、そういえばあの少女はどうしたのだろうと、思いながら外に出た。外は春風で、わずかに冷たい冬の名残を残していた。少なくとも一年以上待たないと、と思った後に、何をだと思って愕然とした。
青年が出て行くと、樹はカウンターの中に戻った。椅子に座り、ほおづえをついて店内をぼんやりと見つめる。
「悠。どうして、私の前には姿を現してくれないんだ」
「そんなことないわよ」
「見えないよ、悠」
呟くような声で、誰もいない、瓶だけがひしめく場所に視線を彷徨わせた。
見覚えのない看板に、完は足を止めていた。
これが、街頭占い師の類だったら素通りしただろうが、ちゃんとした一軒屋。建物自体は、そういえば前からあったような気もする。しかし、縦に書かれた昔の診療所のようなこの看板は、断じてなかった。
「夢?」
呟いてみる。悪夢や吉夢といった睡眠時のものか、将来の夢といった展望か、そのどちらかが即座に思い浮かぶが、どちらも売り買いできるようなものではないはずだが。
どうしたものか。
別段、用事のない昼下がりではある。しかしだからといって、怪しげな得体の知れない見せに入りたいとは思わない。何なのか、気になるところではあるが。
帰るかと、足を動かしかけたときだった。
「あなた、入るの、入らないの?」
内側から外開きの扉を開けたのは、どこかの学校の制服を着た少女だった。高校生だろうか。長く垂らした髪は、緩やかに波打っている。
「気付いてないかもしれないけど、結構長く立ち止まってたわよ? 気になるなら、入れば? 入場料なんて取らないわよ」
「え、いや――」
「違ったのね、ごめんなさい」
待った、と咄嗟に声をかけてしまったのは、断じて、少女が美人だったからではない。…と、思いたい。
気付けば完は、木と埃の臭いのしそうな店内に足を踏み入れていた。プリーツスカートを翻した少女は、入ってすぐのカウンター台の向こうに行ってしまう。
まさか、あの少女が店主なのか。どう考えても高校生以上ではなく、完よりも年下だというのに。
だがその予想は、あっさりと覆された。
「いらっしゃい。悠が、無理な勧誘をしたようだね。お詫びといっては何だけど、どうぞ好きに見て行って」
馴れ馴れしくはない砕けた調子で言ったのは、白衣を羽織った青年――女性? だった。卵形の顔の輪郭に沿ったような短い髪といい、体型の判らない服装といい、性別が不明だ。声までも、中性的だ。
完は曖昧な返事をして、とりあえず目線を逸らし、狭い店内をぐるりと見遣った。
ガラス戸棚が壁に沿って並べられ、中には小瓶が納まっている。
大きさも色形も様々で、それが商品なのかと、一瞬だけ思った。だがよく見てみると、瓶に括りつけられた札に、「野球選手になる」「ピアノの先生になる」「好きな人のお嫁さん」「ゼリーの海で泳ぎたい」「課長を殴る」などと、様々に読みやすい小さな字で書き付けられている。
「それが夢だよ。正確には、夢の容器」
カウンターから出てきたその人は、そう行って完の隣に並んだ。完と同じくらいの二十歳前後にも見えるが、逆に、実は四十台だと言われても肯けてしまいそうでもある。年齢も不詳だ。
その人は、白いすらりとした指でガラス戸を空け、王冠のような栓の銀色の瓶を取った。
「例えばこの中には、ある人の王様になる、という夢が詰められている」
「王様?」
「小さな頃に絵本で読んで、それ以来ずっと夢だったらしいよ。でも、日本は王制ではないし王制の国でも、突然来た外国人がなることは難しい。かといって、今のご時勢、国を立ち上げるのもまず無理だ。そうして彼は、諦めきれない夢を売りに来た」
狐につままれたよう、というのはこういうことを言うのかもしれない。そういえばこの人は、少し吊り目気味で狐に似ていなくもない。
そんな完の反応を読み取ったのか、くすりと笑った。
「どうせだから、ひとつ試してみる? 今なら、開店記念でおまけしてもいいよ。靴屋を持つ夢なんてどうかな。風呂敷で空を飛ぶ夢は?」
「からかわないでください」
「からかってなんてないんだけど。どうしてかな、大抵の人はそう言うよ」
冗談以外の何だというのか。そう思ったが、嘘を言っているようには思えず、糾弾することはなかった。
代わりに、戸棚を見回して、「池に張った氷でスケートをする」という札を見つける。瓶は、ぎざぎさに削られた多面の三角錐。
完は、冬が嫌いだ。冬のスポーツは、更に嫌いだ。何を好き好んで、寒いところに出て行かなければならないのか。
「あれ、いいですか」
「アイススケート? いいけど、安全を確認してやらないとだめだよ」
言って足音も立てずに移動してガラス戸を引く。小瓶を取り出すと、代わりに王冠型の栓のものをそこに置いた。
完の目高さに瓶を持って、尖った栓を抜く。
低く高い不思議な、旋律めいたものがその人の口から出た。徐々に、それが風の音のように、木々の呼吸の音のように聞こえてくる。
ふうと、何かが吹いてきた心地がした。
「さあ、これでいい」
突然引き戻された完は、声もなく瞬きを繰り返した。今自分は、どこにいただろうか。この小さな店から、一歩たりとも動いてはいないはずだが。
その人は、それが地顔のように微笑んだ。
「また何か、ほしい夢があればどうぞ。眺めているだけでも楽しいから、来るだけでもいいよ。ああ、売りたい夢があればそれも歓迎」
「…お邪魔しました」
「はい、ありがとうございました」
にこやかに送り出され、そういえばあの少女はどうしたのだろうと、思いながら外に出た。外は春風で、わずかに冷たい冬の名残を残していた。少なくとも一年以上待たないと、と思った後に、何をだと思って愕然とした。
青年が出て行くと、樹はカウンターの中に戻った。椅子に座り、ほおづえをついて店内をぼんやりと見つめる。
「悠。どうして、私の前には姿を現してくれないんだ」
「そんなことないわよ」
「見えないよ、悠」
呟くような声で、誰もいない、瓶だけがひしめく場所に視線を彷徨わせた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
Go to the Frontier(new)
鼓太朗
ファンタジー
「Go to the Frontier」改訂版
運命の渦に導かれて、さぁ行こう。
神秘の世界へ♪
第一章~ アラベスク王国編
第三章~ ラプラドル島編
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
短編集 【雨降る日に……】
星河琉嘩
ライト文芸
街の一角に佇む喫茶店。
その喫茶店に来る人たちの話です。
1話1話がとても短いお話になっています。
その他のお話も何か書けたら更新していきます。
【雨降る日に……】
【空の上に……】
【秋晴れの日に】
【君の隣】
【君の影】
マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。
おいしいご飯がたくさん出てきます。
いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。
助けられたり、恋をしたり。
愛とやさしさののあふれるお話です。
なろうにも投降中
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド
まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。
事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。
一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。
その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。
そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。
ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。
そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。
第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。
表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる