地球と地球儀の距離

来条恵夢

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夢 売ります/買います 2006/4/6

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『 夢 売ります/買います 』

 見覚えのない看板に、完は足を止めていた。
 これが、街頭占い師の類だったら素通りしただろうが、ちゃんとした一軒屋。建物自体は、そういえば前からあったような気もする。しかし、縦に書かれた昔の診療所のようなこの看板は、断じてなかった。

「夢?」

 呟いてみる。悪夢や吉夢といった睡眠時のものか、将来の夢といった展望か、そのどちらかが即座に思い浮かぶが、どちらも売り買いできるようなものではないはずだが。
 どうしたものか。
 別段、用事のない昼下がりではある。しかしだからといって、怪しげな得体の知れない見せに入りたいとは思わない。何なのか、気になるところではあるが。
 帰るかと、足を動かしかけたときだった。

「あなた、入るの、入らないの?」

 内側から外開きの扉を開けたのは、どこかの学校の制服を着た少女だった。高校生だろうか。長くらした髪は、ゆるやかに波打っている。

「気付いてないかもしれないけど、結構長く立ち止まってたわよ? 気になるなら、入れば? 入場料なんて取らないわよ」
「え、いや――」
「違ったのね、ごめんなさい」

 待った、と咄嗟とっさに声をかけてしまったのは、断じて、少女が美人だったからではない。…と、思いたい。

 気付けばカンは、木とほこりの臭いのしそうな店内に足を踏み入れていた。プリーツスカートをひるがえした少女は、入ってすぐのカウンター台の向こうに行ってしまう。
 まさか、あの少女が店主なのか。どう考えても高校生以上ではなく、完よりも年下だというのに。
 だがその予想は、あっさりとくつがえされた。

「いらっしゃい。ハルカが、無理な勧誘をしたようだね。おびといっては何だけど、どうぞ好きに見て行って」

 れ馴れしくはない砕けた調子で言ったのは、白衣を羽織はおった青年――女性? だった。卵形の顔の輪郭に沿ったような短い髪といい、体型の判らない服装といい、性別が不明だ。声までも、中性的だ。
 完は曖昧な返事をして、とりあえず目線をらし、狭い店内をぐるりと見遣った。

 ガラス戸棚が壁に沿って並べられ、中には小瓶が納まっている。
 大きさも色形も様々で、それが商品なのかと、一瞬だけ思った。だがよく見てみると、瓶に括りつけられた札に、「野球選手になる」「ピアノの先生になる」「好きな人のお嫁さん」「ゼリーの海で泳ぎたい」「課長を殴る」などと、様々に読みやすい小さな字で書き付けられている。

「それが夢だよ。正確には、夢の容器」

 カウンターから出てきたその人は、そう行って完の隣に並んだ。完と同じくらいの二十歳前後にも見えるが、逆に、実は四十台だと言われても肯けてしまいそうでもある。年齢も不詳だ。
 その人は、白いすらりとした指でガラス戸を空け、王冠のようなせんの銀色の瓶を取った。

「例えばこの中には、ある人の王様になる、という夢が詰められている」
「王様?」
「小さな頃に絵本で読んで、それ以来ずっと夢だったらしいよ。でも、日本は王制ではないし王制の国でも、突然来た外国人がなることは難しい。かといって、今のご時勢、国を立ち上げるのもまず無理だ。そうして彼は、諦めきれない夢を売りに来た」

 狐につままれたよう、というのはこういうことを言うのかもしれない。そういえばこの人は、少し吊り目気味で狐に似ていなくもない。
 そんな完の反応を読み取ったのか、くすりと笑った。

「どうせだから、ひとつ試してみる? 今なら、開店記念でおまけしてもいいよ。靴屋を持つ夢なんてどうかな。風呂敷で空を飛ぶ夢は?」
「からかわないでください」
「からかってなんてないんだけど。どうしてかな、大抵の人はそう言うよ」

 冗談以外の何だというのか。そう思ったが、嘘を言っているようには思えず、糾弾することはなかった。
 代わりに、戸棚を見回して、「池に張った氷でスケートをする」という札を見つける。瓶は、ぎざぎさに削られた多面の三角錐。
 完は、冬が嫌いだ。冬のスポーツは、更に嫌いだ。何を好き好んで、寒いところに出て行かなければならないのか。

「あれ、いいですか」
「アイススケート? いいけど、安全を確認してやらないとだめだよ」

 言って足音も立てずに移動してガラス戸を引く。小瓶を取り出すと、代わりに王冠型の栓のものをそこに置いた。
 完の目高さに瓶を持って、尖った栓を抜く。
 低く高い不思議な、旋律せんりつめいたものがその人の口から出た。徐々に、それが風の音のように、木々の呼吸の音のように聞こえてくる。
 ふうと、何かが吹いてきた心地がした。

「さあ、これでいい」

 突然引き戻された完は、声もなく瞬きを繰り返した。今自分は、どこにいただろうか。この小さな店から、一歩たりとも動いてはいないはずだが。
 その人は、それが地顔のように微笑んだ。

「また何か、ほしい夢があればどうぞ。眺めているだけでも楽しいから、来るだけでもいいよ。ああ、売りたい夢があればそれも歓迎」
「…お邪魔しました」
「はい、ありがとうございました」

 にこやかに送り出され、そういえばあの少女はどうしたのだろうと、思いながら外に出た。外は春風で、わずかに冷たい冬の名残を残していた。少なくとも一年以上待たないと、と思った後に、何をだと思って愕然とした。


 青年が出て行くと、イツキはカウンターの中に戻った。椅子に座り、ほおづえをついて店内をぼんやりと見つめる。

「悠。どうして、私の前には姿を現してくれないんだ」
「そんなことないわよ」
「見えないよ、悠」

 呟くような声で、誰もいない、瓶だけがひしめく場所に視線を彷徨さまよわせた。 
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