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2005/1/13
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「お前が看守か」
エーリクがにこやかに挨拶をしようとした、矢先の言葉だった。
言葉の内容と、温度のない声音とに呆気に取られて、次いで納得する。道理で、王子の自室でという、内々の初顔合わせだったわけだ。
一般での披露目までに親しくなっておく必要が、教育係、あるいはお守りという役目上あるからかと思っていたのだが、これでは、やすやすと人前には出せまい。実の父である陛下をところ構わず罵った、という噂も、きっと本当だろう。
そう考えて、一緒に連れてきた小間使いが愕然としていることに気付き、軽く肩を叩く。
「まだ混乱されているようですね。後で呼びます。下がっていてください」
「あの…でも」
「下がっていなさい」
言葉を重ねてようやく、少女は、申し分けなさそうに部屋を後にした。顔を上げる許しをもらう間もなく、気の毒ではある。
しかしエーリクも、顔こそ上げているが、どうしたものかと、笑顔の裏で頭を悩ませた。
彼が主君になるのだから反感を買うのは得策ではないと理性が告げるが、初対面の相手にその口の利き方は何だと、一言いいたいと思ってしまう。
「看守の紹介なんざいらん。出て行け」
「看守以外の紹介なら別でしょう。はじめましてライン家次男のエーリクと申します今後あなたの隋人ともなりますので以後お見知りおきの程を先ほどの少女が新しく身の回りの世話を行います」
ほぼ息継ぎもなしに言いきると、王子は、ぼかんとこちらを見ていた。
「ご質問は?」
「…出て行け」
すぐに仮面を被り直してしまった少年に、エーリクは胸の内で溜息をついた。あそこで笑うか怒るかすれば、もっと扱いやすいのだが。
「仰せのままに。その前に、一つご忠告申し上げましょう」
忠告などともったいぶって言えば、下手をすれば首が飛ぶ。だが、わずか半月ほど前に城へ連れて来られた少年は、精一杯不機嫌そうに睨みつけるだけだった。
「あなたがどこの何者であれ、女性を泣かせるのは褒められた行いではありません。下働きの者の噂話では、あなたはとんでもない暴君ですよ。おかげで、ルウ…さっきの少女は、部屋に入る前からひどく怯えていました。何を不満に思っておいでか私は存じ上げませんが、身分を拒絶することと下風に起つしかない者に当たり散らすこととは話が別です。十六におなりと伺いましたが、四歳の幼児の方が、そこのところをわきまえているようですね。それに、彼らから反感を買おうが、あなたの立場は変わりませんよ。悪化するだけのことです」
一応、彼がここにいることが本人の意思を無視しての出来事とは知っている。しかしだからと言って、前の世話係を気鬱に追い込んだ責任は逃れられない。
後は後任者の仕事かなと胸中で呟いて、エーリクは一礼し、部屋を出ようとした。それで、教育係を替えろと言われて終わりと、そう思っていた。
王子から、呼び止める声がかかるまでは。
振り返ると、不機嫌そうな顔があった。
「お前をキョウイクガカりから外させたとして、どうなる」
「は? 次は、キャロット家かサメロア家の者が任じられることと…」
「もういい」
はい? と、口に出さずに首を傾げると、王子は、目を逸らした。
「次が来るなら、お前で我慢する」
「ありがとうございます」
これは変り種だと、改めて実感するエーリクの前で、少年は決まり悪そうに俯いて、言葉を零した。
「…あの女は、どうなった」
「休養のためと称して、家に帰されました。自分が一番の出世だと喜んでいたので気の毒ですが、働けない人間を養う必要もありませんので」
「!」
思わず上げられた顔にまざまざと後悔の色が読み取れ、エーリクは、その場で主を決めた。
もちろん、主君は国王陛下ではあるのだが、エーリクにとって彼は既定のものであり、多分に、義理や責任を伴って刷り込まれたものであった。
この少年は、自分で決めた唯一人の主だ。
「出立は明日です。あなたが引止めれば、そうして優しいお言葉をおかけになれば、すぐにも復帰しましょう」
「それなら…でも、さっきの奴は」
「世話係が二人でも三人でも、問題はありません。二十人や三十人となれば、いささか問題になるかもしれませんが。二人を、ということでよろしいですか?」
「…ああ。頼む」
聞き慣れた傲慢さではなく、縋るような言葉に、エーリクの口元は、わずかに緩んだ。
卑しい女との間にできた王子は、やはり同じように卑しい出の者に任せるという宰相の判断は、当面当たったようだ。侯爵家の鼻つまみ者も役に立てるのだなと、心の中でだけ肩をすくめる。
泣いて仕事を投げ出した前任の世話係を立ち直らせるのは言ったほどには簡単ではないだろうが、少年の気質がこれであれば、難しくはないだろう。
応じて、今度こそ部屋を出た。
エーリクがにこやかに挨拶をしようとした、矢先の言葉だった。
言葉の内容と、温度のない声音とに呆気に取られて、次いで納得する。道理で、王子の自室でという、内々の初顔合わせだったわけだ。
一般での披露目までに親しくなっておく必要が、教育係、あるいはお守りという役目上あるからかと思っていたのだが、これでは、やすやすと人前には出せまい。実の父である陛下をところ構わず罵った、という噂も、きっと本当だろう。
そう考えて、一緒に連れてきた小間使いが愕然としていることに気付き、軽く肩を叩く。
「まだ混乱されているようですね。後で呼びます。下がっていてください」
「あの…でも」
「下がっていなさい」
言葉を重ねてようやく、少女は、申し分けなさそうに部屋を後にした。顔を上げる許しをもらう間もなく、気の毒ではある。
しかしエーリクも、顔こそ上げているが、どうしたものかと、笑顔の裏で頭を悩ませた。
彼が主君になるのだから反感を買うのは得策ではないと理性が告げるが、初対面の相手にその口の利き方は何だと、一言いいたいと思ってしまう。
「看守の紹介なんざいらん。出て行け」
「看守以外の紹介なら別でしょう。はじめましてライン家次男のエーリクと申します今後あなたの隋人ともなりますので以後お見知りおきの程を先ほどの少女が新しく身の回りの世話を行います」
ほぼ息継ぎもなしに言いきると、王子は、ぼかんとこちらを見ていた。
「ご質問は?」
「…出て行け」
すぐに仮面を被り直してしまった少年に、エーリクは胸の内で溜息をついた。あそこで笑うか怒るかすれば、もっと扱いやすいのだが。
「仰せのままに。その前に、一つご忠告申し上げましょう」
忠告などともったいぶって言えば、下手をすれば首が飛ぶ。だが、わずか半月ほど前に城へ連れて来られた少年は、精一杯不機嫌そうに睨みつけるだけだった。
「あなたがどこの何者であれ、女性を泣かせるのは褒められた行いではありません。下働きの者の噂話では、あなたはとんでもない暴君ですよ。おかげで、ルウ…さっきの少女は、部屋に入る前からひどく怯えていました。何を不満に思っておいでか私は存じ上げませんが、身分を拒絶することと下風に起つしかない者に当たり散らすこととは話が別です。十六におなりと伺いましたが、四歳の幼児の方が、そこのところをわきまえているようですね。それに、彼らから反感を買おうが、あなたの立場は変わりませんよ。悪化するだけのことです」
一応、彼がここにいることが本人の意思を無視しての出来事とは知っている。しかしだからと言って、前の世話係を気鬱に追い込んだ責任は逃れられない。
後は後任者の仕事かなと胸中で呟いて、エーリクは一礼し、部屋を出ようとした。それで、教育係を替えろと言われて終わりと、そう思っていた。
王子から、呼び止める声がかかるまでは。
振り返ると、不機嫌そうな顔があった。
「お前をキョウイクガカりから外させたとして、どうなる」
「は? 次は、キャロット家かサメロア家の者が任じられることと…」
「もういい」
はい? と、口に出さずに首を傾げると、王子は、目を逸らした。
「次が来るなら、お前で我慢する」
「ありがとうございます」
これは変り種だと、改めて実感するエーリクの前で、少年は決まり悪そうに俯いて、言葉を零した。
「…あの女は、どうなった」
「休養のためと称して、家に帰されました。自分が一番の出世だと喜んでいたので気の毒ですが、働けない人間を養う必要もありませんので」
「!」
思わず上げられた顔にまざまざと後悔の色が読み取れ、エーリクは、その場で主を決めた。
もちろん、主君は国王陛下ではあるのだが、エーリクにとって彼は既定のものであり、多分に、義理や責任を伴って刷り込まれたものであった。
この少年は、自分で決めた唯一人の主だ。
「出立は明日です。あなたが引止めれば、そうして優しいお言葉をおかけになれば、すぐにも復帰しましょう」
「それなら…でも、さっきの奴は」
「世話係が二人でも三人でも、問題はありません。二十人や三十人となれば、いささか問題になるかもしれませんが。二人を、ということでよろしいですか?」
「…ああ。頼む」
聞き慣れた傲慢さではなく、縋るような言葉に、エーリクの口元は、わずかに緩んだ。
卑しい女との間にできた王子は、やはり同じように卑しい出の者に任せるという宰相の判断は、当面当たったようだ。侯爵家の鼻つまみ者も役に立てるのだなと、心の中でだけ肩をすくめる。
泣いて仕事を投げ出した前任の世話係を立ち直らせるのは言ったほどには簡単ではないだろうが、少年の気質がこれであれば、難しくはないだろう。
応じて、今度こそ部屋を出た。
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