地球と地球儀の距離

来条恵夢

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雨宿り 2005/1/1

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「あんたも雨宿あまやどり?」

 飛び込んだ洞窟の奥からの声に、フィリシスは、とりあえず返事をして、濡れ切った体を引きずるようにして奥に進んだ、炎の色が見えていた。

「災難だね、にわか雨。服、脱いだ方がいいよ。風邪を引く」

 十代中頃の少年は、そう言いながらき火にまきをくべた。薪が一山積んであり、薪売りかと、フィリシスは考えるまでもなく思った。
 商品を燃やしていいのかと言いかけて止めて、言葉に甘えて服を脱ぐ。しぼると、それなりに水が出た。そうして不意に、少年が全く濡れていないことに気付いた。

「お前は、雨宿りじゃないのか」
「んーとね、雨宿りと言えば、雨宿り」

 薪の位置を変えて、炎を調節する。
 長い前髪の間からわずかにのぞいた少年の瞳は、炎の色を反射してか、鮮やかな赤紫に見えた。

「移動中に昼寝したくてここに陣取って、起きたら雨だったんだよね。だから、雨が上がるまでは足止め。この勢いだから通り雨だろうけど、少し長いよね」
「お…」
「すっごい雨ですねえ。お邪魔していいですか?」

 顔を上げようとしない少年に声を掛け損ねたフィリシスは、洞窟に入ってきた小男に顔をしかめた。直接の知人ではないが、同業者だ。
 少年が、やはり顔を上げずに穏やかに許可を与えたので、横にずれて場所を空ける。

「いやあ、すみませんねえ。お二人も、旅の途中で? ああ、私は行商をやってるんですよ。何か買われますか? お安くしておきますよ」
「どんなものがあるの?」
「日用品がほとんどですよ。薬草に髪飾り、グレタの織物…」

 馴れ馴れしい言動にむっつりと黙り込んだフィリシスのかたわらで、行商人と名乗った男が荷を広げ、少年が覗き込む。いくつか、興味を惹かれた物を手に取っているようだった。

「そうだ、湯はかせますかね? 余り物のハーブ茶があるんです。いかがです?」
「鍋と水があるよ」

 ごそごそと、少年は背嚢はいのうさぐった。臨時のお茶会が開かれ、フィリシスにもそれは振舞ふるまわれた。
 それからしばらくして。フィリシスは、眠ったふりをして事態を静観していた。

 小男が、そろりと少年の様子をうかがう。焚き火の近くには、空になった三つのカップと、空の鍋。
 ハーブに、眠り薬か何かが盛られていたのだろう。少年は規則正しい寝息を立て、小男は、臆病なほどに慎重に、その少年を調べているのだった。
 完全に薬が効いているのを確信したのか、小男は、ナイフを取り出すと、少年に向けた。

「あのさ」

 予想外の少年の声に、小男は動きを止めた。呼吸さえも止まっているかもしれない。

「俺、暴力とかあんまり好きじゃないから、追いぎくらいなら見逃そうと思ってるんだよ。でも、命や自由を無くしてもいいと思うほど無抵抗主義じゃないからね。やめるなら今のうちだよ」
「ッ!」

 小男が、思い切ってというよりも恐怖に駆られ、ナイフを振り下ろす。
 しかし少年は、それを容易たやすのがれた。小男は目をつぶり、ただ突き下ろしただけなのだから、そう不思議なことでもないだろう。
 立ち上がった少年は、逆に小男の足を払い、体勢の崩れた男を見下ろす。

「誰に依頼されたのか、どっちが目的なのか知らないけどさ。あなた程度じゃ、俺にはかなわないよ。これでも結構、場数こなしてるんだから」
「そんなことがあるかッ」

 激昂して、小男は、でたらめにナイフを持った腕を振り回した。少年は冷静に、男から距離を取ってそれを見つめている。

「だって。思い切りは悪いし動きはそーゆー仕事にしては遅いし。――あっ」

 一歩進んだ小男が地面の出っ張りにつまずき、再び体勢を崩した。
 その瞬間、驚いて見開いた小男と、見ていた少年の目が合った、ようだった。そして二人は、同じように青ざめた。

 次に起こった事は、まるで夢の中の感触だった。

 小男が倒れ、少年が目をつぶり――小男が体を起こし、少年が目を開き――ナイフの切っ先をおのれの首に向け、少年が小男に走り寄り――「やめろッ」――ナイフが胸に埋まり――き切り――鮮血。

 少年は、すべもなく、血溜まりに崩れ落ちた小男の傍らに、膝をついた。血を吹く首は、半ば以上ナイフが食い込み、骨で止まっているようだった。うつろに、目を見開く。
 予想外の事態に、眠った振りを止めたフィリシスは、少年に近付き、顔を覗き込んだ。目が合った途端に少年は、びくりと身を引いた。しかし、数十秒して、恐る恐る顔を上げる。
 フィリシスの足を見つめて、口を開く。

「あんた――大丈夫?」
「何がだ」
「死にたくとか、なってない? 体が勝手に動くとか、ない?」
「何故俺が死なねばならんのだ」
「――――――良かった」

 長い沈黙と、深く吐かれた息。
 力が抜けたのか、少年は地面に座りこんだ。危うく、血溜まりにかるところを、咄嗟とっさに手を掴んで位置をずらさせる。もっとも、足はすでに血に染まってしまってるのだが。

「良かった。――本当に、良かった」

 馬鹿になったように繰り返す少年に、フィリシスは、腰にくくりつけていた水筒を外して、少年に渡した。

「飲め。薬は入っていない」

 証明するために先に一口飲むが、見えてはいなかっただろう。少年は、ひたすらに下を向いていた。
 しかし素直に、口に運ぶ。

「――ッ、何これ、きつすぎ!」
「気付代わりだからな」

 飲んでむせた少年は、涙目でフィリシスを見上げて、即座に慌てて、目をらした。そうして、小男の死体と距離を取って後ずさる。

「人が死ぬのを見たのは、はじめてか?」
「まさか」

 自嘲するように言い捨てて、つか、少年は口を閉ざし、雨音に耳を澄ませた。

「邪眼って、聞いたことある?」
「ああ」
「俺がそれ。目が合った奴は、みんな死んじゃう。最初に殺したのは、生まれてほとんどすぐ。産婆だったってさ。髪伸ばしても、見えるんだから厭になるよ。目隠しをしても、何かの拍子で外れたりしてね。死ぬのは怖くて、そのうちに、名が知れ渡ったよ。知ってる? 邪眼って、潰したら凄い力を持つんだって。本等かどうかは知らないけどさ。邪眼の盲目者を手に入れたら、世界制覇も夢じゃないんだって。だから、目を潰して手に入れようとする奴や、殺して禍根を絶とうとする奴や、いろんなのを殺してきたよ」

 訥々とつとつと語る。
 少年の演技だけでない人懐っこさや、人を気遣う配慮、死をいたむ様子から、そんな能力を持ちながらも、幸せに育てられたのだろうと察せられた。この少年は、生きることの楽しさを知っている。
 幼い頃に売られ、それ以来各地を転々とした末に殺人家業をこなす自分とは逆だと、フィリシスは、なんとなく苦笑した。

「色々、調べたんだよ。邪眼について。まれに耐性のある人もいるって。あんた、運が良かったよ。あ、雨止んだ?」

 ひょいと首を傾げて、少年は洞窟の入り口の方向を見遣った。つられて振り向いたフィリシスは、確かに雨音はしないなと、心中で呟く。

「じゃあね。こんなのに遭遇しちゃってあれだけど、元気で」
「おい」
「ん? 何?」

 自分でも呼び止めたことに戸惑いながら、フィリシスは、一度考えて、言葉を選んだ。――今目の前にいるのは、まだ己の半分くらいしか生きていない、少年。

「俺は、あいつと同業者だ」
「?」
「この体質なら、お前を殺せるだろうな。目を潰すのも、簡単だろう」

 少年の表情は、うつむいていて判らないが、緊張していることは判った。
 そうしてフィリシスは、あっさりと肩をすくめた。

「そういうことだ。生き延びたいなら、迂闊うかつなことは口にするな」

 呆気に取られている少年を置いて、外に出る。すぐに、まとわりついていた血の匂いが薄れていった。
 歩き出そうとしたところを、袖をつかまれる。うつむいた少年が、引っ張っていた。

「あのさ。俺がついて入ったら、迷惑? ――この山越えるまででいいんだけど。町の手前で、別れるまで」
「好きにしろ」
「ありがとう!」

 ごく自然に、二人は歩き出した。薪を引っ張った少年はいささか大荷物だったが、手を貸そうとは思わない。少年も、助けてくれとは言わない。
 妙なものになつかれたと、思うフィリシスだった。
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