58 / 95
条件反射 2005/9/9
しおりを挟む
「おわ…っ」
咄嗟に、手が伸びた。
一体何をと思う間もなく衝撃がきて、呻き声に似たものが漏れる。ヒト一人、成長途中だろう年齢としても、腕で丸ごと支えるのはつらいものがある。その上、暴れるのだからたまったものじゃない。
見なかった振りをして放り出してやろうか、と思ったが、伝わる重みは確かで、なかったものにするには、生々しすぎた。どうにか、その少女の体を引きずり上げる。
「放してッ」
「また身投げされたら気分悪いから、断る」
肩で息をしながらそう返すと、憎憎しげに睨み付けられた。理不尽だと、思わないでもないが、まあ仕方がない。ただのお節介だ。それよりも、タバコで弱った体に、急な運動が堪えた。
掴んだ少女の腕から手に触れると、緊張でか恐怖でか、冷たくなっているのが判った。
身体機能は、時として恥ずかしくなるほどに正直だ。
「カンケーないじゃん、ほっといてよッ」
「通り掛かったんだから関係がなくはないだろ。怒るなら、自分の間の悪さにでも怒れ」
「…さいてー」
廃ビルとはいえ、街のただ中だ。
しかし、取り壊しの期日も迫り、関係者でさえ、もう立ち入る必要はない。必要がないどころか、一部の床は、いい加減劣化し、下手をすると、最上階から七階分一気に吹き抜けを作成する、などというありがたくない事態にならないとも限らない。
早い話が、明日の取り壊し時も含め、一切の立ち入り禁止地帯だ。
セーラー服の少女の存在理由は知らないが、上下手祐の理由は明快だ。仕事。この、一言に尽きる。
「はいはい、最低で結構。とにかく出るぞ。暴れるなら担いで行くから、厭なら大人しくしてろ」
少女は、長い髪を揺らして顔を背けたが、担がれるのが厭なのか、渋々と祐に従った。
祐は、高校生だろうけど中学生かもなあと、今年で三十になるはずの己に照らし合わせながら、心中のみで首を傾げる。年を取ったからというよりも、これまでの生涯で総じて、年齢判断には自信がない。まさか小学生ではないだろう。
黙々と歩いて、飛び込まれては厄介だから、危険箇所はさりげなく避けるようにしながら、二人は出口まで、難なくたどり着いた。
出て一息ついたところで、いまだ少女の手首をつかんでいたことに気付き、ようやく手を放した。少女は、悪態でもついて走り去るかと思ったが、じっと、祐を見つめてきた。
ああ、厭な予感、と思うが、もう遅い。
「何も聞かないの?」
「何を訊くってんだよ?」
「だってフツー、聞くでしょ。あんなところで何してたんだとか、死ぬなんて何考えてるんだ、とか」
「聞いて、説教のひとつでも垂れたら満足か? そんなことまで知るかよ」
少女は、ただ純粋に、不思議そうに。首を傾げた。
「じゃあどうして助けたの?」
「薬缶が鳴ったら止めるだろ、肩叩かれたら振り向くだろ、物落としそうになったら受け止めようとするだろ」
つまりは、半ば、経験による条件反射だ。
「いいか。死ね、と言うつもりはまったくない。だが、死ぬなと言うつもりもない」
「止めたじゃん、さっき」
「ああ。目の前で飛び降りられたら、止められるものなら止めるさ」
「ムジュンしてる」
「俺の目に見えないところでなら、勝手にやれ。ただ通り掛かっただけの奴に全責任を持てるほど、超人じゃないんでな。そもそも、考え抜いて、選んだ結果だ。本当なら止めるべきじゃないんだろうが、手が出るんだから仕方ない。厭なら見えないところに行け」
きょとんと、少女は目を丸くした。
理解できているのかと訝ったが、少女は、小さく噴き出すと、いきなり笑い出した。楽しそうなのはいいが、笑われているのはおそらくは自分で、祐は、顔をしかめた。
笑うようなことを言った覚えはない。
「変なヤツ」
変でかまわないから、どこかに行ってくれ、と思う。ビルの壁の落書きを取ってきてくれ、という小石が宝物のような依頼は、まだ遂行されていないのだ。この少女がいては、うかうかと入る気にもなれない。
それを知ってか知らずか、少女は、ひとしきり笑うと、ポケットから紙片を取り出し、祐に笑顔でそれを向けた。
「メーシあげる。そっちもちょうだい? 持ってるでしょ?」
差し出されたそれは、プリクラの写真の入ったものだった。
祐には、それが流行り物なのか、少女が変り種なのかすら判らない。受け取るとこれ以後も縁ができるだろうと思ったが、溜息ひとつでそれを押しやる。
こちらも、ポケットから白い紙片を取り出した。
「ほれ。言っとくが、依頼以外で来ても追い払うからな」
「へー、探偵なんだ。ホントにいるんだ、わー、スゴイ」
「とっとと帰れ。もう現れるな」
「はーいっ」
軽く応じて背を向けるが、二度と現れないかは、自信がない。
祐には、金輪際名前も聞きたくない、と言われた相手からしつこく電話がかかってきたり、また今度、と言われた相手の消息が途絶えたといったことが、数え切れないほどある。かと思えば、警察や家族といった、第三者から連絡が来る事もある。
さて、この少女はどうなるのか。
「そうだ」
数歩行って、思いつきのように声を上げ、振り返る。しかし瞳は、そんな言動を裏切って、危ういほどに真剣だった。
「通り掛かりで責任を持つつもりはない、って言ったけど、じゃあ、友達や恋人が死のうとしてたら、どうするの?」
ざくりと、古傷を抉ってくれる。
それでも祐は、つまらなさそうに、投げやり気味に応じた。それくらいの外側をつくろえるまでには、時間が経った。その程度にしか、経っていない。
「死んだ方がいいなら、止めないさ。そうじゃないなら、どんなに嫌がられたって止める」
「良し悪しって、誰が決めるの?」
「俺が基準」
「うわ、かってー」
瞳の真剣さがゆるみ、笑う。「じゃあね」と、少女は去って行った。今度は、足を止めることはない。
祐は、それを見送って、溜息をひとつこぼすと、タバコに火をつけた。最後の一本。しかし、封の切っていない新品は、離れたところに止めた車の中に、ちゃんと置いてある。
一服ついたら、仕事に取りかかろう。まだ日は高く、急ぐ仕事でもないが、明日には消えるビルだ。あり余る時間がある、というわけでもない。
咄嗟に、手が伸びた。
一体何をと思う間もなく衝撃がきて、呻き声に似たものが漏れる。ヒト一人、成長途中だろう年齢としても、腕で丸ごと支えるのはつらいものがある。その上、暴れるのだからたまったものじゃない。
見なかった振りをして放り出してやろうか、と思ったが、伝わる重みは確かで、なかったものにするには、生々しすぎた。どうにか、その少女の体を引きずり上げる。
「放してッ」
「また身投げされたら気分悪いから、断る」
肩で息をしながらそう返すと、憎憎しげに睨み付けられた。理不尽だと、思わないでもないが、まあ仕方がない。ただのお節介だ。それよりも、タバコで弱った体に、急な運動が堪えた。
掴んだ少女の腕から手に触れると、緊張でか恐怖でか、冷たくなっているのが判った。
身体機能は、時として恥ずかしくなるほどに正直だ。
「カンケーないじゃん、ほっといてよッ」
「通り掛かったんだから関係がなくはないだろ。怒るなら、自分の間の悪さにでも怒れ」
「…さいてー」
廃ビルとはいえ、街のただ中だ。
しかし、取り壊しの期日も迫り、関係者でさえ、もう立ち入る必要はない。必要がないどころか、一部の床は、いい加減劣化し、下手をすると、最上階から七階分一気に吹き抜けを作成する、などというありがたくない事態にならないとも限らない。
早い話が、明日の取り壊し時も含め、一切の立ち入り禁止地帯だ。
セーラー服の少女の存在理由は知らないが、上下手祐の理由は明快だ。仕事。この、一言に尽きる。
「はいはい、最低で結構。とにかく出るぞ。暴れるなら担いで行くから、厭なら大人しくしてろ」
少女は、長い髪を揺らして顔を背けたが、担がれるのが厭なのか、渋々と祐に従った。
祐は、高校生だろうけど中学生かもなあと、今年で三十になるはずの己に照らし合わせながら、心中のみで首を傾げる。年を取ったからというよりも、これまでの生涯で総じて、年齢判断には自信がない。まさか小学生ではないだろう。
黙々と歩いて、飛び込まれては厄介だから、危険箇所はさりげなく避けるようにしながら、二人は出口まで、難なくたどり着いた。
出て一息ついたところで、いまだ少女の手首をつかんでいたことに気付き、ようやく手を放した。少女は、悪態でもついて走り去るかと思ったが、じっと、祐を見つめてきた。
ああ、厭な予感、と思うが、もう遅い。
「何も聞かないの?」
「何を訊くってんだよ?」
「だってフツー、聞くでしょ。あんなところで何してたんだとか、死ぬなんて何考えてるんだ、とか」
「聞いて、説教のひとつでも垂れたら満足か? そんなことまで知るかよ」
少女は、ただ純粋に、不思議そうに。首を傾げた。
「じゃあどうして助けたの?」
「薬缶が鳴ったら止めるだろ、肩叩かれたら振り向くだろ、物落としそうになったら受け止めようとするだろ」
つまりは、半ば、経験による条件反射だ。
「いいか。死ね、と言うつもりはまったくない。だが、死ぬなと言うつもりもない」
「止めたじゃん、さっき」
「ああ。目の前で飛び降りられたら、止められるものなら止めるさ」
「ムジュンしてる」
「俺の目に見えないところでなら、勝手にやれ。ただ通り掛かっただけの奴に全責任を持てるほど、超人じゃないんでな。そもそも、考え抜いて、選んだ結果だ。本当なら止めるべきじゃないんだろうが、手が出るんだから仕方ない。厭なら見えないところに行け」
きょとんと、少女は目を丸くした。
理解できているのかと訝ったが、少女は、小さく噴き出すと、いきなり笑い出した。楽しそうなのはいいが、笑われているのはおそらくは自分で、祐は、顔をしかめた。
笑うようなことを言った覚えはない。
「変なヤツ」
変でかまわないから、どこかに行ってくれ、と思う。ビルの壁の落書きを取ってきてくれ、という小石が宝物のような依頼は、まだ遂行されていないのだ。この少女がいては、うかうかと入る気にもなれない。
それを知ってか知らずか、少女は、ひとしきり笑うと、ポケットから紙片を取り出し、祐に笑顔でそれを向けた。
「メーシあげる。そっちもちょうだい? 持ってるでしょ?」
差し出されたそれは、プリクラの写真の入ったものだった。
祐には、それが流行り物なのか、少女が変り種なのかすら判らない。受け取るとこれ以後も縁ができるだろうと思ったが、溜息ひとつでそれを押しやる。
こちらも、ポケットから白い紙片を取り出した。
「ほれ。言っとくが、依頼以外で来ても追い払うからな」
「へー、探偵なんだ。ホントにいるんだ、わー、スゴイ」
「とっとと帰れ。もう現れるな」
「はーいっ」
軽く応じて背を向けるが、二度と現れないかは、自信がない。
祐には、金輪際名前も聞きたくない、と言われた相手からしつこく電話がかかってきたり、また今度、と言われた相手の消息が途絶えたといったことが、数え切れないほどある。かと思えば、警察や家族といった、第三者から連絡が来る事もある。
さて、この少女はどうなるのか。
「そうだ」
数歩行って、思いつきのように声を上げ、振り返る。しかし瞳は、そんな言動を裏切って、危ういほどに真剣だった。
「通り掛かりで責任を持つつもりはない、って言ったけど、じゃあ、友達や恋人が死のうとしてたら、どうするの?」
ざくりと、古傷を抉ってくれる。
それでも祐は、つまらなさそうに、投げやり気味に応じた。それくらいの外側をつくろえるまでには、時間が経った。その程度にしか、経っていない。
「死んだ方がいいなら、止めないさ。そうじゃないなら、どんなに嫌がられたって止める」
「良し悪しって、誰が決めるの?」
「俺が基準」
「うわ、かってー」
瞳の真剣さがゆるみ、笑う。「じゃあね」と、少女は去って行った。今度は、足を止めることはない。
祐は、それを見送って、溜息をひとつこぼすと、タバコに火をつけた。最後の一本。しかし、封の切っていない新品は、離れたところに止めた車の中に、ちゃんと置いてある。
一服ついたら、仕事に取りかかろう。まだ日は高く、急ぐ仕事でもないが、明日には消えるビルだ。あり余る時間がある、というわけでもない。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
神様のボートの上で
shiori
ライト文芸
”私の身体をあなたに託しました。あなたの思うように好きに生きてください”
(紹介文)
男子生徒から女生徒に入れ替わった男と、女生徒から猫に入れ替わった二人が中心に繰り広げるちょっと刺激的なサスペンス&ラブロマンス!
(あらすじ)
ごく平凡な男子学生である新島俊貴はとある昼休みに女子生徒とぶつかって身体が入れ替わってしまう
ぶつかった女子生徒、進藤ちづるに入れ替わってしまった新島俊貴は夢にまで見た女性の身体になり替わりつつも、次々と事件に巻き込まれていく
進藤ちづるの親友である”佐伯裕子”
クラス委員長の”山口未明”
クラスメイトであり新聞部に所属する”秋葉士郎”
自分の正体を隠しながら進藤ちづるに成り代わって彼らと慌ただしい日々を過ごしていく新島俊貴は本当の自分の机に進藤ちづるからと思われるメッセージを発見する。
そこには”私の身体をあなたに託しました。どうかあなたの思うように好きに生きてください”と書かれていた
”この入れ替わりは彼女が自発的に行ったこと?”
”だとすればその目的とは一体何なのか?”
多くの謎に頭を悩ませる新島俊貴の元に一匹の猫がやってくる、言葉をしゃべる摩訶不思議な猫、その正体はなんと自分と入れ替わったはずの進藤ちづるだった
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
カオスシンガース
あさきりゆうた
ライト文芸
「君、いい声してるね、私とやらない?」
自分(塩川 聖夢)は大学入学早々、美しい女性、もとい危ない野郎(岸 或斗)に強引にサークルへと勧誘された。
そして次々と集まる個性的なメンバー。
いままでにない合唱団を立ち上げるために自分と彼女(♂)の物語は始まる。
歌い手なら知っておきたい知識、雑学、秋田県の日常を小説の中で紹介しています。
筆者の合唱経験を活かして、なるべくリアルに書いております。
青春ものな合唱のイメージをぶっ壊したくてこのお話を書いております。
2023.01.14
あとがきを書きました。興味あれば読んでみてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる