地球と地球儀の距離

来条恵夢

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条件反射 2005/9/9

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「おわ…っ」

 咄嗟とっさに、手が伸びた。
 一体何をと思う間もなく衝撃がきて、うめき声に似たものが漏れる。ヒト一人、成長途中だろう年齢としても、腕で丸ごと支えるのはつらいものがある。その上、暴れるのだからたまったものじゃない。
 見なかった振りをして放り出してやろうか、と思ったが、伝わる重みは確かで、なかったものにするには、生々しすぎた。どうにか、その少女の体を引きずり上げる。

「放してッ」
「また身投げされたら気分悪いから、断る」

 肩で息をしながらそう返すと、憎憎しげに睨み付けられた。理不尽だと、思わないでもないが、まあ仕方がない。ただのお節介だ。それよりも、タバコで弱った体に、急な運動がこたえた。
 つかんだ少女の腕から手に触れると、緊張でか恐怖でか、冷たくなっているのが判った。
 身体機能は、時として恥ずかしくなるほどに正直だ。

「カンケーないじゃん、ほっといてよッ」
「通り掛かったんだから関係がなくはないだろ。怒るなら、自分の間の悪さにでも怒れ」
「…さいてー」

 廃ビルとはいえ、街のただ中だ。
 しかし、取り壊しの期日も迫り、関係者でさえ、もう立ち入る必要はない。必要がないどころか、一部の床は、いい加減劣化し、下手をすると、最上階から七階分一気に吹き抜けを作成する、などというありがたくない事態にならないとも限らない。
 早い話が、明日の取り壊し時も含め、一切の立ち入り禁止地帯だ。
 セーラー服の少女の存在理由は知らないが、上下手カミシモテタスクの理由は明快だ。仕事。この、一言に尽きる。

「はいはい、最低で結構。とにかく出るぞ。暴れるならかついで行くから、いやなら大人しくしてろ」

 少女は、長い髪を揺らして顔をそむけたが、担がれるのが厭なのか、渋々と祐に従った。
 祐は、高校生だろうけど中学生かもなあと、今年で三十になるはずのおのれに照らし合わせながら、心中のみで首を傾げる。年を取ったからというよりも、これまでの生涯で総じて、年齢判断には自信がない。まさか小学生ではないだろう。
 黙々と歩いて、飛び込まれては厄介だから、危険箇所はさりげなくけるようにしながら、二人は出口まで、難なくたどり着いた。
 出て一息ついたところで、いまだ少女の手首をつかんでいたことに気付き、ようやく手を放した。少女は、悪態でもついて走り去るかと思ったが、じっと、祐を見つめてきた。
 ああ、厭な予感、と思うが、もう遅い。

「何も聞かないの?」
「何を訊くってんだよ?」
「だってフツー、聞くでしょ。あんなところで何してたんだとか、死ぬなんて何考えてるんだ、とか」
「聞いて、説教のひとつでもれたら満足か? そんなことまで知るかよ」

 少女は、ただ純粋に、不思議そうに。首を傾げた。

「じゃあどうして助けたの?」
薬缶やかんが鳴ったら止めるだろ、肩叩かれたら振り向くだろ、物落としそうになったら受け止めようとするだろ」

 つまりは、半ば、経験による条件反射だ。

「いいか。死ね、と言うつもりはまったくない。だが、死ぬなと言うつもりもない」
「止めたじゃん、さっき」
「ああ。目の前で飛び降りられたら、止められるものなら止めるさ」
「ムジュンしてる」
「俺の目に見えないところでなら、勝手にやれ。ただ通り掛かっただけの奴に全責任を持てるほど、超人じゃないんでな。そもそも、考え抜いて、選んだ結果だ。本当なら止めるべきじゃないんだろうが、手が出るんだから仕方ない。厭なら見えないところに行け」

 きょとんと、少女は目を丸くした。
 理解できているのかといぶかったが、少女は、小さく噴き出すと、いきなり笑い出した。楽しそうなのはいいが、笑われているのはおそらくは自分で、祐は、顔をしかめた。
 笑うようなことを言った覚えはない。

「変なヤツ」

 変でかまわないから、どこかに行ってくれ、と思う。ビルの壁の落書きを取ってきてくれ、という小石が宝物のような依頼は、まだ遂行されていないのだ。この少女がいては、うかうかと入る気にもなれない。
 それを知ってか知らずか、少女は、ひとしきり笑うと、ポケットから紙片を取り出し、祐に笑顔でそれを向けた。

「メーシあげる。そっちもちょうだい? 持ってるでしょ?」

 差し出されたそれは、プリクラの写真の入ったものだった。
 祐には、それが流行はやり物なのか、少女が変り種なのかすら判らない。受け取るとこれ以後も縁ができるだろうと思ったが、溜息ひとつでそれを押しやる。
 こちらも、ポケットから白い紙片を取り出した。

「ほれ。言っとくが、依頼以外で来ても追い払うからな」
「へー、探偵なんだ。ホントにいるんだ、わー、スゴイ」
「とっとと帰れ。もう現れるな」
「はーいっ」

 軽く応じて背を向けるが、二度と現れないかは、自信がない。
 祐には、金輪際こんりんざい名前も聞きたくない、と言われた相手からしつこく電話がかかってきたり、また今度、と言われた相手の消息が途絶えたといったことが、数え切れないほどある。かと思えば、警察や家族といった、第三者から連絡が来る事もある。
 さて、この少女はどうなるのか。

「そうだ」

 数歩行って、思いつきのように声を上げ、振り返る。しかし瞳は、そんな言動を裏切って、危ういほどに真剣だった。

「通り掛かりで責任を持つつもりはない、って言ったけど、じゃあ、友達や恋人が死のうとしてたら、どうするの?」

 ざくりと、古傷をえぐってくれる。
 それでも祐は、つまらなさそうに、投げやり気味に応じた。それくらいの外側をつくろえるまでには、時間がった。その程度にしか、経っていない。

「死んだ方がいいなら、めないさ。そうじゃないなら、どんなに嫌がられたって止める」
「良し悪しって、誰が決めるの?」
「俺が基準」
「うわ、かってー」

 瞳の真剣さがゆるみ、笑う。「じゃあね」と、少女は去って行った。今度は、足を止めることはない。
 祐は、それを見送って、溜息をひとつこぼすと、タバコに火をつけた。最後の一本。しかし、封の切っていない新品は、離れたところに止めた車の中に、ちゃんと置いてある。
 一服ついたら、仕事に取りかかろう。まだ日は高く、急ぐ仕事でもないが、明日には消えるビルだ。あり余る時間がある、というわけでもない。
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