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四年に一度 2004/2/29
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きょろきょろと、早矢は辺りを見回した。
一面に、本。
ずっしりと並ぶそれらは、かなり威圧感があるが、早矢にとっては嬉しい限りだった。どれも、見たことのないものばかりだ。
多分、勉強が好きなのにできないでいる、まだ書物の貴重だった頃の人が抱くような、そんな押さえきれない期待感がある。もしくは、よく知らない場所を探検する、子供のような。
正に、よく知らない場所ではあるのだけど。
「…っわ……ぁ…!」
第一声が、それだった。
早矢は国会図書館に行ったことなどない(何しろ遠い)のだが、もしかするとこんな感じなのかもしれない。しかし、こっちの方が凄いだろうという気もする。
相撲取り二人がすれ違うのには足りるだけの間隔を空けて、いくつもの、天井まできっちりと届いた棚が立ち並ぶ。壁というものは、通路分だけ見える天井と床しかない。
これはもう、本好き、あるいは読書好きの楽園と言うしかないのではないだろうか。
思わず、手近な本を取って読み耽る。通路に座り込むことは、本来なら邪魔になるので避けたいところだが、他に人も通らないので、この際いいことにしてしまう。
見るものがいれば、「取り憑かれたような」と表現したかもしれない。
本をめくる手ももどかしく、読み終えると次を引っぱり出す。読んだ本は戻して、次の獲物を引きずり出す。
そんな状態で、早矢が我に返ったのは、六冊目の本を読んでいる途中だった。ここにきてはじめての足音に、はっとして顔を上げる。
すると、まだ若い、せいぜい高校生くらいにしか見えないのに、黒いスーツを着込んで水色のネクタイを締めた少年が立っていた。
「…見つけた」
「へ?」
「あーっ、ここかよ! ここだったのか! 俺もう、全ッ然見当違いなとこ探してて――って、それ何冊目!?」
大きな独り言を言っていたかと思えば、慌てるように叫ばれて、早矢は、背もたれ代わりにしていた本棚に、強く背を押しつけた。逃げたいところだが、立ち上がっている間に取り押さえられてしまいそうだ。
少年は、早矢のそんな様子に気付いてか気付かずか、畳みかけるように顔を近づけてきた。
「なあ、何冊目だよ?!」
「馬鹿者」
今度は足音もなく、少年の隣に出現した青年に目を見張る。やはり黒のスーツで、こちらは緑のネクタイ。何故か、レンズの嵌まっていない縁だけの眼鏡をかけている。
顔立ちがいいところが、余計に胡散臭い。
しかし少年は、馬鹿呼ばわりされたついでに頭をはたかれたにもかかわらず、ぴっと背筋を伸ばした。眼が、まるで主人を見る子犬だ。
「先輩!」
「この大馬鹿大王。万年未熟見習い」
「そ、そこまで…」
「言う。この子だって、好きで――」
そこで、早矢がひしと抱えたままの本に目をやり、軽く溜息をついてから続ける。
「…結果はともあれ、好きで来たわけじゃないんだ。そういった人たちに、速やかにお帰りいただくのが俺たちの仕事だろう。怯えさせてどうする」
うなだれる少年を放置して、青年は早矢に笑い掛けた。笑うと、ひょうきんな感じがして親しみが持てた。
「お嬢さん、ごめんな、驚かせて。こいつは、まだ未熟でね。色々と焦ってたんだ。ごめんな」
「…ちょっと、びっくりしただけだし…」
「そう? その本、面白い?」
にこやかに持っている本を示されて、うん、と、大きく頷いた。
ちょっと予想のつかない展開で、まるで本当にあることみたいで、凄くわくわくして。言葉のもどかしさを実感しながら、早矢は夢中で語っていた。青年は、それを相槌を打ちながら聞いてくれる。
そうして一段落つくと、「他の本は?」と重ねて問われ、結局、早矢はここで読んだ本全てについて語っていた。
全ての本について語り終わると、青年は、笑顔で「じゃあ、それで六冊目なんだね」と言った。何の疑問もなく、早矢は肯いた。
さすが先輩、と少年が呟いた気がした。
「ところで、今日が何日か思い出せる?」
「今日って…二月二十九日?」
「その通り。ここは、四年に一度だけ開かれる書庫だ。残念だろうけど、長居は危険だよ。さあ、君を五ヶ月と十日と二十七分後の地点に返そう――」
くるりと。
世界が弧を描いた。
はっと、早矢は我に返った。その瞬間に、お弁当の唐揚げを口に放り込んでいた。
「ぐ?」
「早矢、どうした? 変なものでも入ってた?」
「ん――…んーん」
口に唐揚げが入ったままで喋ることもできず、早矢は、ただ首を振った。それだけで伝わったらしく、呆れ顔ではあったが、友人はそれ以上訊こうとはしなかった。
ここは教室で、今は昼休み。
当然知っているはずの記憶を呼び起こすのに、少しかかった。今は、七月の十日。期末試験も終わって、あと少しで夏休み。それを思い出すのにも、少し間があった。
クラス替えがあって、文化祭があって、実力に定期に期末と、三回も試験を受けてと、記憶はある。
しかし同時に、ついさっきまで家でそろそろ昼ご飯を食べようかと考えていて、そして突然見知らぬところで膨大な本に囲まれていたという記憶もある。
何なんだこれは。
呆然として、早矢は、機械的に唐揚げを頬張っていた。窓の外は、完全に夏空をしていて、開けても全く涼しくはならなかった。
一面に、本。
ずっしりと並ぶそれらは、かなり威圧感があるが、早矢にとっては嬉しい限りだった。どれも、見たことのないものばかりだ。
多分、勉強が好きなのにできないでいる、まだ書物の貴重だった頃の人が抱くような、そんな押さえきれない期待感がある。もしくは、よく知らない場所を探検する、子供のような。
正に、よく知らない場所ではあるのだけど。
「…っわ……ぁ…!」
第一声が、それだった。
早矢は国会図書館に行ったことなどない(何しろ遠い)のだが、もしかするとこんな感じなのかもしれない。しかし、こっちの方が凄いだろうという気もする。
相撲取り二人がすれ違うのには足りるだけの間隔を空けて、いくつもの、天井まできっちりと届いた棚が立ち並ぶ。壁というものは、通路分だけ見える天井と床しかない。
これはもう、本好き、あるいは読書好きの楽園と言うしかないのではないだろうか。
思わず、手近な本を取って読み耽る。通路に座り込むことは、本来なら邪魔になるので避けたいところだが、他に人も通らないので、この際いいことにしてしまう。
見るものがいれば、「取り憑かれたような」と表現したかもしれない。
本をめくる手ももどかしく、読み終えると次を引っぱり出す。読んだ本は戻して、次の獲物を引きずり出す。
そんな状態で、早矢が我に返ったのは、六冊目の本を読んでいる途中だった。ここにきてはじめての足音に、はっとして顔を上げる。
すると、まだ若い、せいぜい高校生くらいにしか見えないのに、黒いスーツを着込んで水色のネクタイを締めた少年が立っていた。
「…見つけた」
「へ?」
「あーっ、ここかよ! ここだったのか! 俺もう、全ッ然見当違いなとこ探してて――って、それ何冊目!?」
大きな独り言を言っていたかと思えば、慌てるように叫ばれて、早矢は、背もたれ代わりにしていた本棚に、強く背を押しつけた。逃げたいところだが、立ち上がっている間に取り押さえられてしまいそうだ。
少年は、早矢のそんな様子に気付いてか気付かずか、畳みかけるように顔を近づけてきた。
「なあ、何冊目だよ?!」
「馬鹿者」
今度は足音もなく、少年の隣に出現した青年に目を見張る。やはり黒のスーツで、こちらは緑のネクタイ。何故か、レンズの嵌まっていない縁だけの眼鏡をかけている。
顔立ちがいいところが、余計に胡散臭い。
しかし少年は、馬鹿呼ばわりされたついでに頭をはたかれたにもかかわらず、ぴっと背筋を伸ばした。眼が、まるで主人を見る子犬だ。
「先輩!」
「この大馬鹿大王。万年未熟見習い」
「そ、そこまで…」
「言う。この子だって、好きで――」
そこで、早矢がひしと抱えたままの本に目をやり、軽く溜息をついてから続ける。
「…結果はともあれ、好きで来たわけじゃないんだ。そういった人たちに、速やかにお帰りいただくのが俺たちの仕事だろう。怯えさせてどうする」
うなだれる少年を放置して、青年は早矢に笑い掛けた。笑うと、ひょうきんな感じがして親しみが持てた。
「お嬢さん、ごめんな、驚かせて。こいつは、まだ未熟でね。色々と焦ってたんだ。ごめんな」
「…ちょっと、びっくりしただけだし…」
「そう? その本、面白い?」
にこやかに持っている本を示されて、うん、と、大きく頷いた。
ちょっと予想のつかない展開で、まるで本当にあることみたいで、凄くわくわくして。言葉のもどかしさを実感しながら、早矢は夢中で語っていた。青年は、それを相槌を打ちながら聞いてくれる。
そうして一段落つくと、「他の本は?」と重ねて問われ、結局、早矢はここで読んだ本全てについて語っていた。
全ての本について語り終わると、青年は、笑顔で「じゃあ、それで六冊目なんだね」と言った。何の疑問もなく、早矢は肯いた。
さすが先輩、と少年が呟いた気がした。
「ところで、今日が何日か思い出せる?」
「今日って…二月二十九日?」
「その通り。ここは、四年に一度だけ開かれる書庫だ。残念だろうけど、長居は危険だよ。さあ、君を五ヶ月と十日と二十七分後の地点に返そう――」
くるりと。
世界が弧を描いた。
はっと、早矢は我に返った。その瞬間に、お弁当の唐揚げを口に放り込んでいた。
「ぐ?」
「早矢、どうした? 変なものでも入ってた?」
「ん――…んーん」
口に唐揚げが入ったままで喋ることもできず、早矢は、ただ首を振った。それだけで伝わったらしく、呆れ顔ではあったが、友人はそれ以上訊こうとはしなかった。
ここは教室で、今は昼休み。
当然知っているはずの記憶を呼び起こすのに、少しかかった。今は、七月の十日。期末試験も終わって、あと少しで夏休み。それを思い出すのにも、少し間があった。
クラス替えがあって、文化祭があって、実力に定期に期末と、三回も試験を受けてと、記憶はある。
しかし同時に、ついさっきまで家でそろそろ昼ご飯を食べようかと考えていて、そして突然見知らぬところで膨大な本に囲まれていたという記憶もある。
何なんだこれは。
呆然として、早矢は、機械的に唐揚げを頬張っていた。窓の外は、完全に夏空をしていて、開けても全く涼しくはならなかった。
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