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どうして 上 2003/11/15
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呼び止められて、セルフェウスは振り返った。
両手には、安くてつい買ってしまった果実の詰まった紙袋。昼下がりに買い物をする若いお父さん、といったところだろうか。
「お前、セルフィスだな」
「誰ですか、それは?」
明かに堅気でない、もう涼しいのに腕を出して、その腕を横断する傷痕を見せ付ける男を見上げて、セルフェウスは笑顔で首を傾げた。
セルフェウスも背が低い方ではないが、男はそれよりも頭一つ分くらいは高い。
「ふざけるな。これでも俺は、お前に気を遣ってやってるんだぜ。こんな街中で正体をばらされてもいいのか、慈悲深い敬父サマよ?」
「ああ、ぼくの事ですか。人の名前を間違えないでくださいよ」
すれ違、会釈を交わしていく街の人々に穏やかな笑顔を返しながら、セルフェウスはもう一度、男を見上げた。笑った顔の、目だけが細く開かれ、冷たく光る。
一瞬それに気圧されかけた男は、しかし、なんとか留まって、逆に満足そうな笑みをもらした。
「まだ鈍ってないということか。来い」
両手に紙袋を抱えながら、セルフェウスは器用に肩を竦めた。先に歩き出した男の後を、追う。
「まったく、馬鹿ばっかりで厭になるねえ」
既に命の無い頭を蹴りつけて、セルフェウスは呟いた。両手は、黒い上着のポケットに収まっている。
部屋には、幾つかの命の無い人体が倒れていた。少なくはあるが、血も流れている。
右斜め後ろ、扉のある方向から床板の軋む音がして、考えるよりも先に、体が構えていた。現れたのはまだ小さな女の子で、セルフェウスは構えを解いて、無駄と知りながらも部屋の中を見せないように視界を遮る。
「やあ。君は?」
「…ころしたの…?」
「うん? まあね。君は、孫か何かなのかな?」
「……ちがう」
「そうか。どうする? 帰るところがあるなら送っていくよ。それとも、僕と来るかい?」
差し出したセルフェウスの手は、綺麗なままだった。
どうしてあんなにも馬鹿が多いのだろうと、セルフェウスは思う。
殺しの一線を退いた者が、堂々と暮らしていけると本気で信じているのだろうか。セルフェウスが実行しているように、可能ではある。しかし、その裏を考えはしないのだろうか。
「お帰りなさい、お父さん!」
「おかえりなさーい!」
「あっ、リンゴだっ!」
戸を開けると、いつものように子供たちが、セルフェウスを歓声で迎えた。笑いながら、セルフェウスは果物の詰まった紙袋を子供の一人に渡す。
比較的年長の少年は、まとわりついてくる他の子供たちをつれて奥の方に消えて行った。きっと、すぐにむかれて出て来るだろう。
「おとうさん、なにかあった?」
「どうしてですか?」
心配そうに見上げてきた少女に、セルフェウスは少し意外そうに、訊き返した。目線を合わせるために腰を落としたセルフェウスの頬に、少女の小さな掌があてられた。
「なんだか、かなしそう」
「大丈夫ですよ、シェリカ。ほら、リュネがリンゴをむいてくれましたよ。行きましょう」
「おとうさん、むりしちゃだめだよ。かなしくなったら、ないていいんだからね」
「………ありがとう」
小さな少女の掌に掌を重ねて、静かに、言った。
――どうして、ああいった手合いは、接触してくることで己の身が危険にさらされると考えないのだろうか。
多くの秘密を知る危険人物を、野放しにしておきたいものは少ないだろう。それを全て、実力で排除してきたからこそ、ここにいられるというのに。
命の重みなど、感じたこともない。
だから平気で、それを奪える。悲しむ者がいると知っても、それは変わらない。
「ありがとう、シェリカ」
少女の掌は、温かかった。
両手には、安くてつい買ってしまった果実の詰まった紙袋。昼下がりに買い物をする若いお父さん、といったところだろうか。
「お前、セルフィスだな」
「誰ですか、それは?」
明かに堅気でない、もう涼しいのに腕を出して、その腕を横断する傷痕を見せ付ける男を見上げて、セルフェウスは笑顔で首を傾げた。
セルフェウスも背が低い方ではないが、男はそれよりも頭一つ分くらいは高い。
「ふざけるな。これでも俺は、お前に気を遣ってやってるんだぜ。こんな街中で正体をばらされてもいいのか、慈悲深い敬父サマよ?」
「ああ、ぼくの事ですか。人の名前を間違えないでくださいよ」
すれ違、会釈を交わしていく街の人々に穏やかな笑顔を返しながら、セルフェウスはもう一度、男を見上げた。笑った顔の、目だけが細く開かれ、冷たく光る。
一瞬それに気圧されかけた男は、しかし、なんとか留まって、逆に満足そうな笑みをもらした。
「まだ鈍ってないということか。来い」
両手に紙袋を抱えながら、セルフェウスは器用に肩を竦めた。先に歩き出した男の後を、追う。
「まったく、馬鹿ばっかりで厭になるねえ」
既に命の無い頭を蹴りつけて、セルフェウスは呟いた。両手は、黒い上着のポケットに収まっている。
部屋には、幾つかの命の無い人体が倒れていた。少なくはあるが、血も流れている。
右斜め後ろ、扉のある方向から床板の軋む音がして、考えるよりも先に、体が構えていた。現れたのはまだ小さな女の子で、セルフェウスは構えを解いて、無駄と知りながらも部屋の中を見せないように視界を遮る。
「やあ。君は?」
「…ころしたの…?」
「うん? まあね。君は、孫か何かなのかな?」
「……ちがう」
「そうか。どうする? 帰るところがあるなら送っていくよ。それとも、僕と来るかい?」
差し出したセルフェウスの手は、綺麗なままだった。
どうしてあんなにも馬鹿が多いのだろうと、セルフェウスは思う。
殺しの一線を退いた者が、堂々と暮らしていけると本気で信じているのだろうか。セルフェウスが実行しているように、可能ではある。しかし、その裏を考えはしないのだろうか。
「お帰りなさい、お父さん!」
「おかえりなさーい!」
「あっ、リンゴだっ!」
戸を開けると、いつものように子供たちが、セルフェウスを歓声で迎えた。笑いながら、セルフェウスは果物の詰まった紙袋を子供の一人に渡す。
比較的年長の少年は、まとわりついてくる他の子供たちをつれて奥の方に消えて行った。きっと、すぐにむかれて出て来るだろう。
「おとうさん、なにかあった?」
「どうしてですか?」
心配そうに見上げてきた少女に、セルフェウスは少し意外そうに、訊き返した。目線を合わせるために腰を落としたセルフェウスの頬に、少女の小さな掌があてられた。
「なんだか、かなしそう」
「大丈夫ですよ、シェリカ。ほら、リュネがリンゴをむいてくれましたよ。行きましょう」
「おとうさん、むりしちゃだめだよ。かなしくなったら、ないていいんだからね」
「………ありがとう」
小さな少女の掌に掌を重ねて、静かに、言った。
――どうして、ああいった手合いは、接触してくることで己の身が危険にさらされると考えないのだろうか。
多くの秘密を知る危険人物を、野放しにしておきたいものは少ないだろう。それを全て、実力で排除してきたからこそ、ここにいられるというのに。
命の重みなど、感じたこともない。
だから平気で、それを奪える。悲しむ者がいると知っても、それは変わらない。
「ありがとう、シェリカ」
少女の掌は、温かかった。
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