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贖罪 2003/10/23
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「…やあ。やっと来たんだね。…待ってたんだよ」
柔らかく、果敢なげに笑う青年を、少女はただ見返した。その瞳は、感情がないようにさえ見えるだろう。
しかし、少女の瞳は常に怒りを湛えている。狂気を秘めている。だからこそ、却って感情がないように見える。
「…私も、お前に会いたかった」
少女の声は、低くさびているようでいて、どこか甘い。
青年は、哀しそうに晴れやかに、笑った。
風が二人の間を抜け、それぞれに羽織っているマントと、長い髪を揺らして行く。
「ずっと、ずっと待ってた。君が来てくれるのを。君が、僕を裁きに来てくれるのを」
「私は、裁いたりしない」
「…僕を殺せるのは、君だけだから。それが、裁きになる」
少女は、真っ直ぐに青年を見た。
この男は妹の直接の仇だと、何度目かも判らない声が、胸中で響く。だから、刀を揮えと声が囁きかける。それは、自分の声だった。
だが、と少女は考える。それでは、自分も同罪だ。彼に頼んだのは、自分なのだから。
そうして、少女は、揺るぎ無い答を導き出す。繰り返し、繰り返された解答式。少女は、半ば無意識に腰に履いた剣に手を添えて、逆の手を差し出した。
「死神。あの過去を悔いるなら、私と一緒に来るんだ。私に罪を憶えるというのならば、この手を取れ。――私は、神々を斬りに行く」
青年は、恐怖にか眼を見開いた。今にも叫び出しそうな表情は、見たことがあった。もう、十年以上は前のことになる。
少女には、一人の妹がいた。妹はほんの数日しか生きなかったが、確かに、いた。父は既になく、母の命を譲り受けて、その子供は確かに生まれた。
少女は、生まれたばかりの妹が祝福を授かるよう、神会へと足を運んだ。小さな小さな妹を大切に抱きかかえて、まだ小さな足を一生懸命に動かして。
しかし神会には、神々はいなかった。いたのは、少女と変わらないほどの、まだ小さな男の子だった。濡れたように黒い瞳と髪を、珍しいと思った。
『あなたは?』
『僕…は…今、生まれたばかりの…。君は? 君は…何をしに、ここに?』
『いもうとが生まれたの。だから、祝福をもらいにきたの。しあわせになるように、神様に祝福をもらいにきたの』
『僕も…神だよ』
『ほんとうに? じゃあ、この子に祝福をあげてくれる?』
『うん』
知らなかったのだ。少女も、少年も。少年は己が、少女は彼が、死神だとは知らなかった。
死神の祝福は――死。
幼子は、短い生を終えた。誰も考えもしなかった理由で、母を追って逝ってしまった。
『まあ、なんてこと! 人の児がいるわよ』
『どういうことだ。ここは封じたはずだろう?! 生まれたばかりなら、まだ祝福を受けずにどこにもその位置の定まっていないものならともかく、何故あんな子供が?』
『――神殺しの児だわ』
『では、あの児が』
『忌まわしい死神を――!』
『あの児が!』
『…でも、今はまだ早い』
神々の囁く声が聞こえ、次の瞬間には、少女は息絶えた妹を抱いたまま、神会の外にいた。神々から正式に話を受けたのはいつだったか、妹と母の亡骸をどうやって弔ったのか、そのあたりの記憶はあやふやだ。
とにかく少女は、そのときに多くのものを失ったのだ。
少女は、凍りついたような青年を見て、初めて感情のようなものを見せた。皮肉げに、片頬を歪める。
「八つ当たりだろうという自覚はある。神々が正しいのかもしれない。だが私は、決して納得はしない。…何かを恨まなければ、私は壊れていた。いや…疾うに、壊れているのかもしれないな。あの日に」
青年は、はっとして少女を見つめた。
少女は、しかし最早、再び感情を押し込めてしまっていた。
「どうする」
「――君が、望むなら。僕の全ては、君のために」
ふわりと立ち上がった青年の背には、髪と瞳と同じ、濡れたように黒い、大きな翼があった。両手で包み込むようにして、少女の手をとる。
「いこう」
少女を優しく抱きしめて、青年は飛び立った。
柔らかく、果敢なげに笑う青年を、少女はただ見返した。その瞳は、感情がないようにさえ見えるだろう。
しかし、少女の瞳は常に怒りを湛えている。狂気を秘めている。だからこそ、却って感情がないように見える。
「…私も、お前に会いたかった」
少女の声は、低くさびているようでいて、どこか甘い。
青年は、哀しそうに晴れやかに、笑った。
風が二人の間を抜け、それぞれに羽織っているマントと、長い髪を揺らして行く。
「ずっと、ずっと待ってた。君が来てくれるのを。君が、僕を裁きに来てくれるのを」
「私は、裁いたりしない」
「…僕を殺せるのは、君だけだから。それが、裁きになる」
少女は、真っ直ぐに青年を見た。
この男は妹の直接の仇だと、何度目かも判らない声が、胸中で響く。だから、刀を揮えと声が囁きかける。それは、自分の声だった。
だが、と少女は考える。それでは、自分も同罪だ。彼に頼んだのは、自分なのだから。
そうして、少女は、揺るぎ無い答を導き出す。繰り返し、繰り返された解答式。少女は、半ば無意識に腰に履いた剣に手を添えて、逆の手を差し出した。
「死神。あの過去を悔いるなら、私と一緒に来るんだ。私に罪を憶えるというのならば、この手を取れ。――私は、神々を斬りに行く」
青年は、恐怖にか眼を見開いた。今にも叫び出しそうな表情は、見たことがあった。もう、十年以上は前のことになる。
少女には、一人の妹がいた。妹はほんの数日しか生きなかったが、確かに、いた。父は既になく、母の命を譲り受けて、その子供は確かに生まれた。
少女は、生まれたばかりの妹が祝福を授かるよう、神会へと足を運んだ。小さな小さな妹を大切に抱きかかえて、まだ小さな足を一生懸命に動かして。
しかし神会には、神々はいなかった。いたのは、少女と変わらないほどの、まだ小さな男の子だった。濡れたように黒い瞳と髪を、珍しいと思った。
『あなたは?』
『僕…は…今、生まれたばかりの…。君は? 君は…何をしに、ここに?』
『いもうとが生まれたの。だから、祝福をもらいにきたの。しあわせになるように、神様に祝福をもらいにきたの』
『僕も…神だよ』
『ほんとうに? じゃあ、この子に祝福をあげてくれる?』
『うん』
知らなかったのだ。少女も、少年も。少年は己が、少女は彼が、死神だとは知らなかった。
死神の祝福は――死。
幼子は、短い生を終えた。誰も考えもしなかった理由で、母を追って逝ってしまった。
『まあ、なんてこと! 人の児がいるわよ』
『どういうことだ。ここは封じたはずだろう?! 生まれたばかりなら、まだ祝福を受けずにどこにもその位置の定まっていないものならともかく、何故あんな子供が?』
『――神殺しの児だわ』
『では、あの児が』
『忌まわしい死神を――!』
『あの児が!』
『…でも、今はまだ早い』
神々の囁く声が聞こえ、次の瞬間には、少女は息絶えた妹を抱いたまま、神会の外にいた。神々から正式に話を受けたのはいつだったか、妹と母の亡骸をどうやって弔ったのか、そのあたりの記憶はあやふやだ。
とにかく少女は、そのときに多くのものを失ったのだ。
少女は、凍りついたような青年を見て、初めて感情のようなものを見せた。皮肉げに、片頬を歪める。
「八つ当たりだろうという自覚はある。神々が正しいのかもしれない。だが私は、決して納得はしない。…何かを恨まなければ、私は壊れていた。いや…疾うに、壊れているのかもしれないな。あの日に」
青年は、はっとして少女を見つめた。
少女は、しかし最早、再び感情を押し込めてしまっていた。
「どうする」
「――君が、望むなら。僕の全ては、君のために」
ふわりと立ち上がった青年の背には、髪と瞳と同じ、濡れたように黒い、大きな翼があった。両手で包み込むようにして、少女の手をとる。
「いこう」
少女を優しく抱きしめて、青年は飛び立った。
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