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常識と日常と 2003/8/25-26
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「お袋がさー、昨日また皿割っちゃってさー」
「ふーん」
「何枚目だっての。親父も兄貴たちもお袋には甘いからさー、もう野放し」
「へえ」
「昨日の皿はいいかげん高いやつだったから、修理屋呼んだんだ」
「ほお」
「それがまた美人でさー。兄貴たちが見惚れちゃってもう大変。でも本人は、お袋に説教してあっさり修理だけして帰っちゃったけどね」
「あの兄さんたちが? それは凄いな」
「だろ? あ、でも俺は美人だとは思ったけどでれっとなんかしなかったから。なんたって俺の将来の夢はユウのお婿さん…」
繰り出された拳を、平然と紙一重でかわし、広樹はにっこりと笑った。
「で、そこの刀みたいのは何?」
「っ! てめえ、そういう突っ込みはさっさとするかしないかどっちかにしろっつってんだろっ!」
由利の怒鳴り声が響き渡るが、誰もそちらを見ようとはしなかった。触らぬ神には祟りなし、である。
広樹と由利は、何の因果か幼馴染というものをやっている。保育園で、向かいの席に座って以来の縁だ。
以来、広樹は何かと由利の傍につき、「お婿さんになる」と公言して憚らない。母親が某資産家と再婚し、様々なところで様々な変化があった後も、それは変わらなかった。
「ほらユウ、そうむくれないで。おいしいよこれ?」
差し出されたのは、素朴なカップケーキ。今度の文化祭でクラス出店する際のメニューの試作品だ。
クラスメイトたちが忙しげに立ち動く中、二人はのんびりと机を挟んで向かい合って座っている。普通ならここで文句の一つも飛んでくるところだが、これはクラス公認の事態だった。
「…それよりお前、そのビラビラ、良く平気だな?」
「え、似合わない?」
意外そうに、フリルのついたドレス…と呼びたくなるワンピースの裾を持ち上げる。かつらも被っていて、元々線の細い顔立ちをしているせいか、下手な女より女らしく見えるところが恐ろしい。あとは、これに手製の腕輪やヘアバンドがつくらしい。
クラスの手先の器用な者が何人かがかりで作ったもので、今は附属の小道具を直しに走っている。広樹は、その為に汚してはならないし居場所がわからなくなるからそこにいろと、厳命されているのだ。
広樹は、やや心配そうに由利を見やった。
「似合ってなくはないけど…てか、似合いすぎ。また男に告白されても知らないからな」
「ああ、それ? 別に、俺にはもうユウがいるし。大体、俺に喧嘩なんかで勝てる奴なんてそういないでしょ、ユウのおかげで」
「…だからなんでそれを、表に出さないんだよ」
「だって俺、ユウがわかってくれたらそれでいいもん」
穏やかに笑う広樹を、由利は少しばかり複雑な思いで見た。
広樹の母曰く、広樹は本当に自己主張のない子供だったらしい。これでやっていけるのかと、心配になったとも言う。それは今も変らず残り、今のように女装だろうが使い走りだろうが、平気でやるところがある。
しかし由利に関する部分は譲らず、ありがとうと広樹の母から礼を言われたこともあるが、由利としては納得がいかない。何故自分なのか。
「俺のことはいいからさ。その刀は?」
「ああ――木刀なんだけど、見るか?」
袱紗に入った木刀を出そうとして、由利は厭な感触を憶えた。木刀にしては、重い。堅い。何かが変わっている。
恐る恐る覗き込んで――そんな必要はなく、ただ少し出せばいいだけなのだが――低く呻いた。中にあるのは、鉄の塊。
由利の反応に、怪訝そうに広樹が顔を寄せる。由利は、投げやりに袱紗ごと刀――おそらくは、それなりに精密な模擬刀――を突き出した。反射的に、広樹がそれを受け取る。
「何これ?」
「何って、刀、だろ」
「木刀って言わなかった?」
「言ったし、朝には木刀だった。ついでに言うと、今朝までそんなものは部屋のどこにもなかった。買った覚えもない、なのに財布から金が減ってるのは不条理だと――!」
慌ててかばんを探って財布を探し当てると、中を見て再び呻いた。残金、四円也。
「あららら」
呑気な声をだした広樹の顔を思わず睨みつけるが、彼に何の責任もないことは判りきっている。
「えーっと。つまりこれ、勝手に現れて、しかもユウの財布からはその代金と思われる金額が消えてるってこと?」
幼馴染は、由利が言っていないことまで推測してまとめると、「押し売りより厄介だねえ」といって、何故か嘆息した。
由利は、げんなりと肯く。
「まあ、クレジットカードとか作ってなくて良かったね、ってとこじゃない? 作ってたらさ、途方もない額のお金が引き出されて、どこの道楽者が買うんだよ、ってな刀が来てたよ、きっと」
「…まあな」
「まだ良かったね。じゃあ、今日の昼は俺がおごるよ」
「いいよ。貸してくれたら、返す」
「そ?」
そうして、やはり広樹は、穏やかな笑みを浮かべるのだった。
この二人は、これくらいでは驚かない。既に、幼少時からの免疫がある。一般常識で考えられない事態が頻発すれば、それはもう、ある種の常識なのだ。
「でもあれだね。学校の兎がパンダに変わったよりはましかな」
「いや、金魚がうち泳いでたときよりまし程度」
「ああ、あれ。片付けが大変だったねえ」
ほのぼのと会話をする二人。
しかも、由利の怪奇現象ぶりは周知のものであり、危険事態にも自力で解決するべく、武術や裁縫や応急処置やと、様々なものを習いつけ、いつも傍らにいることを望んだ広樹も、由利と同じくらいかそれ以上のものを身につけている。
ある意味で、プロフェッショナルな二人であった。
「ユウリー、木が切れないーっ」
所在を明確にしろと言い渡され、仕事をしていないときにはこうして判りやすい場所にいる。
由利は、面倒げに、しかし即座に立ち上がった。
「あ―。ハイハイ、…つか、教室で大工作業するなってのに。じゃ」
「うん。あ、これ預かっとこうか?」
「よろしく」
これも、日常であった。
「ふーん」
「何枚目だっての。親父も兄貴たちもお袋には甘いからさー、もう野放し」
「へえ」
「昨日の皿はいいかげん高いやつだったから、修理屋呼んだんだ」
「ほお」
「それがまた美人でさー。兄貴たちが見惚れちゃってもう大変。でも本人は、お袋に説教してあっさり修理だけして帰っちゃったけどね」
「あの兄さんたちが? それは凄いな」
「だろ? あ、でも俺は美人だとは思ったけどでれっとなんかしなかったから。なんたって俺の将来の夢はユウのお婿さん…」
繰り出された拳を、平然と紙一重でかわし、広樹はにっこりと笑った。
「で、そこの刀みたいのは何?」
「っ! てめえ、そういう突っ込みはさっさとするかしないかどっちかにしろっつってんだろっ!」
由利の怒鳴り声が響き渡るが、誰もそちらを見ようとはしなかった。触らぬ神には祟りなし、である。
広樹と由利は、何の因果か幼馴染というものをやっている。保育園で、向かいの席に座って以来の縁だ。
以来、広樹は何かと由利の傍につき、「お婿さんになる」と公言して憚らない。母親が某資産家と再婚し、様々なところで様々な変化があった後も、それは変わらなかった。
「ほらユウ、そうむくれないで。おいしいよこれ?」
差し出されたのは、素朴なカップケーキ。今度の文化祭でクラス出店する際のメニューの試作品だ。
クラスメイトたちが忙しげに立ち動く中、二人はのんびりと机を挟んで向かい合って座っている。普通ならここで文句の一つも飛んでくるところだが、これはクラス公認の事態だった。
「…それよりお前、そのビラビラ、良く平気だな?」
「え、似合わない?」
意外そうに、フリルのついたドレス…と呼びたくなるワンピースの裾を持ち上げる。かつらも被っていて、元々線の細い顔立ちをしているせいか、下手な女より女らしく見えるところが恐ろしい。あとは、これに手製の腕輪やヘアバンドがつくらしい。
クラスの手先の器用な者が何人かがかりで作ったもので、今は附属の小道具を直しに走っている。広樹は、その為に汚してはならないし居場所がわからなくなるからそこにいろと、厳命されているのだ。
広樹は、やや心配そうに由利を見やった。
「似合ってなくはないけど…てか、似合いすぎ。また男に告白されても知らないからな」
「ああ、それ? 別に、俺にはもうユウがいるし。大体、俺に喧嘩なんかで勝てる奴なんてそういないでしょ、ユウのおかげで」
「…だからなんでそれを、表に出さないんだよ」
「だって俺、ユウがわかってくれたらそれでいいもん」
穏やかに笑う広樹を、由利は少しばかり複雑な思いで見た。
広樹の母曰く、広樹は本当に自己主張のない子供だったらしい。これでやっていけるのかと、心配になったとも言う。それは今も変らず残り、今のように女装だろうが使い走りだろうが、平気でやるところがある。
しかし由利に関する部分は譲らず、ありがとうと広樹の母から礼を言われたこともあるが、由利としては納得がいかない。何故自分なのか。
「俺のことはいいからさ。その刀は?」
「ああ――木刀なんだけど、見るか?」
袱紗に入った木刀を出そうとして、由利は厭な感触を憶えた。木刀にしては、重い。堅い。何かが変わっている。
恐る恐る覗き込んで――そんな必要はなく、ただ少し出せばいいだけなのだが――低く呻いた。中にあるのは、鉄の塊。
由利の反応に、怪訝そうに広樹が顔を寄せる。由利は、投げやりに袱紗ごと刀――おそらくは、それなりに精密な模擬刀――を突き出した。反射的に、広樹がそれを受け取る。
「何これ?」
「何って、刀、だろ」
「木刀って言わなかった?」
「言ったし、朝には木刀だった。ついでに言うと、今朝までそんなものは部屋のどこにもなかった。買った覚えもない、なのに財布から金が減ってるのは不条理だと――!」
慌ててかばんを探って財布を探し当てると、中を見て再び呻いた。残金、四円也。
「あららら」
呑気な声をだした広樹の顔を思わず睨みつけるが、彼に何の責任もないことは判りきっている。
「えーっと。つまりこれ、勝手に現れて、しかもユウの財布からはその代金と思われる金額が消えてるってこと?」
幼馴染は、由利が言っていないことまで推測してまとめると、「押し売りより厄介だねえ」といって、何故か嘆息した。
由利は、げんなりと肯く。
「まあ、クレジットカードとか作ってなくて良かったね、ってとこじゃない? 作ってたらさ、途方もない額のお金が引き出されて、どこの道楽者が買うんだよ、ってな刀が来てたよ、きっと」
「…まあな」
「まだ良かったね。じゃあ、今日の昼は俺がおごるよ」
「いいよ。貸してくれたら、返す」
「そ?」
そうして、やはり広樹は、穏やかな笑みを浮かべるのだった。
この二人は、これくらいでは驚かない。既に、幼少時からの免疫がある。一般常識で考えられない事態が頻発すれば、それはもう、ある種の常識なのだ。
「でもあれだね。学校の兎がパンダに変わったよりはましかな」
「いや、金魚がうち泳いでたときよりまし程度」
「ああ、あれ。片付けが大変だったねえ」
ほのぼのと会話をする二人。
しかも、由利の怪奇現象ぶりは周知のものであり、危険事態にも自力で解決するべく、武術や裁縫や応急処置やと、様々なものを習いつけ、いつも傍らにいることを望んだ広樹も、由利と同じくらいかそれ以上のものを身につけている。
ある意味で、プロフェッショナルな二人であった。
「ユウリー、木が切れないーっ」
所在を明確にしろと言い渡され、仕事をしていないときにはこうして判りやすい場所にいる。
由利は、面倒げに、しかし即座に立ち上がった。
「あ―。ハイハイ、…つか、教室で大工作業するなってのに。じゃ」
「うん。あ、これ預かっとこうか?」
「よろしく」
これも、日常であった。
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