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ゆるやかな毒 2003/3/7
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ひたひたと、この身を侵していく。
まるでそれは、遅効性の毒かのように。
ゆるゆると、細胞の一つ一つを殺していく。
紅葉は、姿勢を伸ばして机に座っていた。手には図書館の文庫本。
昨日買ったばかりの雑誌が読みたいところだが、もし学校にでも持ってきて隠されてはたまらない。図書館の本なら、謝ればすむし親にその代金だって請求できる。
「ああ、やだやだ。暗いよ、この部屋。空気が」
「仕方ないって、あれがいるんだから」
「休み時間くらい、どこかに行けよなー」
明らかに自分に向けられた嫌味が耳に入るが、無視する。
六年もこの囁きに付き合ってきたのだ。いいかげん、反応するのも疲れる。しかし不思議なのは、当人たちはそのときの声や表情の醜さに気付いていないのだろうかということだった。
閉鎖的な女子校で、初等部から高等部までの一貫校。中学や高校になるたびにいくらか外部からの入学生があるとはいっても、そうそう顔触れは変わらない。
――飽きない人たちだ。
つまらないとは思わないが、熱中するほど面白くもない本を読みながら、ちらりとそんなことを考える。自分は、もう飽き飽きしているというのに。
家の体面というものを保つために口を閉ざし、本来は奔放な性格を押し込める。それは、紅葉にとって苦手ではあってもできないことではなかった。
しかし、平気なわけではない。内から、腐っていく気がする。ゆっくりと毒に侵されるように、「日本人形のよう」と評される外見だけを残して、すべてどろどろに溶けさってしまうような。
いつも通りに、三つの短い休み時間をそうやってやり過ごすと、一時間ほどある昼休みにはかばんを持って教室を出た。
「あー…疲れる」
中等部の入学式の日にかぎをくすねておいた屋上に出て、紅葉は大きく伸びをした。背筋の伸びる感じが気持ちいい。春先の風はまだ冷たく、ばたばたと制服や髪をはためかせて行くが、気にしない。
かばんの中には、コンビニで適当に選んだパンが二つとおにぎりが二つ。それと五〇〇ミリリットルの紙パックがひとつ。
出入り口の扉に頭ごともたれて、パンをかじる。
屋上は、滅多に人がこないからか荒れている。コンクリートは所々はがれ、どこからか飛んできた草が根付いている。不思議なことに、テニスのボールやサッカーボールも転がっていた。
殺風景で、無機的。
紅葉にはその方が嬉しい。人の欠点をあげつらうのが趣味のような人たちや、八つ当たりしかしてこない人たちに囲まれるよりよっぽどいい。
「…ビデオ、ちゃんと撮れてるかなー」
昼頃再放送のバイクレースを思い浮かべ、ジュースを吸う。母が変にいじって、予約を取り消したり見てしまったりしなければいいが。目下一番の趣味のあれを、家族たちが認めてくれるはずもない。
家族は、自分たちが紅葉を圧迫しているという意識はないらしい。そして学校での現状も知らない。
息抜きはいくらでもできる。
最近ではパソコン通信という便利なものもあるし、テレビや本もある。
だが、実際に何かをするとなれば別だ。駅前にたまっているような人たちに混ざってスケボーでもやろうものなら、即座に誰かが止めに入るだろう。紅葉、というよりも紅葉の父は、そういうことにうるさい人だから。
――いいかげん息詰まるってのに。
蒼い空を見上げて、紅葉は溜息をついた。
まるでそれは、遅効性の毒のように。
ゆるゆるとこの身を侵していく。
行動を始めなければ。――たとえ、手遅れだとしても。
まるでそれは、遅効性の毒かのように。
ゆるゆると、細胞の一つ一つを殺していく。
紅葉は、姿勢を伸ばして机に座っていた。手には図書館の文庫本。
昨日買ったばかりの雑誌が読みたいところだが、もし学校にでも持ってきて隠されてはたまらない。図書館の本なら、謝ればすむし親にその代金だって請求できる。
「ああ、やだやだ。暗いよ、この部屋。空気が」
「仕方ないって、あれがいるんだから」
「休み時間くらい、どこかに行けよなー」
明らかに自分に向けられた嫌味が耳に入るが、無視する。
六年もこの囁きに付き合ってきたのだ。いいかげん、反応するのも疲れる。しかし不思議なのは、当人たちはそのときの声や表情の醜さに気付いていないのだろうかということだった。
閉鎖的な女子校で、初等部から高等部までの一貫校。中学や高校になるたびにいくらか外部からの入学生があるとはいっても、そうそう顔触れは変わらない。
――飽きない人たちだ。
つまらないとは思わないが、熱中するほど面白くもない本を読みながら、ちらりとそんなことを考える。自分は、もう飽き飽きしているというのに。
家の体面というものを保つために口を閉ざし、本来は奔放な性格を押し込める。それは、紅葉にとって苦手ではあってもできないことではなかった。
しかし、平気なわけではない。内から、腐っていく気がする。ゆっくりと毒に侵されるように、「日本人形のよう」と評される外見だけを残して、すべてどろどろに溶けさってしまうような。
いつも通りに、三つの短い休み時間をそうやってやり過ごすと、一時間ほどある昼休みにはかばんを持って教室を出た。
「あー…疲れる」
中等部の入学式の日にかぎをくすねておいた屋上に出て、紅葉は大きく伸びをした。背筋の伸びる感じが気持ちいい。春先の風はまだ冷たく、ばたばたと制服や髪をはためかせて行くが、気にしない。
かばんの中には、コンビニで適当に選んだパンが二つとおにぎりが二つ。それと五〇〇ミリリットルの紙パックがひとつ。
出入り口の扉に頭ごともたれて、パンをかじる。
屋上は、滅多に人がこないからか荒れている。コンクリートは所々はがれ、どこからか飛んできた草が根付いている。不思議なことに、テニスのボールやサッカーボールも転がっていた。
殺風景で、無機的。
紅葉にはその方が嬉しい。人の欠点をあげつらうのが趣味のような人たちや、八つ当たりしかしてこない人たちに囲まれるよりよっぽどいい。
「…ビデオ、ちゃんと撮れてるかなー」
昼頃再放送のバイクレースを思い浮かべ、ジュースを吸う。母が変にいじって、予約を取り消したり見てしまったりしなければいいが。目下一番の趣味のあれを、家族たちが認めてくれるはずもない。
家族は、自分たちが紅葉を圧迫しているという意識はないらしい。そして学校での現状も知らない。
息抜きはいくらでもできる。
最近ではパソコン通信という便利なものもあるし、テレビや本もある。
だが、実際に何かをするとなれば別だ。駅前にたまっているような人たちに混ざってスケボーでもやろうものなら、即座に誰かが止めに入るだろう。紅葉、というよりも紅葉の父は、そういうことにうるさい人だから。
――いいかげん息詰まるってのに。
蒼い空を見上げて、紅葉は溜息をついた。
まるでそれは、遅効性の毒のように。
ゆるゆるとこの身を侵していく。
行動を始めなければ。――たとえ、手遅れだとしても。
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