地球と地球儀の距離

来条恵夢

文字の大きさ
上 下
8 / 95

別れのとき 別れの場所 2002/10/7

しおりを挟む
「…っ」

 泣きたくなんてなかった。
 泣いてしまったら、何かゆるされたようで、それで終わりになってしまうようで。だから、泣きたくなんてなかったのに。
 それなのに、涙は止まらない。
 声が詰まる。
 息が、できないくらいに――。
 これしかなかったのだとわかっていても、それでも、血に濡れた両手を、固く掴んだまま離れない血を浴びた剣を、涙が濡らしていく。

 
 村は、血に染まっていた。ユリエが薬草を摘みに行った、半日ほどの間に。
 何が起きたのか、はじめは理解ができなかった。そしてそのしらせは、二日ほどしてから届いた。街からの旅人によってもたらされ、そしてユリエは、その旅人が来るまで、ずっと放心していた。

 何の覚悟もしていなかった。

 いくら人は簡単に死ぬからといって、誰がいつ死んでもおかしくはない毎日だからといって、こんな別れが訪れるとは考えもしなかった。
 平穏だけが取り柄のような村で。
 小規模ないさかいや犯罪とも言えないような犯罪、山に住む動物の被害などはあっても、どこもが日溜ひだまりのような平穏にあふれていて。

 そう言うユリエを、旅人は気の毒そうに見ていた。

 ――皆そう言うんだ。でもそれは、突然訪れた。それは、密やかに人の心に忍び込む。そして、人々を殺戮して回る。忍び込まれた人は、人の心を持たなくなって。

 一緒にこないかと、旅人に誘われた。

 だがユリエは首を振って、断った。旅人の去った後に、一人で村人の亡骸なきがらを埋めて、墓を作る。ただひとつだけ見つからない遺体は、面倒見のいいトオルのものだった。

 きっと、復讐を。

 それだけを胸に、村を後にした。長く伸ばして、誰からも誉められた髪は、邪魔だから切って。風にそよぐのが好きだった長いスカートも、二度とはかないと決めて。
 同じようにして荒廃する国を、ユリエは回っていった。

 まるで世界の最期だと。それでも生きようとする人が、妙に哀しくて、愛しかった。けれどもそれはすべて、心の奥深くに突き刺さって、表面には決して出てこなかった。
 生きるために、トオルを殺すために。ユリエは、どんなことでもした。人殺しだろうと、トオルのような人でないものを殺すことだろうと。血の臭いにも、慣れていった。

 そして、トオルに再会したのだ。

 あの時と同じように、一人で土を掘って、墓を作る。できることなら村に一緒に埋めたかったが、それは無理だった。そしてそれ以前に、村に戻ることはできなかった。
 けがれているのは、トオルよりも、自分だから。

 もう自分は人ではないのかもしれないと、ユリエは思うようになっていた。
 長い間押し殺した心は、隅からひび割れて、今ではほとんど動かない。トオルを殺したときに流した涙も、その意味はわからなかった。ただ、泣いていた。それは、感情だろうか。
 ユリエは、立ち上がった。墓を見るのではなく、行く先を見て。

「私は、生きる。みんなの分を、生きなければいけないから。私は、死ねない」

 どんなことになっても。「生きる」為だけに「生きる」。
 歩き出す。
 決して、後ろを振り返ることはなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

Go to the Frontier(new)

鼓太朗
ファンタジー
「Go to the Frontier」改訂版 運命の渦に導かれて、さぁ行こう。 神秘の世界へ♪ 第一章~ アラベスク王国編 第三章~ ラプラドル島編

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

短編集 【雨降る日に……】

星河琉嘩
ライト文芸
街の一角に佇む喫茶店。 その喫茶店に来る人たちの話です。 1話1話がとても短いお話になっています。 その他のお話も何か書けたら更新していきます。 【雨降る日に……】 【空の上に……】 【秋晴れの日に】 【君の隣】 【君の影】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~

Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。 おいしいご飯がたくさん出てきます。 いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。 助けられたり、恋をしたり。 愛とやさしさののあふれるお話です。 なろうにも投降中

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...