地球と地球儀の距離

来条恵夢

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願い 2002/7/16

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 眼が見えなければ。
 耳が聞こえなければ。
 この世界がなければ。
 はじめから、出会わなければ。
 ――苦しまずにいられたのに。



 美術室の中は、空気がこもっていた。どうしてこう、たかだか十数時間締めきっただけでこうなるのか。いつも通りに窓という窓を開け放しながら、優貴ユウキは心中溜息ためいきをついた。
 まだ誰もいない。
 まだ、他の部活仲間が来るには早い。
 昼の暑さを予告するかのような日差しに背を向けて、椅子に座った。目の前には、100号のキャンバス。
 綺麗な青い空間。幻想的な世界。所々に見られる遊び心。――優貴の、憧れて止まない技量、想像力。これが一人の手で描かれたなんて、信じられない。
 どのくらいの時間か、優貴はそれを見ていた。

「優貴」
「あ・・・・おはよう」
「おはよう」

 戸口に立つ桐香キリカは、何故か息を弾ませていた。立ちあがった優貴が、首をかしげる。

「走ってきた?」
「え? うん、ちょっとね。優貴こそ、どうしてこんなに早いの」

 とがめるような声音こわねに、わずかに眉をひそめる。
 この学校を描いた、自分の小さなキャンバスの前に移って、優貴は手を伸ばした。どの色を使うか、考える。

「いつも私が一番乗りだよ。珍しいのは桐香の方」
「えー、それってどういうこと」
「夏休みに時間通りに来たこと、今までで何回あった?」
「だって今日は」
「今日は?」

 水を汲んで絵の具を出して。筆を湿らせ、パレットにく。油絵よりも水彩が、優貴の好みだった。
 桐香からは返事がないが、えて無視することにした。絵に集中しよう。でなければ、壊れてしまう。ぎりぎりまで溜まっているキタナイ心が、溢れ出してしまう。

 ――出会わなければ。

「この絵、いつ完成?」

 肩越しに覗いているのが判った。絵筆を握る手に、力がこもる。
 写すことしか出来ない絵だ。こんなの、失敗したっていい。大体、何のために描いてるのか。
 プロになるのに十分な才能も技術もないのに、嫉妬だけ一人前なんて、どうしようもない。   

「もうすぐ」
「優貴、仕上げが綺麗だよね。絵が生き生きしてくる」

 教室に、ぽつぽつと他の部員が入ってくる。いつも通りに部活が始まると、桐香も自分の絵の前に座った。天日油てんぴあぶらの匂いがする。

 ――出会わなければ。
    苦しまずにすんだのに。

 優貴が小休止に絵のない教室の前の方で話をしていたとき、それは起こった。
 破裂音、次いで色とりどりの紙が降る。クラッカーだと気付くまでに、数秒かかった。そして、友人たちが口々に「誕生日おめでとう」と言う。
 優貴は、ただ呆気にとられていた。

「誕生日おめでとう。はい、プレゼント」
「…誕生日?」
「でしょ、今日」

 もしかして忘れてた?と、誰かが言う。優貴は、素直に肯いた。何人かが呆れ顔になる。だと思った、という声も聞こえた。
 桐香が言い出したんだよ、これ。

「朝一で来てクラッカー仕掛けとこうと思ったのに、先に来てるんだもん、焦っちゃった」

 笑顔で、桐香は袋を差し出した。ラッピングされた包み紙は、綺麗な青色をしていた。

「はい」
「…ありがとう」

 ――出会わなければ良かった。でも。
    会えて良かった。


  だからどうか、私の気持ちには気付かないでいて。
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