第十一隊の日々

来条恵夢

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六章

遺産のこと 5

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「――?」
 まばゆい光に、ルカは開けた目をすぐに眇めた。太陽ではなく、人工灯のようだ。まぶしさから逃れようと身体を動かそうとして、両手足が固定されていることに気づく。台の上に、あお向けに両手を広げてはりつけられた状態だ。
 まるで手術でも受けるようだ、と思ったところで、古い記憶がよみがえった。
 身体の中が熱くて痛くて、はじけ散りそうだった。いくつもの顔。近くや遠くの、ビンに入れられたり鎖に繋がれたりした生き物たち。それらも揺れた。そして――
 カチャリと金属音がして、話しながら何人かが入ってきたようだった。
「おい、起きてるぞ!」
 不意に一人が、悲鳴のような声を上げる。麻酔は十分に、という声も聞こえ、道理で体が重い、とルカは思った。体内の妖異のおかげか薬類は効きにくいが、まったく効かないわけではない。
 そう。だから、あのときも痛みがあるまでは眠っていられた。
「いいじゃないか。どうせ、上へは戻さないんだろう?」
 いっそ場違いなほどに朗らかではっきりとした言葉に、一同が静まり返る。聞き覚えがあるような気がして、限られた視界の中を懸命に探したルカは、呆然とする。
「総…括…?」
「落ちこぼれの十一隊といえども、私の顔くらいは知っているようだね、キラ・ルカ。いや、ハラ・ルカ、あるいは、ニシダ・ルカと呼んだほうがふさわしいかな」
 また、古い記憶が戻る。母が、そう呼ばれていたことがあった。ニシダ、と呼ばれ、今はハラ・サラだと笑って訂正する。いっそニシダに婿入りしようか、とからかう父の声。
 思い出せずにいた記憶が、泡がはじけるように頭の中を駆ける。
「何故…」
「十隊の死に損ないが妙な細工をしたせいで判りにくくなっていたが、君は歴然たる兵団ヘイダンの被検体だ。今や多重妖異は君くらいしか残っていないのだから、兵団の財産として役立ってもらうのは当然のことだろう?」
 酷薄に、男が笑う。その他の人々は、一部が同じようなかおをして、残りはそれぞれに目を逸らす。見たことのある光景だった。まったく、よく似ている。
 ルカは、急激に思い出される記憶の中から、一つを引っ張り上げて今目にしている男に重ねる。年は取っているが、同じだ。幼い頃には意味のわからなかった多くの言葉も、今ならわかる。
「あの時も、あなたは同じ事を言いましたね。僕はもう兵団のものだから、生き延びるためには多重妖異の利益を出すしかないと。そうやって、みんなを追いつめた。こんなもの、元より大っぴらにできることではありませんでしたからね。処分か実験を続けるかどちらかだと、あなたは迫った」
「――ほう。よく覚えていたな。記憶はすべて失ったと聞いていたが」
「あなたのおかげで思い出せました。感謝しましょうか? 失った原因もあなたですが」
 黙って、男はルカを睨みつける。
 ルカは、今自分が手術台にはりつけられ、何もできないとわかっていた。それでも、言わずにはいられなかった。状況が悪化するだけだとしても、黙ってなどいられない。
 あの日起きたことの、すべてとは言わない。だが一部は確実に、出向と称して第十隊に混じっていたこの男に責任がある。それなのに、ほんの十数年前のことでしかないのに、男はのうのうと兵団総括の座にいる。
「あの日、あなたが提案したんですよね。分割され、別々のものとなった妖異の共鳴の程度を知りたいと。そのために僕らを――被検体を集めて、わざわざ傷つけた。覚えていますよね。あなたは、笑顔で僕らを切り刻んだ」
 今ならわかる。七年前、第十一隊を壊滅に追い込みかけた妖異は、逃げ出し生き延びた、ルカの仲間だった。言葉は通じなくとも、親しかった、彼らの誰かだ。
「…必要な実験だった」
「でも失敗した」
「違う! おかげで貴重なデータが手に入った、失敗などではない!」
「まっ先に逃げ出したあなたがそんなことを言うんですか。あのときにあの場にいた人たちは、僕たちを助けようとして、巻き込むかもしれない他の人たちを守ろうとして、被害を最小限にとどめようと、命まで投げ出した。あんたは何をした。そのデータさえ、持ち出せはしなかったんじゃないのか」
「黙れ!」
 飛び掛ってくる男に、囲んだ人たちの中から手が伸びたが、力なく宙をつかむ。どこまでもあのときの第十隊の人々と、両親と、重なる。はじめは単純な好奇心や純真な良心から。それなのに何故こんなことになってしまったのかと、怯え、しかし思いきれずに立ち尽くす。
 ルカは、メスを手にした総括を見ながら、ようやく思い出せた人たちの死を#悼_いた_#んだ。もう二度と、決して出会うことのできない人たちを。
 両親とその同僚たちを、恨むことはできないと思い知る。あの結果は彼らの望むものではなかったし、そこを目指したわけではなかったのだ。はじめは、善意や希望だった。
「殺したいなら、頭を狙わないと」
 胸を切りつけられ、腹をえぐられ、血を吐いたから肺でも傷付いたかなと考えながら、ルカは指摘した。まだ声は出るようだ。
 再び腹をかき回され、激痛がはしるが、傷はできたそばから修復されていく。それが、切られるよりも痛い。切って修復され、それが何度も繰り返され、痛みに意識を失ってもよさそうなものなのに、逆に強すぎるからか、手放させてくれない。
 やがて、血みどろになった男は、笑った。狂気をたたえた目が、ぎらりと光る。
「殺してなどやるものか! 化物め! 肉片の一欠けらまでも、血の一滴までも、役立ってもらうぞ!」
 ルカを見下ろす男の方が、化物じみて見えた。
 激痛に耐えながらも、ルカの頭のどこかで、馬鹿なことをやった、と呟く声があった。わざわざ男を追い込んで、何をやっているのかと。早く死ねる方法はないかと、考え始めている。
 今の自分は、妖異しか吸収できないはずの#鎖月_サゲツ_#の九の戒で回収できてしまうのだろうか。それなら誰か、やってくれないものか。
「――冗談じゃねェ、くたばり損ない」
 はじめ、その声はルカの耳を素通りした。
「俺の部下に何してる。死にたいか。そうか、死にたくてンなことしてんのか」
 燃えるような赤をまとい、太刀を下げて立つ。笑ったり拗ねたりとくるくる変わる顔が、今は恐ろしいほどに美しい。まるで、鬼神のように。
 ルカの中に、信じられない思いと、やはりとの思いが交錯する。
「たい…ちょ…」
「ルカ。遅くなった」
「そん、な…」
 涙がじわりとあふれる。一緒に、冷たく凍えていた心が、動き出す。
 ふわりと、頬に温かいものが触れた。慣れた羽の感触。撫でようとして思わず動かしかけた手に、誰かの手が触れる。
「今はずすから、ちょっと待って」
「ソウヤ先輩…」
「すまない、遅くなった」
 両手足が解放され、身体を起こすとめまいがした。身体の穴はふさがっているが、血だけでもずいぶんと流れているのだと思い出す。
 それでも無理矢理に立ち上がると、ソウヤが支えてくれた。逆側ではウタが、ぐりぐりと身体をこすり付けてくる。
「あれはリツさんたちに任せて、休もうか。服も替えないとね」
「…はい」
 ちらりと見た総括は、小さくなって何かを呟いているようだった。その前にリツと、なぜかアラタまでがいる。
 ソウヤの助けを借りて部屋を出ると、サガラが出迎え、血相を変えた。
「怪我はどこを?!」
「あ…いえ、傷は、大丈夫です、ただ、その…血が足りなくて…」
 そう伝えたもののサガラは手早くルカの身体を確認し、それでも難しい顔を崩さない。そんなサガラにも手を借り、階段を登っていく。出たのは、物置きのような場所だった。手前に、大テーブルが見える。
「今日見た小部屋だよ。実験施設は目晦めくらましで、更に地下に本格的なやつがあったんだ。ウタが見つけてくれた。いなかったらと思うと、ぞっとするよ」
「とにかく、無事でよかったです。仮眠室を空けてあります。あそこなら、着替えもベットもあります」
「…フルヤは…」
「無事だよ」
「多少の怪我はしていますが、大丈夫ですよ。大人しくしているよう言い聞かせるのに苦労したくらいです」
「だから君は、今は自分のことだけ心配するように」
 ソウヤからはいくらか呆れたように言われたが、ルカとしては、申し訳なさでいっぱいだ。今の今まで、一緒に襲われたことも忘れていた。完全に、フルヤは巻き添えを食った状態だ。帰りがけに出会った時点で、断ればよかったのだ。やはり、友人を持つべきではなかった。
 地階の仮眠室に入ると、ルカをベッドに寝かせ、ソウヤはリツの元へ戻っていった。
「残ったのがリッさんと兄貴だからね。やりすぎてないことを祈るよ」
 苦笑を残し、見送ったサガラはてきぱきと動いた。着替えをそろえ、血を落とすために湯と布を用意し、簡単に食事まで作ってくれる。ルカが手を出そうとしても、やんわりと押し戻される。
「疲れているところを申し訳ないけれど、今のうちに話を聞かせてもらいます」
 サガラがそう切り出したときには、ルカはこざっぱりと着替え、食事も終えていた。総括を他の第一部三課の者らと一緒に当直班に引き渡したリツとソウヤとアラタも、食事にありついている。
 だが、話といってもルカにわかることは少ない。むしろ、ルカの方が聞きたいくらいだ。
 一緒に襲われたフルヤが、今は鎮静剤を打たれて三階の仮眠室で寝ているとは聞いた。だが、そこからどうやって今に繋がっているのかは、教えてもらっていない。
「朝になれば、大騒動でしょうからね。上に情報を上げようにも総括が黒幕ですから、明日の朝、肩書きのある者総出で話し合いですかね。ですから、今のうちに話すことと隠すことは決めておいたほうがいいでしょう。隠しておきたいこともすべてを隠し通すことはできないでしょうが、無理のない程度なら、私も聞かなかったふりはできます。練習台とでも思って話してみてください」
 にこりと、サガラは笑う。下手をすればリツの倍以上も生きているはずだが、やたらと爽やかだ。
 そこに、小さく戸が叩かれた。ルカ以外の者らは、外に立っているのが誰かわかっているようだった。どうぞ、とサガラが代表して口を開く。
「――失礼します」
「ヒシカワさん?」
 強張った顔で入ってきたヒシカワは、ルカの声を聞くなり、身をすくめた。が、深呼吸をして、思いきったように顔を上げる。ルカを、真っ直ぐに見た。
「ごめんなさい」
「え?」
「謝ってゆるされることじゃないけど、でも――ごめんなさい」
 今に土下座でもはじめてしまいそうで、ルカは一人、おろおろとする。ソウヤが椅子を勧めたが、断って、ヒシカワはルカの目の前に立った。
「タクト君を兵団に連れて戻ったのは、サクラちゃんなんだよ」
 それなら、謝る必要などどこにもないはずだ。それなのに、ヒシカワは泣き出しそうに顔を歪めた。
「私――総括に、頼まれていたの。第十一隊のことをしらせるようにと、途中からは、あなたのことも。私のことを認めてもらってるんだって、有頂天になってた。だから、全部、光園ヒカリエンであなたと園長の話を少しだけ聞いて、それも、すぐにではないけど…報告した。私が――」
「もしヒシカワさんがこうなったのが自分のせいだと思うなら、それはやめてほしい。僕の元々の隠し事のせいだし、総括のせいだよ」
「――っ、ごめんなさい!」
「ルカはそう言うけどな、サクラ、途中で怖くなるようなら、やるべきじゃない。今回はそのおかげで助かったけどな。でも俺は、もうお前を仲間とは思えない」
「――はい」
 隊長、と呼びかけた声は、飲み込んでしまった。リツは怒っているわけではないと、わかってしまった。ヒシカワと同じくらいに、やりきれないかおをしている。
 ヒシカワは、もう一度深々と頭を下げると、出て行った。
 静まり返った部屋の中で、サガラも立ち上がる。もう一度、爽やかに笑みをたたえる。
「打ち合わせはしておいたほうがいいとは思いますが、この状況で、私を信用してほしいといっても難しいでしょうね。正直なところ、私も深入りしたいと思いません。総括たちの様子を見てきますから、フワ君、お願いしますね」
 軽やかな音を立ててもう一度戸が閉められると、ふう、とソウヤとアラタが息を吐いた。
「逃げられたな」
「逃げましたね」
「ってかなんで俺じゃなくてソウヤ…フワ兄? お前らに言ってくんだよっ」
「まあそれはそういうことですよ。ということなので、アンタも出てってください」
「ええ? ひどいなソウヤ、僕だけ仲間はずれにするつもりかい?」
「仲間になった覚えがありません」
 呑気なような殺伐としたような会話に、少しだけ気が楽になる。妙なものだ。
 何一つ解決はしていないし、もしかすると余計にややこしくなるのかもしれないが、今までの日常が戻ったかのようでほっとする。
 あっそうだ、と、アラタが流れを断ち切って口を開いた。ソウヤをちらりと見て、ルカを見つめる。
「ヒシカワ嬢はあの通りだったわけだけど、実は僕も、元上司から指示を受けていてね。孫が娘と上手くやっていけるのか、そもそもできるなら兵団から離したいんだけどどうにかならないか、と言われいてね」
「…待て、アンタの元上司って言うと」
「ニシダ前総括」
 にっこりと笑う。ルカは既に思い出していたが、リツが、目をみはったまま動きを止める。
「それじゃあ、邪魔者扱いもされたことだし、失礼するよ。前総括に顛末てんまつも報せないとね。ソウヤ、お前も来ないか」
「お断りします。隊長一人で、出す情報と出さない情報の区別がつくとは思えませんから」
「無能な上司は早々に見切ったほうが身のためだよ」
「これ以上得がたい人は知りません」
 どこか傷付いたようなアラタを目で見送りながら、ルカはリツの視線を感じていた。まだ、その顔を見られない。
 祖父の顔を思い出し、知らずに再会したときの様子も思い出す。年をとっていた。当たり前だ。あのときに、祖父はルカのことを気付いていたのだろうか。
「――たのむ。誰かどうにか説明してくれ、何がどうなってんだよ、ルカがおやっさんの孫? なんでそれで人体実験? てか、あの死に損ないは何がしたくて何したんだ? あっ、俺まだウタに礼言ってないやありがとな。…えーと、で?」
 ようやく見られたリツの顔は、困りきって妙な具合になっていた。迷子になったようにおろおろと、ソウヤとルカとを見る。
「はいはいはい。ルカ君、とりあえず話せるところから話してもらっていいかな?」
「え。――何から話せば…」
 混乱するリツの頭を、ソウヤが慣れた手つきで撫でている。そうすると、部下と上司ではなく兄妹のようだ。
 こちらも困ったかおになったルカに、ソウヤは一旦立ち上がると、甘いお茶を入れてくれた。ぬくもりと甘さがしみ入ってくる。
「そうだなあ、俺たちの方は、サクラちゃんが真っ青な顔でフルヤ君を支えて兵団に飛び込んできて、ルカ君がさらわれた、って言ってきてね。まだその時点では総括のことまで話す決心はついてなかったから、俺たちもどこに探しにいけばいいやら頭を抱えたところで、ウタが反応してくれたんだよ。もうルカ君発見器だね」
「ぴ」
 ソウヤの妙な言いように、ウタが胸を張る。まさか気に入ったのか。しかも、ルカに反応しているわけではなく、ルカの中の妖異に反応しているのだろうに。
「あの隠し部屋にたどり着いてみれば、拘束した君に、血まみれで刃物振りかざすハゲ親父がいたってわけだけど。あの血は、ルカ君のものだった? だとすれば、傷一つ残ってない君の身体は、リッさんよりもずっと妖異との同化が進んでいるということになるけど、それも、十隊の遺産?」
「――はい」
 ゆっくりと、ルカは思い出したばかりの記憶から言葉に変えていく。
 両親のこと。当時は総括ではなかっただろう祖父のこと。第十隊の人たちのこと。実験のこと。出向で来ていた現総括のこと。リツたちが駆けつけてくれるまでにあったこと。
 すべて、この二人に隠す必要は感じない。ルカが第十隊の実験体と知っても受け容れてくれた二人に拒まれるのであれば――仕方がない。
「ルカ、」
 地響きがした。
 咄嗟に刀をつかもうとして、手元になくて布団をつかむ。武具は、取り上げられたままになっているのだろう。それでも、既に駆け出したリツとソウヤを追った。立ち上がるだけでよろめき、あの二人に待っていろとも言われていたが、じっとしていられるわけがない。
 部屋を出たところでサガラにぶつかりかけ、肩を借りて下へ向かった。
 駆けつけた地下一室は吹き飛び、サガラの部下たち、当直の第四隊の面々が倒れていた。そこに、第一部の面々はいない。
 ――こうして、元凶だろう総括とその仲間たちの生死不明のまま、幕は閉じられることとなった。
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