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第七章
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潦史は、渋々と、後宮の女が着るような衣服を身につけていた。
「ほう…」
部屋の隅で、短い、感嘆の声が上がる。
ごてごてとした装飾品に化粧までしっかりとされてしまい、冷静に見て似合っているところが厭だ。化粧を施した女たちも、それぞれ感嘆の息を吐いていた。
しかし一番厭なのが、部屋の隅で、値踏みか監視をするように自分を見ている男だった。
年は三十中頃だろう。髪から爪先に至るまできっちりと身成が整っており、服も上位の者しか身につけられないものだ。大二兄。姓名は李担、字が平涼。潦史の、上から二番目の兄だ。
「こんな娘がほしいわね、あなた」
「見掛けだけならな」
「まあ。相変わらず口が悪いわね」
にっこりと笑って平涼の頬をつねる女を、潦史は知らなかった。着付けを行った女たちに二人が大恋愛の末の夫婦と知らされたときには、どうにか顔には出さずにすんだものの、大いに驚いた。
現在、相国として名実ともに国王――大兄の右腕である男は、潦史の知っている限りでは、冷酷な野心家であった。
自他共に補佐が合っていると知っているからこそ、疎まれもせず上手くやっているが、野心家には違いない。邪魔なものはどんな手を使っても確実に排し、不必要と判断したものは一顧だにしない。
それが、恋愛。想像の枠外だ。
「でも、本当にきれいだわ。ねえ、私の娘にならない?」
本気とも冗談ともつかない調子で手を取られ、内心は困惑しつつ平涼を見ると、ついと目を逸らされた。一瞬、照れているように見えたのは、多分気のせいだろう。
鈴蘭という平涼の妻は、ふわふわとした少女のような雰囲気があった。歳は平涼よりも下なのだろうが、それにしても随分と幼い印象を得る。
「…俺、男だし」
「あら、そうだったわね。ごめんなさい、とっても美人だから」
にっこりと微笑まれると、何も言えない。これで皮肉や嫌味なのだとすれば大したものだが、多分違うのだろう。潦史は、助けを求めるように視線を泳がせた。
それに応じたわけでもないだろうが、平涼が潦史の肩を叩く。
「行くぞ」
「もう行ってしまうの? まだ見ていたいわ」
「…行くぞ」
なんとなく、声が疲れているような気もした。
依然として宮中にいて、隣には平涼がいて、動きにくい女服を着せられていてと、事態の改善はないのだが、部屋を出ると、潦史は小さく安堵の息を吐いた。平涼に笑われた気がして、思わず眉根を寄せる。
基本的に、潦史はきょうだいたちが嫌いだ。自分も入れて全部で二十人ほどいるはずだが、身内と思えるのは麗春だけで、反感を持たないのは、恋愛のために出奔して行方知れずとなった五番目の姉や、全くの隠遁生活に入ったすぐ上の兄くらいしかない。
中でも、一番上の二人の兄は嫌いだった。
「それで。俺はどこに連れて行かれるんです?」
わずかに顔を伏せた上でほとんど唇を動かさず、辛うじて平涼には聞き取れるくらいの声で訊く。
渡り廊下を歩いているところを平涼と鈴蘭に直に見つかった潦史は、即座に鈴蘭――女官でもある――の私室へ連れて行かれ、文句も疑問も挟む閑もなく、衣服をはぎ取られて飾り立てられたのだ。
潦史には、この「兄」が何を考えているのかがよく解らなかった。それが、ここまで大人しく従った理由でもある。
平涼は、応えずに扉の前で立ち止まった。自ら開き、内へ招き入れる。潦史は一度、平涼を真っ向から見て、それに従った。その際、確かここはこの人の執務室だったはずだ、と、事前の情報と照合することも忘れなかった。
「好きに座れ」
卓が一つと小卓のある部屋で、そう言った本人は卓に寄りかかって立っている。
「お前が仮装している間に、人払いをしておいた。誰もいない。案ずるな」
「別に、暗殺集団が潜んでいたところで怯みませんよ」
室内をざっと見回していた潦史は、無造作に近くの椅子に座った。長い裾が、ふわりと舞う。
「何の用ですか?」
「ああ…そうだったな」
少しの間、何かに気を取られていた風だった平涼は、わずかに苦笑してそれを打ち消したようだった。改めて、倍ほども歳の違う弟を見る目は、証人を見るかのように醒めていた。
「陛下のもとに行ってもらう」
「――宦官や女官では物足りなくなったのですか」
「下世話なことを言うな」
「下世話な想像をさせたくなければ、十全の説明をすべきではありませんか、相国殿」
二人は、今や睨み合っていた。
言葉が足りないのは普段の潦史もだが、その自覚が余計に苛立たせた。わずかでも似ているところがあるだけでも、嫌悪には十分だ。
先に目を逸らしたのは、平涼の方だった。少し、俯く。
「陛下――兄上は、お前を畏れている」
「それくらい、身に沁みてわかっていますよ」
「妖魅の増加を、お前のせいだと思っている。締歌のようになるのではないかと、酷く怯えているのだ。我々の言葉も届かないほどに」
その言葉に、潦史は、わずか数刻の間に仕入れた宮中の様子を語る言葉の数々を思い返した。足繁く後宮に通う国王、後宮に現われる幽鬼。目撃者は多いのに、被害者はいない。事実はどうであれ、官僚たちがその二つを結びつけるのは、容易だろう。
潦史は、わざと大きく溜息をついた。
「わかりました、会いましょう」
そう告げると、平涼が顔を上げた。そこには、動揺のようなものは一切見られなかった。
「少しここで待て。夜の方が都合がいい」
「ですが、それなら着替える前の格好で単独に忍び入った方が良いのではないのですか。これでは、内通者がいると知らせるようなものでしょう」
「…それは、私も考えたが…」
これを機に不満分子を一掃するつもりなのかと、そう水を向けたつもりだったが、顔を背け、珍しく口ごもった様に、いささか困惑する。
「鈴蘭には逆らえん」
憮然とした声。
思わず失笑すると、平涼が睨み付けた。
「大人しくくたばっていれば、そうでなくてもあの娘の縁談のときに姿を見せていれば、すぐに済んだのだがな」
「悪かったな、期待外れで」
麗春の縁談は、潦史をおびき出すためだったのだという。道具にしか見ない目の前の男に凍った怒りを抱えたまま、潦史は、真正面を見据えた。
「ほう…」
部屋の隅で、短い、感嘆の声が上がる。
ごてごてとした装飾品に化粧までしっかりとされてしまい、冷静に見て似合っているところが厭だ。化粧を施した女たちも、それぞれ感嘆の息を吐いていた。
しかし一番厭なのが、部屋の隅で、値踏みか監視をするように自分を見ている男だった。
年は三十中頃だろう。髪から爪先に至るまできっちりと身成が整っており、服も上位の者しか身につけられないものだ。大二兄。姓名は李担、字が平涼。潦史の、上から二番目の兄だ。
「こんな娘がほしいわね、あなた」
「見掛けだけならな」
「まあ。相変わらず口が悪いわね」
にっこりと笑って平涼の頬をつねる女を、潦史は知らなかった。着付けを行った女たちに二人が大恋愛の末の夫婦と知らされたときには、どうにか顔には出さずにすんだものの、大いに驚いた。
現在、相国として名実ともに国王――大兄の右腕である男は、潦史の知っている限りでは、冷酷な野心家であった。
自他共に補佐が合っていると知っているからこそ、疎まれもせず上手くやっているが、野心家には違いない。邪魔なものはどんな手を使っても確実に排し、不必要と判断したものは一顧だにしない。
それが、恋愛。想像の枠外だ。
「でも、本当にきれいだわ。ねえ、私の娘にならない?」
本気とも冗談ともつかない調子で手を取られ、内心は困惑しつつ平涼を見ると、ついと目を逸らされた。一瞬、照れているように見えたのは、多分気のせいだろう。
鈴蘭という平涼の妻は、ふわふわとした少女のような雰囲気があった。歳は平涼よりも下なのだろうが、それにしても随分と幼い印象を得る。
「…俺、男だし」
「あら、そうだったわね。ごめんなさい、とっても美人だから」
にっこりと微笑まれると、何も言えない。これで皮肉や嫌味なのだとすれば大したものだが、多分違うのだろう。潦史は、助けを求めるように視線を泳がせた。
それに応じたわけでもないだろうが、平涼が潦史の肩を叩く。
「行くぞ」
「もう行ってしまうの? まだ見ていたいわ」
「…行くぞ」
なんとなく、声が疲れているような気もした。
依然として宮中にいて、隣には平涼がいて、動きにくい女服を着せられていてと、事態の改善はないのだが、部屋を出ると、潦史は小さく安堵の息を吐いた。平涼に笑われた気がして、思わず眉根を寄せる。
基本的に、潦史はきょうだいたちが嫌いだ。自分も入れて全部で二十人ほどいるはずだが、身内と思えるのは麗春だけで、反感を持たないのは、恋愛のために出奔して行方知れずとなった五番目の姉や、全くの隠遁生活に入ったすぐ上の兄くらいしかない。
中でも、一番上の二人の兄は嫌いだった。
「それで。俺はどこに連れて行かれるんです?」
わずかに顔を伏せた上でほとんど唇を動かさず、辛うじて平涼には聞き取れるくらいの声で訊く。
渡り廊下を歩いているところを平涼と鈴蘭に直に見つかった潦史は、即座に鈴蘭――女官でもある――の私室へ連れて行かれ、文句も疑問も挟む閑もなく、衣服をはぎ取られて飾り立てられたのだ。
潦史には、この「兄」が何を考えているのかがよく解らなかった。それが、ここまで大人しく従った理由でもある。
平涼は、応えずに扉の前で立ち止まった。自ら開き、内へ招き入れる。潦史は一度、平涼を真っ向から見て、それに従った。その際、確かここはこの人の執務室だったはずだ、と、事前の情報と照合することも忘れなかった。
「好きに座れ」
卓が一つと小卓のある部屋で、そう言った本人は卓に寄りかかって立っている。
「お前が仮装している間に、人払いをしておいた。誰もいない。案ずるな」
「別に、暗殺集団が潜んでいたところで怯みませんよ」
室内をざっと見回していた潦史は、無造作に近くの椅子に座った。長い裾が、ふわりと舞う。
「何の用ですか?」
「ああ…そうだったな」
少しの間、何かに気を取られていた風だった平涼は、わずかに苦笑してそれを打ち消したようだった。改めて、倍ほども歳の違う弟を見る目は、証人を見るかのように醒めていた。
「陛下のもとに行ってもらう」
「――宦官や女官では物足りなくなったのですか」
「下世話なことを言うな」
「下世話な想像をさせたくなければ、十全の説明をすべきではありませんか、相国殿」
二人は、今や睨み合っていた。
言葉が足りないのは普段の潦史もだが、その自覚が余計に苛立たせた。わずかでも似ているところがあるだけでも、嫌悪には十分だ。
先に目を逸らしたのは、平涼の方だった。少し、俯く。
「陛下――兄上は、お前を畏れている」
「それくらい、身に沁みてわかっていますよ」
「妖魅の増加を、お前のせいだと思っている。締歌のようになるのではないかと、酷く怯えているのだ。我々の言葉も届かないほどに」
その言葉に、潦史は、わずか数刻の間に仕入れた宮中の様子を語る言葉の数々を思い返した。足繁く後宮に通う国王、後宮に現われる幽鬼。目撃者は多いのに、被害者はいない。事実はどうであれ、官僚たちがその二つを結びつけるのは、容易だろう。
潦史は、わざと大きく溜息をついた。
「わかりました、会いましょう」
そう告げると、平涼が顔を上げた。そこには、動揺のようなものは一切見られなかった。
「少しここで待て。夜の方が都合がいい」
「ですが、それなら着替える前の格好で単独に忍び入った方が良いのではないのですか。これでは、内通者がいると知らせるようなものでしょう」
「…それは、私も考えたが…」
これを機に不満分子を一掃するつもりなのかと、そう水を向けたつもりだったが、顔を背け、珍しく口ごもった様に、いささか困惑する。
「鈴蘭には逆らえん」
憮然とした声。
思わず失笑すると、平涼が睨み付けた。
「大人しくくたばっていれば、そうでなくてもあの娘の縁談のときに姿を見せていれば、すぐに済んだのだがな」
「悪かったな、期待外れで」
麗春の縁談は、潦史をおびき出すためだったのだという。道具にしか見ない目の前の男に凍った怒りを抱えたまま、潦史は、真正面を見据えた。
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