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人形屋
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暗闇の中で、サラは一人彷徨っていた。どうしたらいいかわからず立ち尽くすサラに、声が響く。
『いらない名前なら、ちょうだい』
いつの日か、出会って消えた人形が言った。
『喋る口があったのにねぇ』
『何のための口なんだろうねぇ』
腹話術人形が、カラカラと笑った。
『言われた通りの服を着て』
『言われた通りに笑顔を見せて』
着せ替え人形と、看板人形が抑揚のない声で言う。
『過去の思い出に囚われてよぉ……』
テディベアは、苛立ちを隠さない。
『逃げ出したつもりになってさ。それでも君は結局、持ち主に囚われて、縛られたまま』
マリオネットはくるくる踊る。
『ねぇ、あなたも一緒じゃない。お人形さん?』
ラブドールは、力なく笑った。
──いやだ。やめてやめてやめてやめて。
サラは懸命に首を振った。人形たちの軽蔑の目から逃げるように走り出す。何かにぶつかって、尻餅をついた。顔を上げると、いつかの懐かしい笑顔。
──やめて。
ブリキの人形は、サラを見下ろしている。
──お願い、あなたまで。
『サラ……何て汚らわしい名前』
──私を、否定しないで。
* * *
頬に伝う涙で、それが夢だと気がついた。横たわったまま頬に触れると、驚くほど濡れている。
嫌な夢だった、と片付けられない。彼らの言っていることは紛れも無い事実だ。本当は、涙を流す資格だってない──人形には、涙は流せない。
手のひらでゴシゴシと涙を拭う。そこで、ふと気がついた。手が、綺麗なのだ。
──そういえば、ここはどこなの?
センの家を飛び出してからの記憶が曖昧だ。全てを思い出して、ショックで嘔吐して、それから。
見慣れない部屋だった。気を失っている間に『家』に連れ戻されたわけではないようで、少し安心する。シュー、シューとお湯の湧く音がした。蒸気に合わせてやかんの蓋がコトコト動く、放浪を始めてから久しい音。
──暖かい……。
半身を起こしてみて、自分がベッドに寝かされていたことがわかった。服も、いつもの白いキャミソールワンピースじゃ無くなっている。すこしサイズの大きい、寝巻きだ。
「あっ、よかった。目を覚ましたのね」
誰かの声がして、サラはびくりと肩を震わせた。
女の人だった。黒い髪に黒い瞳。長い髪を一つに束ね、ネットでまとめている。同じく黒くふんわりとしたワンピースに白いエプロンをつけた彼女の格好は、シンプルなメイドのようであった。しかし普通のメイドと違うのは、彼女は右手で杖をついていて、歩く時の支えにしているようであることだ。
「あの……ここは」
「ここは街外れの人形屋よ。私はその店のオーナーのメデュナ。メデュナ・コンバラリア」
メデュナは快活そうな笑みを浮かべて、ベッドの横の椅子に腰かけた。
「コンバラリア……さん。あの、私はどうしてここに?」
「あなたね、倒れてたのよ。街の路地で」
「倒れて……」
やっぱり、気を失っていたのだ。あれからどれくらい気を失っていたのかはわからないが。
「私、驚いちゃって。街にはお買い物のために出かけたんだけれど、お買い物用の台車で思わず連れて来ちゃったの。まさかあれで人を運ぶだなんて思わなかったわ!」
「……すみません」
メデュナはそう言ってケタケタと笑った。ここはどれくらい街から離れているのだろう。しかしどちらにせよ、彼女に苦労をかけたことは間違いないため、サラは深々とお辞儀をした。メデュナは「やだ、嫌味のつもりで言ったんじゃないのよ!」と慌てている。
「でも、目を覚ましてくれてよかったわ。あなたが倒れている間に、お風呂とか……できそうなことはしたけど。目を覚ましたなら、早いうちにお医者さんにも診てもらわないとね」
お医者さん──サラはハッとして、メデュナの腕を掴んだ。
「お医者は……っ、お医者は、ダメです」
医者にかかって素性を知られたら、家に連れ戻されてしまうかもしれない。父と母がどれくらい事を大きくしているかはわからないが、用心するに越したことはない。路頭に迷ってはいるが、家に戻るのもダメだ。だったら、誰にも見つからないように、死んでしまった方がいい。
「……何か訳があるのね」
「……、コンバラリアさん。助けてくださってありがとうございました。もう大丈夫ですから、私──」
ベッドから降りようとした瞬間、くらりと重心が傾いた。まだ体調は万全ではないようで、サラはそのままベッドに逆戻りしてしまった。
「駄目よ。しばらくは安静にしていなくっちゃ」
「でも、」
「お医者さんにはかからないわ。だから、しばらくはここにいて」
「そんなわけには……」
「お願い。……あなたが心配なの」
サラは息を飲んだ。『心配』なんて言葉、かけられたのはいつぶりだろう。実の親でさえ、かけてくれなかった言葉。思わず言葉を詰まらせると、メデュナはサラに布団をかけ直してから、にっこりと笑った。
「待ってて。今温かいスープと美味しいパンを用意してあげる」
そう言ってゆっくり立ち上がったメデュナの背中を見ていると、遅れてやってきた腹の虫が、ぐぅと音を立てた。
用意されたメデュナの料理は素朴であったが、だからこそ、空っぽの胃にはしみた。久しぶりの手料理に、いつかの親子のことを思い出しそうになって、首を振った。少しも残さず料理を平らげた後で、メデュナが頬杖をつきながら尋ねた。
『いらない名前なら、ちょうだい』
いつの日か、出会って消えた人形が言った。
『喋る口があったのにねぇ』
『何のための口なんだろうねぇ』
腹話術人形が、カラカラと笑った。
『言われた通りの服を着て』
『言われた通りに笑顔を見せて』
着せ替え人形と、看板人形が抑揚のない声で言う。
『過去の思い出に囚われてよぉ……』
テディベアは、苛立ちを隠さない。
『逃げ出したつもりになってさ。それでも君は結局、持ち主に囚われて、縛られたまま』
マリオネットはくるくる踊る。
『ねぇ、あなたも一緒じゃない。お人形さん?』
ラブドールは、力なく笑った。
──いやだ。やめてやめてやめてやめて。
サラは懸命に首を振った。人形たちの軽蔑の目から逃げるように走り出す。何かにぶつかって、尻餅をついた。顔を上げると、いつかの懐かしい笑顔。
──やめて。
ブリキの人形は、サラを見下ろしている。
──お願い、あなたまで。
『サラ……何て汚らわしい名前』
──私を、否定しないで。
* * *
頬に伝う涙で、それが夢だと気がついた。横たわったまま頬に触れると、驚くほど濡れている。
嫌な夢だった、と片付けられない。彼らの言っていることは紛れも無い事実だ。本当は、涙を流す資格だってない──人形には、涙は流せない。
手のひらでゴシゴシと涙を拭う。そこで、ふと気がついた。手が、綺麗なのだ。
──そういえば、ここはどこなの?
センの家を飛び出してからの記憶が曖昧だ。全てを思い出して、ショックで嘔吐して、それから。
見慣れない部屋だった。気を失っている間に『家』に連れ戻されたわけではないようで、少し安心する。シュー、シューとお湯の湧く音がした。蒸気に合わせてやかんの蓋がコトコト動く、放浪を始めてから久しい音。
──暖かい……。
半身を起こしてみて、自分がベッドに寝かされていたことがわかった。服も、いつもの白いキャミソールワンピースじゃ無くなっている。すこしサイズの大きい、寝巻きだ。
「あっ、よかった。目を覚ましたのね」
誰かの声がして、サラはびくりと肩を震わせた。
女の人だった。黒い髪に黒い瞳。長い髪を一つに束ね、ネットでまとめている。同じく黒くふんわりとしたワンピースに白いエプロンをつけた彼女の格好は、シンプルなメイドのようであった。しかし普通のメイドと違うのは、彼女は右手で杖をついていて、歩く時の支えにしているようであることだ。
「あの……ここは」
「ここは街外れの人形屋よ。私はその店のオーナーのメデュナ。メデュナ・コンバラリア」
メデュナは快活そうな笑みを浮かべて、ベッドの横の椅子に腰かけた。
「コンバラリア……さん。あの、私はどうしてここに?」
「あなたね、倒れてたのよ。街の路地で」
「倒れて……」
やっぱり、気を失っていたのだ。あれからどれくらい気を失っていたのかはわからないが。
「私、驚いちゃって。街にはお買い物のために出かけたんだけれど、お買い物用の台車で思わず連れて来ちゃったの。まさかあれで人を運ぶだなんて思わなかったわ!」
「……すみません」
メデュナはそう言ってケタケタと笑った。ここはどれくらい街から離れているのだろう。しかしどちらにせよ、彼女に苦労をかけたことは間違いないため、サラは深々とお辞儀をした。メデュナは「やだ、嫌味のつもりで言ったんじゃないのよ!」と慌てている。
「でも、目を覚ましてくれてよかったわ。あなたが倒れている間に、お風呂とか……できそうなことはしたけど。目を覚ましたなら、早いうちにお医者さんにも診てもらわないとね」
お医者さん──サラはハッとして、メデュナの腕を掴んだ。
「お医者は……っ、お医者は、ダメです」
医者にかかって素性を知られたら、家に連れ戻されてしまうかもしれない。父と母がどれくらい事を大きくしているかはわからないが、用心するに越したことはない。路頭に迷ってはいるが、家に戻るのもダメだ。だったら、誰にも見つからないように、死んでしまった方がいい。
「……何か訳があるのね」
「……、コンバラリアさん。助けてくださってありがとうございました。もう大丈夫ですから、私──」
ベッドから降りようとした瞬間、くらりと重心が傾いた。まだ体調は万全ではないようで、サラはそのままベッドに逆戻りしてしまった。
「駄目よ。しばらくは安静にしていなくっちゃ」
「でも、」
「お医者さんにはかからないわ。だから、しばらくはここにいて」
「そんなわけには……」
「お願い。……あなたが心配なの」
サラは息を飲んだ。『心配』なんて言葉、かけられたのはいつぶりだろう。実の親でさえ、かけてくれなかった言葉。思わず言葉を詰まらせると、メデュナはサラに布団をかけ直してから、にっこりと笑った。
「待ってて。今温かいスープと美味しいパンを用意してあげる」
そう言ってゆっくり立ち上がったメデュナの背中を見ていると、遅れてやってきた腹の虫が、ぐぅと音を立てた。
用意されたメデュナの料理は素朴であったが、だからこそ、空っぽの胃にはしみた。久しぶりの手料理に、いつかの親子のことを思い出しそうになって、首を振った。少しも残さず料理を平らげた後で、メデュナが頬杖をつきながら尋ねた。
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