ヒトガタの命

天乃 彗

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看板人形

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「……これって」

 サラは思わず声を洩らした。彼女が言った太ももの裏には、子供の字で『不細工人形』『激マズレストラン』などと書かれていた。服でごしごし拭いてみるが、少しも落ちない。

「こうやって看板を背負って表にいると、そういう陰口とか、お店の評判が嫌でも聞こえてしまいます。こうやって、傷つけられることも」
「……ひどい……」
「でも、仕方がないんですよね。わたしはこうして、ニコニコしてお客様をお迎えするしかないんですから」
「……そっか」

 サラは小さく呟いた。それと同時に、ズキリ、と頭が痛んだ。

──あれ? 

 これは。この痛みは。
 あと少し。あと少しのところで記憶が戻らない。

「わたしと入れ違いになった先代は、とても汚れていました。泥と埃がこびりついてしまって」

 マツリカは、ぽつりぽつりと言う。表情は見れないのに、きっと悲しげな顔をしていると思った。

「彼女はもう廃棄処分が決まっていました。でも最後に彼女、わたしを見て言ったんです。『あぁ、よかった』って」
「『よかった』……?」

 ズキン。ズキン。少しずつ痛みが増してゆく。サラは痛みを堪えながら聞き返した。
 人形の最期を目の当たりにしてきたサラは、その言葉の意味が分からなかった。だって、捨てられた人形は、無に還るのに。

「……わたしも、最初は彼女の言葉の意味が分かりませんでした。でも、今なら分かります」
「え?」
「こうしているなら、消えてしまったほうがましです。悲しいです。体にこびりついた汚れみたいに、いつからかわたし、作り笑いがこびりついて、とれなくなってしまったんです──」

 その言葉を聞いた瞬間、サラは激痛に襲われた。脈を打つようにズキンズキンと痛む頭を押さえながら、遠くに聞こえるマツリカの声を聞いていた。


 * * *


『良いですか。社交会では常に笑顔でいるのですよ。あなたは我が家名を背負っているのですから』

 やけに大人びた服を着せられたあと、そう言われた。

『社交会……ですか?』

 サラは少しだけ眉を潜めて言う。その表情が気にくわなかったのか、相手はムッとした顔をした。

『出来ないと言うのですか?』
『……いえ』

 小さく首を振る。もはや、それ以外の動作は認められていないのだ。
 相手は無表情のままサラを見下ろす。サラはそのまま車に乗せられて知らない邸宅に連れられた。
 そこでは、高級そうな服を身に纏ったたくさんの 大人たちが、テーブルを取り囲んで各々談笑していた。サラのような年の若い人間は一人もおらず、かなり浮いている。顔が強張る。しかし女性はそんなサラの様子など気にすることもなく、その大人たちのほうへ歩いていってしまった。サラは慌ててその背中を追う。

『おや、これはこれは』

 一人が、二人に気づいて一礼した。女性が頭を下げたため、サラも小さくお辞儀をする。

『そちらのお嬢さんは……?』
『娘です。ほら、サラ、ご挨拶なさい』

 小さく背中を押されて、サラはおろおろと視線を泳がせた。

『む、娘のサラです。よろしくお願いいたします』

 そう言って深々と頭を下げると、『さすが良くできたお嬢さんですね』と声が聞こえた。

『じゃあサラ、私はあちらの方々にご挨拶してくるから、ここで待っていなさい』
『えっ、あ……』

 置いていかないで。口にする前に、『母』は早足で人混みに消えた。
 どうしよう。そう思ったとき、ヒソヒソと声が聞こえてきた。

『妾の子という噂はガセだったのだな。見事な金髪だ』
『あら嫌だ、本人の前で』

 クスクスと笑いながら、さっきまで丁寧に笑いかけてきた大人たちが言っている。

『わからないぞ、あの家は自分達の利益になることなら何でもするそうだから。どこかで美しい娘を買ってきたのかもしれん』
『話題作りのためにか』
『旦那はともかく、妻は相当なやり手だと言うしな』

 悪く言われている、ということは理解できた。ヒソヒソ……ヒソヒソ……聞きたくなくとも聞こえてくるその声に、サラは耳を覆いたくなった。

『サラ』

 ハッとした。振り返ると、いつのまにか戻ってきていた『母』がサラを見下ろしていた。

──笑いなさい。

 声がなくともわかった。
 笑わなければ。何にも聞こえていない。ただ、笑えばいいのだ。

『あちらの方々があなたを拝見したいと。行きますよ』
『……はい』

 笑え。顔の筋肉が固まるほどに。


 * * *


 無くした記憶の欠片。そこにいた自分は、マツリカと同じだった。まるで仮面をつけているみたいに、必死に笑顔を作って。
 衝撃的だったのは、それだけではない。度々記憶に登場していた女性。いつも厳しく、冷徹に接してきていた、女性。まさかとは思っていたが、あの女性は。

──母、だったのだ。

「──サラさん?」

 心配そうなマツリカの声が耳に届く。ハッとして、マツリカを見た。

「大丈夫……大丈夫だから」
「そう……ですか? 顔色が悪いように見えたので」

 さすが、よく見ている。無理もない。常に厳しく、愛情も何も感じなかったあの女性が母だったのだ。自分が思い描いていたものとは遥かに違う母。
 くまおと話して戻った記憶。あの記憶は、母に対する──。

「ごめんなさい、わたしが仕事の愚痴なんか言ったから。嫌な気分になりましたよね。しょうがないのに。わたしたちにはそれが……それしか、できないのに」

 それしかできない。その言葉は確かなことであると、サラ自身がわかっている。だからこそ、何も言えなかった。

「話を聞いてくれてありがとうございました。少しだけ、気持ちが楽になりました」
「ううん、私なんて、何も」
「何もしてなくないです。あなたは、初めてわたしたちの声を聞いてくれた人。それだけで十分なんです」
「え……?」

 これまでに、沢山の人形と出会って、話を聞いてきた。自分は記憶を手に入れているが、人形たちには何もしてあげられないと思っていた。しかし、話を聞いて人形たちの気持ちが少しでも楽になれるのなら、嬉しい。

「……ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました。久し振りのおしゃべり、楽しかったです」

 マツリカの表情はわからない。でも、その声は確かに弾んでいた。作り笑いじゃない笑みで笑っていてくれたらと思う。

「私は、そろそろ行くね。今日の寝床を探さなくちゃ」
「そうですか。残念ですが仕方がないですね。またいつか会えたら、おしゃべりをしましょう」
「ええ、またいつか」

 そう言って、サラは手を振った。『またいつか』──それが叶うかはわからない。でももし叶うなら、何でもない話を笑ってしたい。今度は、自分も本当の笑みを浮かべながら──。
 今はまだ、ちゃんと笑えない自分のささやかな希望は、深くなる夜の闇にそっと隠して、ゆっくりと歩き出した。 
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