ヒトガタの命

天乃 彗

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着せ替え人形

02

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 玄関まで来て、上がってよいのかと迷っていると、母親が濡れタオルを差し出してきた。

「足と……それと、体もなるべく拭いてください。服は、もうしょうがないので結構ですから」
「あ……ありがとうございます。えっと」
「ネリウム・ペレンニスです。娘はベリス」
「ペレンニスさん、ありがとうございます」
「……すぐに支度しますから。タオルはその辺に置いておいてください」

 ネリウムは目も合わせず、キッチンへ向かった。やはり、居心地が悪い。夕食をご馳走になるという大義名分を済ませたら、さっさと出ていこう。そう思いながら、念入りに足を拭いた。露出した肌の部分もごしごしと拭く。拭いたタオルが汚れているのを見て、情けなさに声も出なかった。

「お姉ちゃん! こっちに来て!」

 部屋の中からベリスが駆けてきて、サラの腕を引いた。サラは連れられるがまま、リビングの横にある小さな部屋にやってきた。
 ピンクと白を基調とした部屋を見て、ここがベリスの部屋だと分かった。ベリスは大きな箱を取り出して、中身を探る。あれじゃないこれじゃない、と箱から出されるのは、たくさんのおもちゃだった。

──すごい量。

 サラはそのおもちゃの山を見て、ベリスがいかに親に愛されているのか分かった気がした。

「あったぁ!」

 ベリスがニコニコと見せてきたのは、一体の着せ替え人形だった。ずいぶんと使われているようだったが、傷んでいるという程でもない。茶色の長い髪はツインテールにされており、可愛いリボンがかけられていた。洋服は、フリルがたくさん使われた女の子らしいデザインのものだ。

「お洋服もね? こぉんなにたくさんあるんだ!」

 そう言うと、ベリスは違う箱を逆さにして中身を全部出した。色とりどりの人形の洋服が床に散らばる。どれもこれもスカートやワンピースのもので、全部可愛らしい、むしろ可愛すぎると言っていいものばかりだった。

「……可愛いね」
「でしょー? 全部ママに買ってもらったの!」

 すごく楽しそうにベリスは笑う。恨めしいくらい愛されて育ったベリスを、直視できなかった。

「どれか着せてほしいお洋服ある? お姉ちゃんが言ったお洋服着せてあげる!」
「……えーっとね」

 正直、早く出ていきたいし、あまり馴れ合いたくない。この子と一緒にいると──自分の惨めさが浮き彫りにされるようで。
 サラは選ぶふりをしながら、適当に目についたものに指を差した。

「これがいいかな」

 サラが指差したのは、スカートの部分がふんわりとした、胸元に大きなリボンがついた緑のドレスだった。

「うん! これ、ベリスもお気に入りなの!」

 そう言いながら、今着ている服を脱がし、緑のドレスを着せ始めた。

「やぁだ、あんた趣味悪い!」
「え?」

 突然声がして、サラは思わず返事をした。手を止めて、不思議そうに首を傾げるベリスを見るかぎり、声の主はベリスではない。考えられるのは、ただ一つ。

──この人形だわ。

 サラは人形を凝視した。開口一番「趣味悪い」だなんて、失礼な人形だ。

「ねぇ、ベリスちゃん。その子、名前は?」

 洋服を着せながら、ベリスは笑う。

「この子、イオナって言うんだ。お姉ちゃんは?」
「あ……私? 私は、サラ」
「サラお姉ちゃん! 名字は?」

 穢れのない純粋さは、時に人を傷つける。サラはどう答えようかと少し迷って俯いた。

「名字は……分からないの」
「へぇ? 変なのね」

 何気ない一言が、サラにはきつい。私は、やはり変なのか。記憶を持たない私は。

──私は、誰なの。

 険しくなる表情を悟られないように顔を背けた。

「ベリスー、ちょっとお手伝いしてくれる?」
「はーい! お姉ちゃん、イオナのお着替えしててもいいよ!」

 ベリスはイオナをサラに渡すと、とことことキッチンに向かった。ネリウムは、サラがベリスの部屋にいるから、安心したのだろう。他の部屋だったらきっと、何か盗まれるのではないかと気が気じゃないはずだ。

──不本意とはいえ匿ってくれた家の人のものを盗むわけはないのに。

 サラは拳を握った。

「ねぇ、あんたサラって言うんでしょ?」

 イオナがさも当然のように話し掛けてきて、少し焦る。サラは小さく頷いた。

「ちょうどいいわ、サラ。ちょっと違うの着せてよ。それがいいわ、その、白いタイトスカート」

 イオナが言ったのは、フリルも何もついていない、シンプルなタイトスカートだった。サラは言われたとおり、背中に付いたマジックテープを外し、イオナに着せた。

「ふう。やっと落ち着いた服が着れた。ありがとね、サラ」
「えと……どういたしまして」

 さっきまでフリフリの服にツインテールだったからか、ハキハキとものを言うイオナに、少し違和感を覚えた。それにしても、やっと、とはどういう意味だろう。

「あんたも信じられないでしょ? 持ち主の服のセンス! まじあり得ない!」
「ベリスの選んだ服のこと? それは……確かに偏った趣味だとは思うけれど」
「あたしこういうフリフリの服大っ嫌いなのよね! 本当、嫌になるったら!」

 今着てる一番マシなのだって、他の服の付属品だし。イオナはグチグチと言う。
 サラはイオナを見やる。女の子用の着せ替え人形だし、フリフリの服が似合わないわけではない。しかし、本人が気に入らないと言うのだから、何と言っても無駄だろう。

「たまにさぁ、あの子の友達の人形とかが来るわけよ。で、その子らはあたし的に好みの服着てるわけ。それがもう嫌で嫌で」

──あれ? 

 イオナの言葉に、引っ掛かる。

──『いいなぁ。羨ましいなぁ』。

 この感情を、私は知っている? 自分にはないものを、なくても手に入らないものを、望む声。
 少しずつ、頭が痛みだした。

「あたしだってさ、いろんな服が着たいのよ? シンプルなものだって着たいし、ボーイッシュなパンツスタイルもしてみたい。髪型だって、自分でどうにかしたい」

 ズキン。しだいに大きくなる頭痛。
 人形の声に必死にかじりつく。

「でも──あたしには選ぶ権利も、決める権利もないの。あの子が着せたい服を着せられるだけ。あたしは、いつもいつも我慢しなきゃいけないの」

 痛みがピークを迎えて、サラの頭の中は真っ白になった。


 * * *
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