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シンデレラ
01 灰色の日々を送る少女
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ミスコン騒ぎで嵐を呼んだ豊木高校文化祭。実はここにももうひとつ、小さな物語が生まれていたことを、知る人は少ない。
今から語るは影に埋れた、文化祭をめぐる、もうひとつのお話。
* * *
文化祭、一週間前。ポタリ、ポタリと、長い前髪から水滴が落ちた。キャハハハと響く笑い声と足音が遠ざかって行くのを聞きながら、その少女──新藤礼奈は、ぼんやりと濡れた身体を眺めていた。
昼休み、彼女はいつものように、トイレでお弁当を食べていた。以前、教室の隅っこの席でひっそりと食べていたお弁当を床に落とされたことがあった。それ以来トイレで食べている。彼女にとっては、そこが一番安全だった、はずだった。まさか、こんなことまでされると思わなかった。水圧で床に落としてしまったお弁当は、半分以上残っていた。礼奈はびしょ濡れになった制服を見下ろす。
──今日、ジャージ持って来てないのにな……。
運悪く、というか、おそらく彼女たちはそれを狙ってたのだろうが、今日は礼奈は体操着を持っていない。このまま教室に行くのも憚れるし、かと言って、どうすることもできない。
じわり、と涙が浮かんだ。ジャージを貸してくれる友達など、礼奈にはいない。クラスの人たちも、遠巻きに礼奈を眺めるだけなのだ。
自分の姿をもう一度見直す。スカートとワイシャツはびっしょり濡れている。ここがトイレの個室なのがまだよかったかもしれない。礼奈は一度ワイシャツを脱いで、小さくたたんでぎゅっと絞った。水を含んだワイシャツからはじわりと水滴が滲んで、重力のまま床に落ちた。スカートも同じく、水を絞る。
カバンの中に、着ていなかったカーディガンがあったはずだ。それを着れば、少しは暖をとれるはず。濡れているのも隠せるはずだ。まだ被害の少なかったカバンからカーディガンを取り出して、腕を通した。そこでまた泣きそうになったが、ぐっと堪えた。袖口がほつれてぼろぼろになったカーディガン。これを着ていることもまた、彼女たちをつけあがらせる一因なのだろう。
新藤礼奈には両親がいない。そのため、今は奨学金とアルバイト代で慎ましく生活している。もともと物欲があまりないこともあって、お金に余裕がないわけではないが、それでも、こんなことで、お金を使うことは避けたかった。幸い──というか、礼奈が注意深く自分の荷物を管理しているため、何かを棄てられたり壊されたり、という被害はまだない。カツアゲも、彼女たちはそういうことで楽しむ人間ではないようだから、されずに済んでいる。礼奈にとっては、その手の行動が一番困るから、それだけが救いだ。
──身体や精神への攻撃は、私が我慢すれば済むことだ。
彼女たちは、礼奈が惨めな姿になっているのを笑うのが好きなのだ。自分たちが優位に立っているということを感じたいのだ。どうせ味方などいない。じっと我慢することしか出来ないのだ。
「……でよう」
もしかしたら、反応がないことを悔やんで彼女たちが戻ってくるかもしれない。せっかくのカーディガンまで濡らされるのはごめんだ。礼奈は、耳をそばだてて外に人がいないかを確認し、そっと個室から出た。
──よかった。いないみたいだ。
そそくさとトイレを出る。教室には戻れない。仕方がない、中庭にでも行って時間を潰そう。
抱きかかえるようにして鞄を持って、背中を丸めて歩く。なるべく目立たないようにと思って生活していたら、自然とこの歩き方になっていた。
昇降口前の掲示板はいつだって何かが貼り出されている。少し前まで生徒会役員選挙のポスターだった気がしたのに、時がすぎるのがとても速く感じる。今は、やたらとカラフルな手作りポスターや、浮かれた記事の校内新聞が、これでもかと言わんばかりに並んでいた。中でも目についたのは、ミス・ミスター豊木コンテストのポスターと、それについて書かれた新聞の見出しだった。ミスコン優勝間違いなしとされる白雪林檎の写真が大きく載っている。
──ああ、違う世界の人だ。
礼奈はその新聞を眺めながら思った。一つ上の学年に白雪林檎という美少女がいるという話は知っている。彼女に親衛隊がいるということも。実物を遠巻きに眺めたこともあったが、その時も同じことを思った。きらびやかで、華やかで、誰からも愛されている人。礼奈とは、まったく違う生活を送る人。
礼奈にとって林檎のような人は遠すぎて、本当に住む世界が違うんだということを痛感させられる。彼女はまるで世界から切り離されたような人──否。
「世界から拒絶されているのは、私か……」
誰にも受け入れられず、ここまで来た。礼奈には文化祭という行事なんて楽しみな物ではなく、ここに並んでいるポスターを見ても、まったく心が躍らなかった。一緒に模擬店を見て回る友達なんかいないため、今から当日をどうすごそうかと考えては、気が重くなっていた。ポスターを順に眺めて、自分が身を隠せそうな所がないかを探す。ミスコンなんてまったく関わりのないことだし、クラスの模擬店になんかいられない。当日は中庭なども特設ステージに変わってしまうし、図書室などがある棟は封鎖されてしまう。
各教室、各クラス模擬店。校庭、ミスコン特設ステージ。第一体育館、文化部発表ステージ。第二体育館、運動部発表ステージ……。どこを見ても、当日は人で溢れかえっていそうだ。想像しただけで嫌になる。目を滑らせた先のポスターを、礼奈は何となく読んでいた。
「“第二体育館、午後の部……ダンス部発表、兼、飛び入り歓迎のダンスパーティ! 第二体育館をダンスフロアに! 楽しいひとときをあなたに”……か」
ミスコンに次いで、自分にはまったく関係のない出し物だ、と礼奈は思う。華やかなステージも、楽しい時間も、礼奈には驚くほど、遠い──。
「……ばかみたい……」
夢を見るだけ無駄なのに。そんな物に目を通してしまったことを後悔した。自虐気味に笑って、礼奈はまた歩き出したのだった。
* * *
今から語るは影に埋れた、文化祭をめぐる、もうひとつのお話。
* * *
文化祭、一週間前。ポタリ、ポタリと、長い前髪から水滴が落ちた。キャハハハと響く笑い声と足音が遠ざかって行くのを聞きながら、その少女──新藤礼奈は、ぼんやりと濡れた身体を眺めていた。
昼休み、彼女はいつものように、トイレでお弁当を食べていた。以前、教室の隅っこの席でひっそりと食べていたお弁当を床に落とされたことがあった。それ以来トイレで食べている。彼女にとっては、そこが一番安全だった、はずだった。まさか、こんなことまでされると思わなかった。水圧で床に落としてしまったお弁当は、半分以上残っていた。礼奈はびしょ濡れになった制服を見下ろす。
──今日、ジャージ持って来てないのにな……。
運悪く、というか、おそらく彼女たちはそれを狙ってたのだろうが、今日は礼奈は体操着を持っていない。このまま教室に行くのも憚れるし、かと言って、どうすることもできない。
じわり、と涙が浮かんだ。ジャージを貸してくれる友達など、礼奈にはいない。クラスの人たちも、遠巻きに礼奈を眺めるだけなのだ。
自分の姿をもう一度見直す。スカートとワイシャツはびっしょり濡れている。ここがトイレの個室なのがまだよかったかもしれない。礼奈は一度ワイシャツを脱いで、小さくたたんでぎゅっと絞った。水を含んだワイシャツからはじわりと水滴が滲んで、重力のまま床に落ちた。スカートも同じく、水を絞る。
カバンの中に、着ていなかったカーディガンがあったはずだ。それを着れば、少しは暖をとれるはず。濡れているのも隠せるはずだ。まだ被害の少なかったカバンからカーディガンを取り出して、腕を通した。そこでまた泣きそうになったが、ぐっと堪えた。袖口がほつれてぼろぼろになったカーディガン。これを着ていることもまた、彼女たちをつけあがらせる一因なのだろう。
新藤礼奈には両親がいない。そのため、今は奨学金とアルバイト代で慎ましく生活している。もともと物欲があまりないこともあって、お金に余裕がないわけではないが、それでも、こんなことで、お金を使うことは避けたかった。幸い──というか、礼奈が注意深く自分の荷物を管理しているため、何かを棄てられたり壊されたり、という被害はまだない。カツアゲも、彼女たちはそういうことで楽しむ人間ではないようだから、されずに済んでいる。礼奈にとっては、その手の行動が一番困るから、それだけが救いだ。
──身体や精神への攻撃は、私が我慢すれば済むことだ。
彼女たちは、礼奈が惨めな姿になっているのを笑うのが好きなのだ。自分たちが優位に立っているということを感じたいのだ。どうせ味方などいない。じっと我慢することしか出来ないのだ。
「……でよう」
もしかしたら、反応がないことを悔やんで彼女たちが戻ってくるかもしれない。せっかくのカーディガンまで濡らされるのはごめんだ。礼奈は、耳をそばだてて外に人がいないかを確認し、そっと個室から出た。
──よかった。いないみたいだ。
そそくさとトイレを出る。教室には戻れない。仕方がない、中庭にでも行って時間を潰そう。
抱きかかえるようにして鞄を持って、背中を丸めて歩く。なるべく目立たないようにと思って生活していたら、自然とこの歩き方になっていた。
昇降口前の掲示板はいつだって何かが貼り出されている。少し前まで生徒会役員選挙のポスターだった気がしたのに、時がすぎるのがとても速く感じる。今は、やたらとカラフルな手作りポスターや、浮かれた記事の校内新聞が、これでもかと言わんばかりに並んでいた。中でも目についたのは、ミス・ミスター豊木コンテストのポスターと、それについて書かれた新聞の見出しだった。ミスコン優勝間違いなしとされる白雪林檎の写真が大きく載っている。
──ああ、違う世界の人だ。
礼奈はその新聞を眺めながら思った。一つ上の学年に白雪林檎という美少女がいるという話は知っている。彼女に親衛隊がいるということも。実物を遠巻きに眺めたこともあったが、その時も同じことを思った。きらびやかで、華やかで、誰からも愛されている人。礼奈とは、まったく違う生活を送る人。
礼奈にとって林檎のような人は遠すぎて、本当に住む世界が違うんだということを痛感させられる。彼女はまるで世界から切り離されたような人──否。
「世界から拒絶されているのは、私か……」
誰にも受け入れられず、ここまで来た。礼奈には文化祭という行事なんて楽しみな物ではなく、ここに並んでいるポスターを見ても、まったく心が躍らなかった。一緒に模擬店を見て回る友達なんかいないため、今から当日をどうすごそうかと考えては、気が重くなっていた。ポスターを順に眺めて、自分が身を隠せそうな所がないかを探す。ミスコンなんてまったく関わりのないことだし、クラスの模擬店になんかいられない。当日は中庭なども特設ステージに変わってしまうし、図書室などがある棟は封鎖されてしまう。
各教室、各クラス模擬店。校庭、ミスコン特設ステージ。第一体育館、文化部発表ステージ。第二体育館、運動部発表ステージ……。どこを見ても、当日は人で溢れかえっていそうだ。想像しただけで嫌になる。目を滑らせた先のポスターを、礼奈は何となく読んでいた。
「“第二体育館、午後の部……ダンス部発表、兼、飛び入り歓迎のダンスパーティ! 第二体育館をダンスフロアに! 楽しいひとときをあなたに”……か」
ミスコンに次いで、自分にはまったく関係のない出し物だ、と礼奈は思う。華やかなステージも、楽しい時間も、礼奈には驚くほど、遠い──。
「……ばかみたい……」
夢を見るだけ無駄なのに。そんな物に目を通してしまったことを後悔した。自虐気味に笑って、礼奈はまた歩き出したのだった。
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