おとぎ日和

天乃 彗

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白雪姫

08 甘く蝕む恋の毒

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 ステージ裏にはけて、いろいろ話しかけてくる実行委員たちをやんわりと制しながら、林檎は祥子のもとへと歩み寄った。祥子は林檎を見るなりふいっと顔を背ける。

「……嘲笑いに来たの? それとも同情? それかなに? 今までの嫌がらせを怒りに来たの?」
「……? 今までの嫌がらせ?」

 林檎が首を傾げると、祥子は悪びれる様子もなく吐き捨てるように言った。

「そうよ? あなたに手紙を出してたのも全部私。そこにいる鏡に指示して、あなたが出場を辞退するよう仕向けてたのよ」

 ビクリ、と鏡が肩を震わせた。鏡は林檎と目が合うと、苦しそうに眉を寄せた。

「……」
「さぁ、怒鳴れば? 喚き散らせば? 何なら殴ってくれていいわよ? あなたのその美しい顔が醜く歪むのを、みんながいる前で晒せばいいじゃな──」

 祥子の言葉は、途中で遮られた。その代わりに、祥子の頬を叩く乾いた音が、その場に鳴り響いた。
 本当に殴られるとは思ってなかった祥子は、ワナワナと震えている。周りにいた人間も、突然のことに動揺を隠しきれない。一方の林檎は真剣な顔で、ただただ祥子のことを見つめていた。

「萩間さん、確かに私は怒っています。でもそれは、嫌がらせのことではありません」
「じゃあ何っ──!」
「あなたは、あなたを大切に想っている存在を粗末にした。そのことを怒っているんです」
「……何を、」
「そうでしょう? 鏡さん」

 林檎は静かに、鏡を見た。突然話を振られたことに驚いた鏡ではあったが、林檎の言いたいことはすぐにわかった。

──あんなことしたんだし、それはバレるか……。

 鏡は苦笑いをして、祥子に向き直った。

「……祥子さん」
「……何よ、鏡。あなただって思っているんでしょう。卑怯な手を使って負けた私を、負け犬だと思っているんでしょう」
「祥子さん」
「こんな私の下僕なんてもうこりごりでしょう。好きにすればいいじゃない、もう私のことなんてほっとけば──」
「祥子さん!」

 今まで、自分に大声を張り上げたことなんて無かった鏡の声に、祥子は動きを止める。鏡は悲しそうに、祥子を見つめた。

「祥子さんは確かにミスコンには負けたかもしれません。でも、そんなこといいじゃないですか」
「そんなこと、だなんて……!」
「他の誰が何と言おうと、僕の中の一番は祥子さんです。祥子さんしかいないんです」
「……かが、み……?」

 鏡は向かい合った祥子の両手をそっと握った。プライドが高くて、わがままで、きっと他の男じゃ手に負えない。というか、他の男に任せる気もない。幼稚園のころに出会ってから、この瞳には、祥子の姿しか映らないのだ。愛しくて、愛しくて──狂おしいほど。祥子が彼の名を呼ぶ声は、まるで魔法のように彼の心を縛り付けた。
 鏡は、そのまま祥子の肩に額をつけた。ふわりと鏡の匂いがして、祥子はハッとした。いつもそばにありすぎて、気づかなかった。いや、気づこうとしなかった。彼はいつも祥子のそばにいて、わがままを聞いてくれて。ひたすらにまっすぐに、自分だけを見ていてくれたのだ。

──それなのに、私は……目先の肩書きにこだわって、彼を傷つけた。

「鏡……ひとつ、聞いてもいい?」
「はい、祥子さん」
「あなたがこの世で、一番愛してるのは誰?」

 弾けるように顔を上げた。祥子は真剣な瞳で、鏡を見ている。

──そんなのは、愚問だ。

「……祥子さん、ですっ……!」

 鏡は思い切り祥子を抱きしめた。さっきステージ上では何もしなかった祥子だが、今度は鏡を力一杯突き飛ばす。

「ちょ、さっきから調子に乗りすぎよ! 鏡のくせに! あなたは私の言うことに従ってればいいのよ!」
「いてて……はい、祥子さん」
「そのにやけ顔どうにかしなさい! 気色悪いわ!」
「はい、祥子さん」
「わかったなら、さっさと行くわよ!」
「え、どこに……」
「文化祭回るに決まってるでしょ!?」
「だって去年までは、人混み嫌だからってずっと部室に……」
「鈍いわね! エスコートしなさいって言ってるの! 本当にあなたって無能の考えなしね! ちょっとは考えなさいよ!」
「……はい、祥子さん」

 祥子はふんっと息をもらすと、ズカズカと歩き出してしまう。林檎の横を通り過ぎるその瞬間、「……悪かったわよ」と言い残していった。それがあまりにも小さな声で、林檎は少し笑ってしまった。慌てて祥子の後を追う鏡も、林檎の横を通り過ぎる時に深々とお辞儀をしてから走り去ったのだった。

「……一件落着って感じ?」

 二人の様子を林檎の隣で傍観していた大海だったが、そっと林檎の顔を覗き込みながら尋ねた。その瞬間、林檎はビクリと肩を震わせ後ずさる。

「?」
「わっ、わた、ままままだ許したわけではありませんから……!」
「許すって、何を?」

 大海が首を傾げると、林檎は真っ赤になって俯いた。

「だっ、だから……あの時の、キ、キ、キ……」
「キス?」
「ひゃああああ言わないでください!」
「ぅぐっ!」

 林檎は両手で大海の口を塞ぐ。今の、誰にも聞かれてなかっただろうか、と慌ててあたりを見渡す。すると息ができなくなった大海がトントンと林檎の腕を叩いた。
 林檎はそっとその両手を離した。ホッとした様子の大海は困ったように眉尻を下げる。

「あれは、君が気ぃ失ってたから、助けようと思って……。不可抗力でしょ」
「それでも! わ、私、はじめて──」

 言いかけて、林檎はハッと口を塞ぐ。しかしそれに意味はなく、林檎の言葉を理解した大海はニコニコと笑っている。

「はじめてだったんだ? オレが?」
「……知りませんっ!」

 真っ赤な顔を背けながら、林檎は言う。照れた顔も可愛くて、それは反則だろ、と大海は思った。

「ねー、白雪林檎さん」
「何ですかっ……」
「オレ、君の“大切な人”になりたい。どうやったらなれる?」

 羨ましいと思った。彼女がそこまで想って──なおかつ、彼女をそこまで強くする存在が。だからこそ、なりたいと思った。彼女の中の“特別”に。

「──お、教えません!」
「何で!?」
「何でもです!」
「じゃあ、勝手にベンキョーする。この後一緒に回ろうよ?」
「えっ……!」

 答える間もなく、大海は林檎の手をとって歩き出す。何も言えないでいる林檎に、大海は振り返って微笑んだのだった。
 あの時も今も、林檎を導いてくれたこの手。その強引さに、心ごと奪われてしまいそうで。

──この胸の高鳴りは、何? 私一体どうしちゃったの……!? 

 林檎は熟れたリンゴのように赤い頬に、そっと触れた。


 * * *


 その疑問に彼女が気づくころには、もう遅いのだろう。
 この毒は、甘い甘い恋の毒。一口食べたら、その毒は身体中を蝕んで──もう後戻りはできないのだ。




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