おとぎ日和

天乃 彗

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白雪姫

06 姫の眠りをさますのは

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 若王子大海は走っていた。とにかく全力で、校内を走り回っていた。
 その理由は、彼を追う女子軍団にある。大海はちらりと後ろを確認する──まだ追って来ている。軽く出場を決めたミスター豊木コンテストであったが、兄に言われたとおりやめておくんだった。ミスター豊木という肩書きがそんなにすごいのだろうか。ステージを降りた瞬間から、「このあと一緒に校内を回らないか」という女子からの誘いが大量に来たのだ。
 「おとなしい子がタイプ」だと言った。言ったが、「私なら若王子くんのタイプぴったりだと思う!」と鼻息荒く追いかけてくる彼女たちは、絶対におとなしいタイプではないと思う。

「体力がもたねぇ……!」

 苦笑いを浮かべて、物陰に隠れる。何人かの女子は騙されて向こうに走って行ったようだった。今のうちに隠れなければ。
 大海は慌てて人気がない場所を探す。そこで、そういえば西校舎への渡り廊下は封鎖されていたのだった、と思い至った。

「……ほとぼりが冷めるまで隠れてよう」

 女子ってコワイ。人ごみに紛れながら、大海は西校舎へと向かった。
 すずらんテープで仕切られた渡り廊下は、先ほどの喧騒なんて無かったかのように静かである。流石に封鎖されてるだけあって、人はいない。とりあえず体力を回復させるため、一番近くの教室に入った。

「っはー……」

 扉を閉めて、ようやく一息。扉に背中を預け、ズルズルと座り込んだ。

「死ぬ……」

 息を整えて、大きく深呼吸。ようやく心臓が落ち着きを取り戻して来た。そこで、やっと辺りを見渡せる余裕ができた。余った使わない机や椅子が運ばれたのだろう。いつもより狭い教室に──誰かの、脚? 

「!?」

 幻覚か。目をこすって再び見るが確かに脚のようだ。慌てて、机の間をくぐり抜けそれのそばに寄る。そして、目に入ったのは──。

「──かわ、いい……」

 信じられないくらいに美しい少女の姿だった。メイド服に身を包んだそれは、人形のようにも見える。何故なら、さっきから体勢が一つも変わらないからだ。

──模擬店で使わなくなった人形か? 

 大海は恐る恐る、それの腕に触れた。温もりと、女の子独特の柔らかさ。滑らかさ。

「っ、柔らかい!」

 大海は慌てて手を引いた。間違いない。これは生身の人間だ。
 何でこんなところに人間が? いや、重要なのはそんなことではない。重要なのは、さっきから彼女がピクリとも動かないこと。

「──死んでる!? どっ、どどどどうしようオレ、第一発見者!? 何!? 通報!? 救急車!? どうすればっ……!?」

 予想だにしない展開に、大海は動揺を隠しきれない。そこで、彼は先日の保健の授業を思い出した。それを思い出す辺り、彼が“バカ王子”と呼ばれる所以なのかもしれないが──。

「そうだ! 人工呼吸!」

 その純粋さ故、彼は目の前の命を救うことに必死だった。やり方は詳しく覚えてない。とにかく、息を口伝いに送ればいいのだ。
 大海は横たわる少女の頭を片手で持ち上げた。そして、そっと口付けをした。その美しく赤々とした唇は、とても柔らかく──初めてでもないのに、ドキドキした。

──女の子の唇って、こんなに柔らかかったっけ? 

 雑念が混ざりそうになるのを必死でこらえる。息を送り込んではみたが、やはり少女は動かない。どうすれば。どうすれば。どうすれば。そしてまた大海は思い出す。映画などでよく見る、口移しで水を飲ませて意識を取り戻させる方法。

「そうだアレだ!」

 疑うこともなく、実行に移す辺りもさすがはバカ王子である。大海はカバンからぬるくなってしまったペットボトルの天然水を取り出して、一口口に含む。彼女の顔を汚さぬよう、彼女の体を起き上がらせてそっと口付けた。
 が、うまく水を飲ませられない。一度水を飲み込んで、今度は少量口に含んだ。そして、舌で彼女の口をこじ開けて水を送る。ちゅ、と大きな音がなり、大海はぞくりと身を震わせた。

──消えろ煩悩! これは違うぞ! 

 口付けをしながら必死で理性と戦っていたところで、少女の体がピクリと動いた。


 * * *


 夢をみていたのだと思う。なんだか温かいものに包まれて、心まで温かくなるような。
 だんだんと意識がはっきりしていく中で、その温もりが本物であることに気づく。
 この、唇に纏う熱さえも。


 * * *


 目を覚ました林檎は、今自分がおかれている状況が全く理解できなかった。何度か瞬きをしてみたが、夢ではない。何だか顔がえらく整った男子が、自分にキス(しかも深い方)をして──? 

「──ふぁっ!?」

 間抜けな声が出たと自分でも思った。彼は林檎の声に気づいて、慌てて唇を離す。

「起きた!」
「起きっ……!? あああ、あなた何して……!?」
「何って、死んでるのかと思って、蘇生を」
「そせ……」

 何が何だかさっぱり分からない。落ち着こう。落ち着こう。必死で深呼吸をする。目の前の男子を見据える。そこでまた林檎はパニックになりそうになった。目の前の男子は──あの、若王子大海だったのだ。

「あなた、若王子さんっ……!?」
「え? うん、そうだけど」

 あっさりと返されて、林檎はさらに顔に熱が集まるのを感じた。信じられない。

“なんかね、ミス豊木とミスター豊木は、結ばれてずうっとうまくいくっていうジンクスがあるらしいよ!”

──こんな時に出て来ないで茜ちゃん! 

 林檎は思わず頭を振る。

「ていうか、君はこんなとこで何してたの?」
「私? 私は──」

 ハッとして、時計を見る。時計は無情にも、ミスコンテスト開始から大分経つところを指している。

「私っ……ミスコン……!」

 赤かった顔がみるみるうちに青く染まった。もしかしたら、もう終わっているかもしれない時間である。
 今まで応援してくれていた人たちの顔が浮かんでは消える。あんなに期待してくれていたのに。

「行かなきゃ、私──」

 歩き出そうとしたところで、踏み出した足に激痛が走った。

「痛っ……!」

 大方、床に倒れこんだ時にでも捻ったのだろう。立つことはなんとか出来るが、歩くのは──まして、会場まで急いで行くには無理がある。

「怪我、したの?」

 大海の言葉に、小さく頷いた。

「でも、私、行かなきゃいけないんです」
「だって、痛そうだよ」
「痛いです。でも、私は、私を応援してくれた人たちに応えなきゃいけないんです……!」

 どうしても、やらなきゃいけないことがある。嫌がらせにあっても。怪我をしても。彼女は、大切な人たちのために、行かなきゃいけないのだ。

「──……」

 大海は、林檎の真剣な瞳をしばらく見つめた。その強さ、綺麗さに思わず見惚れる。

 彼女の。彼女のその瞳には、どうやったら自分は映るのだろう。彼女の“大切な人”には、どうやったらなれるのだろう──。

 大海はしばし考えて、「よし!」と笑った。林檎が首を傾げると、突如グラリと体が傾いた。

「なっ……」
「飛ばすよー?」

 大海の顔が近い。これは──世間でいう“お姫様抱っこ”ではないか。

「ひえぇぇ!?」
「動かないでね? バランス崩れるから」

 そう言って、大海は歩き出す。歩く度に体がぐらついて怖い。
 林檎は思わず、大海の首に手を回した。大海はその林檎の行動に少し動揺したが、しばらくして前だけを見た。

「大丈夫だから。オレが君をステージへ連れていくから」

 彼の強い言葉は、まるで魔法のように、林檎の心を落ち着かせた。林檎は彼を掴む手に、キュッと力を込めた。


 * * *
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