ヒメとツミビト。

天乃 彗

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13 years ago(1)

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(1)

 子供は嫌いだ。
 そんな目で、俺を見るな。そんな風にまっすぐな目で、俺を見て、名を呼ぶな。
 あの言葉を、口にするな。

「ヒトシさん、今日こそ私を×××」


 * * *


 13年前のことだ。そのとき俺は23。中卒の俺はろくなところに就職もできず、バイトの少ない給料で毎日を暮らしていた。のに、だ。

「……どういう、ことですか」
「だから、明日から来なくていいっていってんの」

 前々から憎たらしいと思っていた上司の顔が、タバコの煙でゆらりと揺れた。

「……何でですか」
「無能は要らないんだよ。例え安月給でも惜しいもんは惜しいんだ」
「クビってことですか」
「そんなこともわかんねぇのか?」

 そう言って、下品な笑みを浮かべた上司を、俺はぶん殴った。


 * * *


 ポケットを探る。全財産、118円。ジュースも買えない。バイトもクビになったし、これからどうすればいいのか。転がり込める彼女でもいればまだましだったかもしれないが、先日振られたばかりだ。親も大分前に二人とも死んでしまっているから、今の俺は本当に救いようがなかった。ガスも水道も止められてんのに、どうすればいいんだ。

「どん底、か」

 タバコをくわえて火をつけた。最後の一本だった。
 はぁ。ため息と共に煙をはく。金がいるのだ。少なくとも、次のバイトが決まるまでに生活できる金が。バイト決めるにも、金がいる。くそ、嫌になる。……どうしようか。

「いい? 妃芽。いい子にお留守番してるのよ。一人でお外にいかない。約束よ?」
「わかってるもん」
「パパとママが帰ってくるまで、大人しくしてるんだぞ」
「わかってるってば。パパもママもしつこいもん」
「この子ってば口ばっかり達者になって!」
「しょうがない、妃芽は年頃だから」
「あなたってば……妃芽、じゃあ行ってくるわね」
「はーい」

 家の前で繰り広げられた会話を、俺は隠れて聞いていた。その親子が、俺のそばを過ぎ去るまで。

「一人で大丈夫かしら、あの子……」
「心配だし、早く用事を済ませてしまおう」

──家に一人の子ども。

──金持ちそうな親。

──でかい、家。

 よく考えたら、バカな考えだとわかるはずだが、俺の思考回路はもう麻痺していた。どうせ堕ちるとこまで堕ちてるのだ。なら、とことん汚いやり方で。

──あの子供、拐おう。

 そうと決まれば、家に入れそうな場所を探す。塀の周りをぐるりと一周。庭から家の中を覗く。さっきの子供が窓際の部屋で、絵本を広げていた。窓が全開だ。意外にちょろいかもしれない。監視カメラの類いは無さそうし、この塀も、よじ登れる高さだ。
 金がいるんだ。さっさと子供を拐って、子供から親の番号聞き出して、身代金を頂戴すれば……。
 俺は勢いをつけてその塀をよじ登り、一直線に子供のもとへと歩いていった。

「おい」

 絵本に熱中していた子供が、ビクリと肩を震わせた。キョトンとした丸い瞳で、俺をじっと見つめる。
 俺は窓から身を乗り出し、子供に向かって手を差しのべた。

「俺と一緒に来い。いいな?」

 子供は、しばらく俺を見つめたあと、なにも言わずに小さく頷いた。そして、とてとてと歩いてきて、俺の手をとった。意外に素直だ。
 恐怖からか。それともアホなのか。何はともあれ、俺はあっさりと、子供を誘拐することに成功したのだった。


 * * *


 とりあえず、俺の家のボロアパートに連れていく。子供は不思議そうに俺の部屋を見回して、首をかしげた。

「おにーさんは、ここにすんでいるの?」
「悪いか?」
「ヒメ、おみずのみたい」
「水出ねぇんだよ、我慢しろ」
「……ふぅん」

 生意気な子供だ。やっぱりお嬢様育ちだからなのか。

「……おにーさんは、びんぼーにんなの?」
「うるせぇ」
「びんぼーにんだから、ヒメをゆーかいしたの?」
「だから、うるせぇっての」
「おにーさん、むしょくなの?」
「だったら悪いか、ガキ」
「ガキじゃないもん。ヒメだもん」

 子供──妃芽はぷっくりと頬を膨らませた。子供らしいというか、ガキっぽいというか、まぁ子供であることは確かなんだが。

「なんで、ヒメをゆーかいしたの?」
「だから、金が必要だから……」
「じゃなくて、どうしてヒメをえらんだの?」
「あ?」

 おかしなことを聞くもんだ。

「そんなの、あの時ちょうど近くにいて、簡単に誘拐できそうで、家が金持ちそうだったからだ。それ以外にあるかよ」

 そのままを伝えると、妃芽はくりくりとした目を更に大きく見開いて、少しだけ、俯いた。

「……なんだ、ヒメじゃなくてもよかったんだ」
「あ?」

 妃芽の声は聞き取れなくて、俺は首をかしげた。しかし妃芽は何も言わず、スカートの裾を握りしめている。

「……パパとママ、ヒメにあまいからいっせんまんくらいはだすとおもうよ」
「は? マジか?」
「パパ、おっきなかいしゃのいちばんえらいひとだもん」

 どうやら俺の目に狂いはなかったらしい。ということは社長? じゃあ俺は社長令嬢を誘拐したってわけか。ついてる……のか? 

「……ヒメ、おにーさんがゆーかいせいこうするように、きょうりょくするから。なけっていわれたら、なくし。たすけてってでんわぐちでさけんだりもするから」
「あ……?」
「けーさつのひとにかおとかきかれても、こわくておぼえてないっていうから。だから、がんばってゆーかいせいこうさせてね。ヒメ、おにーさんのためにがんばるから」

 おいおいこいつ何言ってんだ、と思いながら、俺の頭はだんだん冷静さを取り戻しつつあった。何言ってんだ、じゃなくて、子供に何言わせてんだ、だ。子供に……しかも俺が自分で誘拐した子供に、気を使わせるようなことを言わせている。
 今俺は何をしている? 俺は今、取り返しのつかないことをしているんじゃないか? これを成功させたとして、俺は犯罪者で。もし捕まったりなんかしたら、今度こそどん底で。
 バイトでもなんでも、仕事なら死ぬ気で探せば見つかる。俺は、自分の手で自分を追い詰めようとしていたんだ。こんなやり方で。

「……やめだ」
「え?」
「誘拐ごっこは終わりだ。来い、家の前まで送ってやる」

 俺はため息をつきながら立ち上がる。早くしないと、こいつの親が帰ってきてしまう。

「ゆーかい、やめちゃうのっ……?」

 玄関へと歩き出した俺の背中に、妃芽は尋ねた。なんだよ、その言い方。

「そうだよ。お前のお陰で冷静になったよ。俺は真人間に──」
「やだ!」
「あ?」

 やだ? 俺は妃芽の言葉の意味を考えてみる。が、考えても考えても意味がわからない。

「おいおい、それじゃ誘拐されたいみたいじゃ」
「ヒメは、ゆーかいされたいのっ!」
「は?」
「やめるなんていわないで! ヒメのことゆーかいしてよ! おねがい!」
「は? は? おい、ちょ、ちょ、静かに……ぅお!? 泣きっ……」

 俺は動揺が隠しきれなかった。妃芽が「誘拐して」と大声で泣き始めたからだ。壁の薄いボロアパートだ。こんなのが周りに聞こえたらますます俺が社会的に不利になる。
 まて、おちつけ。ここで「わかったやっぱり誘拐する」と言ってもアウトだし、妃芽を家に帰す前にこの騒ぎを近所に知られても、俺は完全に誘拐犯でアウトだ。
 この状況を打破するには。

「わかった! 誘拐するから!」

 俺の言葉に、妃芽は泣くのをピタリとやめて、涙目のまま俺を見た。

「……ほんとに?」

 妃芽が尋ねる。もちろん、本当なわけがない。こういうとき、大人は何て言うか。昔よく言われてたのを咄嗟に思い出したのだ。

「ああ! 後でな!」
「……あとで?」

 妃芽が首をかしげた。

「いつか絶対、誘拐してやる。だから今は、家に帰ろう。な?」

 よくやる子供だましの手法だ。大人とガキの経験値の違い。大人の「いつか」「あとで」「絶対」は、あてにならない。しかし子供は、それを──

「わかった! やくそく!」

 簡単に、信じてしまうのだ。
 さっきまでの涙が嘘みたいに、満面の笑みで小指を差し出してくる妃芽に、俺はほんの少しだけ罪悪感を抱いた。しかしそれを悟られないよう、その小指に自身の小指を絡める。

「ゆびきった!」

 すると満足したのか、俺より先に玄関を飛び出した。ようやく帰る気になった妃芽に、俺は安堵の息を漏らしたのだった。


 * * *


「おいおい……マジかよ」

 思わず声が漏れた。妃芽の家の近くに来てみると、すでにパトカーが家の前に止まっていて、煌々とした赤い光を放っていたからだ。隠れて見てみると、門の前で妃芽の両親と警官が話し込んでいる。これはまずい。

「……どうすっかな」
「おにーさん、ここはヒメにまかせて!」
「え、」

 どうするつもりだ、と尋ねる前に、妃芽はその三人の傍まで駆けていく。俺は思わず息を飲んだ。
 おいおいおい! 

「パパ、ママ、ごめんなさいっ……!」
「……妃芽っ!?」

 妃芽はそのまま母親の膝にしがみついた。

「ごめんなさい……! ヒメ、やくそくやぶってひとりでおそとにあそびにいったの。そしたら、みちがわからなくなってかえれなくなっちゃったの……ごめんなさい!」
「妃芽! だからあれだけ言ったのに!」

 子供のくせに、よくもまぁあんなでまかせを言えるもんだ。母親は信じきって、震える声で妃芽を叱る。
 でも、まぁ助かった。俺はこの隙に、ここから離れて──。

「でもね、あのおにーさんが、ヒメをここまでつれてきてくれたんだよ!」

……ん? 
 妃芽がこちらを指差している。視線が俺に集まる。妃芽の迫真の演技を、物陰から見ていた俺に。

「へ!?」

 妃芽はこちらへ向かってきて、俺の手を引いて家の前まで連れてきた。待て待て待て! 聞いてない。妃芽が一人で迷子になったってことにするなら、俺はこのまま無関係な人間としていられるはずだったのに。

「すみません! うちの子がお世話になったみたいで……!」
「あ。えと、いや……そんな」
「ぜひお礼をさせてください! お名前と、連絡先を……」
「え? そんな、お礼なんて」
「いいじゃないですか。奥さんがそう仰っているんですから」

 おい警官! 余計なこと言ってんじゃねぇ! とは言えないので、俺は曖昧に笑って見せる。暫く粘ってはみたものの、お礼をすると言って聞かない妃芽の両親に、名前と連絡先を書いた紙を渡すはめになってしまったのだった。
……どうして、こんなことになったのか。


 * * *


 あれから──俺は何でか、あの子供──長内妃芽の父親が経営する会社の社員として働くことになった。あとから聞いたが、妃芽が父親に「あのおにーさんはむしょくだから、おしごとあげて」と言ったらしい。あいつ、余計なこと言いやがって(まぁ、そのお陰で助かったのは確かだが)。
 一時の気の迷いで起こした誘拐未遂。それは、俺の人生に大きな影響を与えた。

“やくそく!”

 そう笑顔で指切りをしたあの約束は、13年経った今も、呪いのように俺につきまとって。

「ヒトシさんっ」

 俺から、離れることはないのだ。

「……お前なぁ。軽々しく男の部屋来んなよ」
「だってここ、パパの会社の社宅でしょ。私のうちみたいなもんでしょ」

 そう言いながら、妃芽は冷蔵庫からペットボトルの紅茶を取り出してゴクゴク飲んだ。……いつの間に入れたんだ。

「勘弁してくれ……」
「え? そんなこと言っていいの?」

 妃芽は俺の向かい側に座り、肘をついて笑った。

「あの時……ヒトシさんは本当は私のこと誘拐しようとしてたんだよって、パパに教えてもいいんだけど」
「……妃芽お嬢様、すみませんでした」

 どうして、こんなことになったのか。あの日から、何度目になるのかわからないフレーズを頭で唱える。あの日の子供にこうして弱味を握られ、その子供はやたらと俺になついてきて。
 そもそも俺は子供は嫌いなのに。13年だ。13年もの間、俺は。

「ね、ヒトシさん」

 ギクリ、とする。あぁもう、こいつは、13年前からずっと変わらない。

 そんな目で、俺を見るな。そんな風にまっすぐな目で、俺を見て、名を呼ぶな。
 あの言葉を、口にするな。

「ヒトシさん、今日こそ私を誘拐してよ」

 あぁ、もう、本当に。……勘弁してくれ。
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