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潤の友達<SIDE:潤>

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潤の友達

 潤と連弾を一緒にした音大の男子学生。名前はコウ。コウは同じ賃貸マンションの住人だった。

もともと右手は不自由だからいいと伝えても、変な責任感で大学の送迎や食事の世話をしようとする。夕食を潤の部屋で一緒に食べるのも普通になってしまった。あまりの必死さに好きにさせている。

毎日タクシーはお金もかかるから、せめて一緒にバスで行くことを提案した。潤に献身的で、こそばゆくて笑いがこみ上げる。変な人だ。潤の言動をものすごく真剣な顔で聞く。何でもしようとする。その表情を見てまた笑ってしまう。

潤の気分的には大型犬を連れて歩いているような気分。ちょっと距離が近い友達って感じなのかな。これまで自分の内面や暗い気持ちに向き合うことに全力を費やしていて、友達がいなかった。一人で立つことが精一杯すぎて、余裕がなかったから。

不思議な出会いで距離感の近い人だけど、初めての友人、かな。彼の変な所を理解すればコウの隣は居心地が良かった。


 潤の大学から一緒に帰宅する。コウには自分の大学をサボるなと伝えているが、音大は専攻実技授業が週に一回だから大丈夫と言われた。課題をそれまでにやることが授業のよう。他にも外国語や音楽歴史、一般教養の講義もあるが、ほぼ自己練習時間らしい。それなら自分の練習をしろと言ったが、やっているから潤との時間は息抜き、と言われる。今日も正門外のバス停で潤を待っているコウと一緒に帰宅。


「今日は何?」
「幻想曲さくらさくら、からのポップス系でどうでしょう?」

「いいね。超速?」
「正解。ちょっとアレンジしてつなげるよ」

潤は帰宅すると十五分ほどピアノに向かう。自宅のストレスのない状況なら十五分は弾くことが出来る。一日の疲れを癒す心地いい時間。コウは頬を染めてそれを聴く。うっとりした表情を見ると、ストリートピアノを弾いた後のような喜びが生まれる。

「コウも弾く?」
「いや、俺は良いよ」

「聴きたいけどな」
「聴かせるほど上手くないって」

「音大生が何言っているんだよ。音大の課題曲は?」
「ミスばっかりで恥ずかしいから。俺の平凡なピアノはいいんだ。潤のピアノを聴いた余韻が消えてしまう。もったいない」

「平凡なんてこと無いと思うけど。でも、わかった。気が乗らないなら仕方ないけど、たまには聴かせてよ」
「まぁ、そのうち」

笑ってごまかすコウ。連弾以降、潤の前では一回も弾いていない。コウに会ったときには人前で演奏することに抵抗なさそうだった。きっと何か思い詰めているのかな。こんな時は、弾きたくなるのを待つほうがいい。

 米を早炊きして、帰りにスーパーで買った豚肉を焼く。メインは生姜焼き。キャベツの千切りを添えて、豆腐とキノコの味噌汁。これに買ってきたキムチを出す。食事は当番制。一日交替で担当する。

コウは料理が全然できない。弁当か総菜、外食が全て。これじゃ生活費が持たないだろう。カロリー的にも栄養的にも心配になり、潤が当番の日は自炊、コウの当番の日はお弁当や外食になった。

バイトもしていないのにお金は全然心配していない様子で、コウは金持ちの家庭だと分かった。一人暮らしは潤の方が一年長いから自炊にも慣れている。そして潤は、作ったご飯を美味しそうに食べるコウがだんだん可愛くなっている。こんな大きな男に『可愛い』なんておかしい感覚だと潤は微笑む。


 土曜日に、一週間ぶりにストリートピアノを弾きに来た。

「ここからも撮るね」
コウに声をかけられて、コクリと頷く。

潤は「リミット ファイブ ピアノ」の名前でユーチューブに動画をアップしている。限られた時間での演奏投稿だからリミット ファイブ。今日は「情熱大陸」を弾く。四分ほどの曲を超速にせず弾こうと思っている。

今日は音を譜面通りに組み立てたい気分。コウのピアノへの情熱が沸き上がるように願いを込めて。コウはせっかく音大に入ったのだ。潤が願ってもかなわない夢が手に入るはずだ。ピアノを弾く情熱を思い出して。

潤が弾き終わると、周囲に観客。拍手。そして、コウが泣いていた。届いたかな。撮影の器具を回収しているとコウが手伝いに来る。

「ありがとう」
そっと囁いてくれるコウの一言が嬉しかった。


 動画をあまり編集しないで、五分から十分ほどの画像に曲名と弾いている季節や状況などをテロップで差し込んで投稿する。パソコンでの作業もコウが手伝ってくれるようになった。並んで作業するうちに、二人で密着するのも慣れた。

コウはスキンシップが多い。いや、潤が知らなかっただけで、友達ってこうゆうモノなのかも、と考えている。

後ろから抱きしめられて、首後ろを嗅がれたり、耳を甘噛みされたり。可笑しくて笑いながら潤が逃げる。逃げると正面から抱き寄せられる。

潤の右手の手術痕にそっとキスをするコウ。ぎゅっと潤を抱き締める腕は、何か苦しみを抱えていそうで突き放せない。厚い胸から心臓の鼓動が響いてくる。コウの大きな体や、逞しい腕に、その匂いに潤の心臓のドキドキが止まらない。

コウが抱えている何かを、いつか相談してくれればいいけど。潤には言えないのかもしれない。そう考えるとズキリと潤の身体のどこかが痛む。こんなに密着するコウの心が、少し遠くに感じてしまう。

友達の距離って難しい、と潤は思う。



 夏休みもほとんどコウと過ごした。名古屋と東京のストリートピアノが置いてある場所を一緒に旅行した。これまで遠方のストリートピアノを弾くときには日帰りだった。コウと観光しながらピアノを弾く。最高に楽しかった。かなり距離が縮まった。

でも、コウは潤の前ではピアノを弾かない。連弾をしたときの潤の手の痛みは気にする事じゃないのに。コウの音が聴きたいのに柔らかく断られる。優しい顔が時々悲しそうに潤を見る。

スランプ、かな? 潤に言えない事だと考えると潤の心がズキリと痛んだ。



 九月。まだ暑い日が続いている。ストリートピアノを弾くときには右手の傷を隠すために夏でも長袖だけど、普段の潤は半袖を着ている。でも半袖を着るとコウの目が右手首の傷ばかり見る。だから長袖を羽織るようにした。コウの目に傷が見えないように。

夏にコウと話し合い、潤の送迎はやめることを約束させた。

女子じゃないし、右手はこの状態でこれまで生きて来たから大丈夫、と押し切った。朝に顔を見たいというコウが可愛くて、毎日バス停まで一緒に歩いてからお互いの大学に向かうことになった。夜は帰宅したらラインで連絡。二人そろって潤の家で夕食。この生活スタイルで落ち着いていた。

いつものようにコウと家を出てバスに乗り、大学についてカバンの中を見て驚いた。

コウの楽譜が潤の教科書に混ざっている。昨日一緒にレポートやったからか。今日はコウのピアノ専攻授業日。教授とマンツーマンでのレッスンのはず。週一のこの時間は絶対に休めない貴重な時間と言っていた。この楽譜、ないと困るだろう。時計を見る。いま届ければ間に合う。

潤は今まで講義を休んだことは無いけど、今日は仕方なかった。すぐにコウの音大に向かった。途中ラインしたけれど既読がつかない。とにかく音大に急いだ。

音大の正門に来たけれど、どこに向かえばいいか分からない。初めての場所にドキドキする。緊張して中に入れない。とりあえずコウに電話する。授業中かな。出てくれると良いけれど。電話が繋がらずウロウロしていた。


「どうかした?」
「見学でもしたい?」

三人の男性に声をかけられる。潤は見た目が高校生に間違えられることがある。きっと一人で来た高校生に思われている。必死で首を横に振る。

「あの、ピアノ科一年のコウ君に楽譜を届けたいんですが」
そこまで言って、潤はコウの苗字を知らないことに気が付いた。怪しい人になってしまう。変な汗が出てきて、下を向く。どうしよう。

「俺らもピアノ科の一年だよ。コウって、高木晃だろ?」
「俺らが渡しといてもいいけど、一緒に行く? 音大、見てみる?」

え? 今、コウの名前、何て言った? 他の事は耳に入らず、彼らに聞き返す。

「コウって、ピアノ科の一年の背が高い、少し茶髪の人ですよね? コウは、高木晃と言うんですか?」

「あぁ、あいつ名前の音読みでコウってあだ名だよ。知らなかった? 間違っていると悪いから、中まで一緒に行こうよ」

ちょっと強引に校内に入ることを勧める三人。混乱して返事が出来ない。
「ピピピピ……ピピピピ……」

潤の携帯が鳴る。コウから折り返しの電話だ。通話ボタンを押す。
「はい……」
『潤? どうした?』

「あの、ライン入れたけど、楽譜が僕のカバンに入っていて、それで届けに来たんだけど……」
『え? 音大に来ているの? どこ?』

「正門。同じピアノ科の人に会ったから預けとく」
『ちょっと待って。すぐに行くから』

「いいよ。来なくていい」
『潤?』

「コウは、高木晃、なの?」
『……』

電話向こうのコウが沈黙する。緊張が伝わってくる。そうか。全て分かった。背中がズンと重くなった。そのまま通話を切る。手が、震えていた。

「これ、高木晃さんに届けてください」
「え? ちょっと……」

三人の男性に楽譜を押し付けて、音大に背を向ける。


堪えても涙が流れた。潤の心が真っ黒な波に飲み込まれたようだった。
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