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【 花の章 】―弐―

255 藤堂さんの勝負とその結末④

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 暗闇の中、何かを探して必死に走っていた。
 それが何かはわからないけれど、とても大切なものに思えたから。
 ふと、仄かな光りを見つけて手を伸ばせば、捕まえたと思ったのにするりと逃げていった。

「待って!」

 叫んだ瞬間、さっきまでの暗闇ががらりと変わった。
 少し暗いけれど行燈の明かりが灯った部屋の中で、布団の上に寝間着姿で上体を起こしている……。そして隣を見れば、少し驚いた顔で心配そうに口を開く鉄之助くんと目が合った。

「春先生……大丈夫ですか?」
「え……っと、うん……私、寝てた……?」
「はい。この三日間ずっと……」
「三日も……っ!」

 そうだ、藤堂さんは!? 縵面形なめかたで負けてついカッとなって、口を滑らせたあげくそのまま眠ってしまったんだ……。
 どうやって帰ったきたのかわからないけれど、今はそれよりも先に確認しなければいけないことがある……。

「鉄之助くん、私が眠っている間……何か大きな事件とか……あった……?」

 何もなかったと言って欲しい。まだ間に合うと信じさせて欲しい。
 すがる思いでじっと返事を待つも、鉄之助くんはあからさまに困った表情をしながら立ち上がった。

「あの、俺っ、土方副長に目が覚めたって伝えてきますっ!」

 そう言い置いて部屋を飛び出すから、突如襲い来る胸騒ぎに私も部屋を出て屯所内の様子を見て回る。
 けれど、夜だから……というには違和感を覚えるほど静かだった。多くの隊士が出払い、僅かに残る隊士もやけに殺気立っていて、明らかに様子がおかしい。
 とにかく状況の確認を……そう思った時、鉄之助くんと土方さんに出くわした。

「土方さん、屯所内の様子が変です。何が起きてるんですか? ……まさか、今日が……?」
「お前は何も気にしなくていい。起きたばっかなんだ、今は部屋へ戻って休んでろ」
「土方さん!」

 どうやら教える気はないらしい。ここで押し問答をする時間も惜しくて踵を返せば、寝間着姿で羽織を肩に掛けただけの沖田さんがいた。

「ほんの少し前、伊東さんを討ったんですよ」
「総司!」
「今はその亡骸を油小路に置いたままにしていて、引き取りに来た衛士たちをさらに――」
「おい、総司!! お前も部屋で休んでろっつっただろうがっ!」

 土方さんがこれでもかと睨むけれど、沖田さんは気にも留めずむしろ小さく笑って吐き捨てた。

「僕も春くんも留守番なんですよ~? せめて知る権利くらいはあるでしょう?」

 ねぇ? と今度は私に笑顔で同意を求めてくるけれど……今、なんて?
 伊東さんを、討った……?
 ……わかっている。抗わなかった私に悲しむ資格なんてないことは……。
 けれど、亡骸を引き取りに来た衛士をさらに……? 残る他の衛士たちもさらに討つということ?
 つまり……御陵衛士の殲滅……。

 ――何かあればオレは真っ先に駆けつけるつもりでいる――

 そう口にしながら、凛と立つ藤堂さんの姿が過った。

「……ダメ」

 急いで部屋へ戻り刀だけを手に取れば、追いかけてきた土方さんが私の行動を読んだように言う。

「あいつの覚悟を邪魔すんじゃねぇ」

 あいつが誰のことを指しているのか、訊かなくてもわかる。

「倒れたお前を運んで来たのはあいつだ。その時あいつが言ったんだ。お前を来させるな、と。お前を泣かせたくねぇからと」
「土方さん。まだ、討ったのは伊東さんだけなんですよね?」

 土方さんも沖田さんも、伊東さん以外をおびき寄せていると言っただけで、まだ討ったとはいっていなかった。

「……報告はまだだ。だが――」

 なら、間に合うかもしれない!
 近づいて来た土方さんに腕を掴まれそうになるけれど、走り出すと同時に運よくかわすことが出来た。
 ただ、そのままの勢いで部屋を飛び出すも、ちょうど部屋を訪ねてきた人と少しぶつかってしまった。

「春? よかった、目が覚めたんだな」

 安堵したような声音とは裏腹に、硬い表情をした近藤さんだった。
 不意に伊東さんの顔が過るけれど、どちらへ向けての言葉か自分でもわからないまま、ごめんなさい、とだけ告げて走り出す。
 近藤さんと土方さん。追いかけてくる二人の気配を振り切り全力で走った。



 吐く息は真っ白だった。
 凍てつく寒さも体力の限界も、徐々に遠退く制止の声も全部無視してひたすら走れば、もうすぐで油小路へ着くというその時……一発の銃声が鳴り響いた。
 直後、複数の雄たけびが上がり、作戦が開始されたのだと理解した。

「お願い……間に合って」

 ようやく喧騒のその場が見えてくると、混戦の中、ちょうど誰かと鍔迫り合う永倉さんの姿が目に入った。戦いの最中にありながら、忙しなく動く口元は何かを語りかけているのだとわかる。同時に、その相手が藤堂さんであることも。
 安堵しそうになる気持ちを抑え、入り乱れる隊士たちに視界を遮られては見失いそうになりながらも、それらをかき分け真っすぐに目指す。

 そして、二人の姿が近くに見えたその時だった。
 それまで鍔迫り合っていたはずの二人の位置取りと永倉さんの表情が、強烈なまでの違和感と恐怖をもたらした。
 ……だって、藤堂さんの正面に立っているのは永倉さんではなく他の隊士で、何より、まるで刀を振り下ろしたばかりの恰好に見えるから。

「平助ーーっ!!」

 永倉さんが叫び、藤堂さんの背中がゆっくりとその場に崩れ落ちていく……。
 その様は、心眼なんて発動していないのにまるでスローモーションで、駆け寄ると同時に目一杯腕を伸ばせば、地面すれすれで受け止めた重みの中にぬるりとした温かみを感じた。

「藤堂、さん……?」

 腕の中で見た藤堂さんのその顔は、額から鼻にかけて斬られていて、真っ赤な血が止めどなくあふれ出している。

「う、そ……藤堂さんっ!? 藤堂さん!!」

 いまだ喧噪が鳴りやまぬ中、合流したばかりの近藤さんと土方さんも藤堂さんに呼びかければ、ゆっくりとその目が開いた。

「……あれ、春? 何で来ちゃったの……」
「ま、待っててください、今すぐ医者を! 誰か……誰かお医者様を――」
「春、落ち着いて。せっかく会えたんなら、最期くらい、ゆっくり話がしたい」
「最期なんて言わないでくださいっ!」

 思わず声を荒らげてしまったけれど、最期だなんて言わないで……。

 でも本当は、素人の私でも気づいている……。池田屋の時とは比べ物にならないほど深いその傷は、もう手の施しようもないことを。こうして意識を保ち会話をしていることじたいが、奇跡に近いことなのだということを……。
 藤堂さんは自身のお守り袋を引き出すと、その中から少し色あせた紅葉を取り出して見せてくれた。

「おかしいでしょ……。オレもまだ、持ってるんだ」

 それはきっと、去年の紅葉勝負で私が渡した幸せのお裾分け。
 藤堂さんはそれをぎゅっと握りながら、少し残念そうに呟いた。

「……やっぱり、来年は出来そうにないね……」
「何、言ってるんですか……。勝ち逃げなんてダメです……」
「……ごめん。あれさ……ズル、したんだ……」
「……え?」

 私の髪についていたわけじゃなく、手に隠し持っていたものをあたかもそこから取ったように見せただけなのだと。

ばちが当たった、かな……」
「どうしてそんなこと……」
「何でだろ……。無性に何か、春にあげたい……そう、思ったんだ……」

 そんなことしなくても、藤堂さんが生きていてくれるなら、それだけで十分なのに。
 涙でぼやける視界の中、紅葉を握っていない方の手をゆっくりと伸ばす藤堂さんは、私の頬に触れるなり止まらない涙を拭うかのごとく、濡れた肌にゆっくりと指を滑らせた。
 幼くも整った綺麗な顔立ちとは不釣り合いな、剣を握る男の人らしい硬くごつごつとした指を……。

 ――本当はさ、こんな風に泣かせたくなんかないのに……――

 気のきいた慰め方がわからない……と、突然泣き出した私を抱きしめながらそう言っていたことを思い出した。
 だから、泣き顔は見せたくない。今すぐ止めたいのに、止まらなくて……。
 だからなのか、私の涙を拭うその顔は少し悲し気で……けれどもやがて笑みに変わったかと思えば閉じかけていた目を僅かに見開き、さっきよりもずっと浅い呼吸をしながら言った。

「ねぇ、春……やっぱりオレの勝ち」
「……さっき、ズルしたって言ったじゃないですか」
「オレはさ、春のこと……」

 そこで途切れた言葉は、待てどもなかなかその先が続かない。

「……藤堂さん?」
「……何でもない。こっちの話」

 勝手にそう締めくくると、頬に添えたままの手で再び私の涙を拭おうとする。
 だけどさっきと違うのは、どこか困ったような表情と弱々しく動く手で……。

「笑って……」

 今にも消え入りそうな声でそんな風に言われたら、そうするしかなくなるじゃない……。
 ぎこちなさ過ぎて泣いているのか笑っているのかわからない、たぶん凄く酷い顔だけれど、頬に触れている手をぎゅっと握りしめて、精一杯笑ってみせた。

「泣きながら、笑うなんて……、アンタってホント……面白い……」
「……藤堂さんのせい、ですからね……」
「ごめん……」

 ……違う。本当に謝らなければいけないのは私の方……だから。

「助けられなくて、ごめんなさい……」

 目の前の現実を受け入れるに等しいその言葉を口にすれば、どうしようもないほど藤堂さんの手を濡らしてしまうばかりで、きっとさっきよりも困った顔をさせているに違いない。
 それなのに。

「ありがと、春……」

 辛うじて聞き取れた声に大きな瞬きで涙を払うも、私を見ているはずの藤堂さんと視線が合わない。

「藤堂さん……?」

 涙で揺らぐ視界をどれだけ凝らしてみても、やっぱり合わないどころか返事もしてくれない。

「……藤堂さん! 藤堂さん!!」

 何度呼び掛けても揺すってみても、抱えている身体はもうぴくりとも動かないのに、握っていた手だけが急に重さを増し、私の手からするりと抜け落ちそうになった。

「……藤堂さん……待って……お願いだから……まだ……」

 けれど、もう一方の手中で真っ赤に染まった紅葉が、冬夜の冷たい風にさらわれ、その手からはらりと落ちていくのが見えた――
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