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【 花の章 】―弐―

205 看病と誕生日

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 お礼参りから帰ってきたあとも、土方さんの様子は至って普通だった。
 けれど、日が傾くにつれ赤らむ顔は、徐々に荒くなる呼吸が肩で息をし始めて、ようやく西日のせいではないのだと気がついた。気がついたけれど……時すでに遅く、突然無言のまま倒れた。

 あの副長が!? と屯所中それはもう大騒ぎで、たまたま大坂から上京していた良順先生を大急ぎで呼び寄せ診てもらった。
 主な症状は高い熱で、疲労や心労が溜まりに溜まったところに風邪を引いたのだろう、ということだった。

 重い病気などではなくほっとするも、立て続けに局長代理を努めたところに余計な心配までさせてしまったせいだ……と少し申し訳なく思う横で、きちんと身体を休めるようにと言われたはずの土方さんが、帰り支度をする良順先生を横目に布団から這い出ようとした。

「歳三。近藤さんも帰って来たんだ、少しくらいゆっくり休んでも罰は当たらんよ」
「これくらいで、寝てるなんざ……示しが、つかねぇ……」

 途切れ途切れの言葉では、はっきり言って示しも何もあったもんじゃない。
 抵抗する素振りを見せるものの、私でも簡単に布団へと押し戻すことが出来てしまうほど。

 医者の言うことがきけんというならきかせるまでだが……と、何やら挑発的な言葉を口にした良順先生が、土方さんに向かってにやりとした。

「休まなくて良いなら看病も必要ないだろう。丁度人手が欲しくてな、このまま春を大坂まで借りて行くがいいか?」
「えっ、私!?」

 医療にも精通した山崎さんならまだしも、なぜ私?
 私に山崎さんの代わりは務まらないし!
 けれど、そんな疑問も不安も無意味と化すほど土方さんは大人しくなった。

「春。近藤さんには私から言っておくから、せめて熱が下がるまではついていてあげなさい」
「わかりました」

 そうしてこの日は、土方さんの看病に努めた。



 大したことねぇ、と最初こそ強気に振る舞っていたものの、威勢は急速に失われ、賄い方が用意してくれたお粥も全くと言っていいほど食べられなかった。

 額に乗せた手拭いをこまめに交換するも、桶の水もだいぶ温くなっていて、寝る前にもう一度変えておこうと薄暗い外廊下を進めば、風の音に混じって後ろから誰かに声をかけられた。
 恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは広島客舎で別れたきりの伊東さんで、まだ帰還報告すらしていなかったことを思い出し慌てて頭を下げた。

「すみません、報告が遅くなってしまって。あの……昨日、近藤さんとともに無事戻りました」
「いえ、昨日は私も外出していましたから」

 柔らかな声音に顔を上げるも、爽やかな微笑みは、月明かりのせいかいつもと少し違って見える。

「あなたが長州へ入っている間、私も情報集めに奔走していました」
「はい、伺っています」

 近藤さんとは別行動をしていたとも聞いている。

「京に居ては知り得なかった、様々な話を聞くことが出来ましたよ。思わぬ成果も得られたのです」
「それは良かったです」
「ええ、本当に」

 いつかは新選組を裏切るかもしれない伊東さんが、堂々と近藤さんと別行動をしていたなんて正直不安でしかないけれど。
 新選組のためになる情報が得られたのなら、それはそれで良かったのだろう。

「ところで、土方副長の様子はどうです?」
「まだ熱が高いです」
「そうですか。何でも一人で抱え込もうとするから、少々無理が祟ったのかもしれませんね」

 月明かりに照らされる顔が静かに苦笑するけれど、その後の言葉は続かない。
 薄闇と静寂の中を一際強い風が吹き抜ければ、境内に茂る青葉が葉擦れの音をざわめかせた。
 では、と自室へ戻って行く伊東さんを見送ると、私も足早にその場をあとにするのだった。



 灯しっぱなしの行灯が仄かに部屋を照らすけれど、夜が更けるにつれ、次第に時間感覚も曖昧になっていった。
 何度かうとうとする中、ふと、土方さんが呻くように言葉を発していることに気がつき慌てて声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「……、る……」
「……る?」

 お水か何か欲しいのだろうか。
 声をかけても返事はなく、熱に浮かされているのかただの寝言か、土方さんは目を閉じたまま眉間に皺を寄せ、ただ苦しげに言葉を発しようとしている。

「……いく……な」
「土方さん?」

 やっぱり返事はないけれど、何かを掴むように伸ばされた片手は宙をかき、そのまま力なく彷徨う様は迷子のように頼りなくて、思わずそっと握りしめた。
 怖い夢でも見ているのかもしれないから……。

「大丈夫ですよ」

 そう呟けば、返事はないのに握り返された。
 その手のぬくもりは、私を眠りの縁へ誘うには充分なほど温かかった。





 次に目を開けたのは、行灯よりもずっと明るい朝日が差し込む頃。
 眠ってしまったことに気づき勢いよく飛び起きるも、私が突っ伏していた場所には土方さんが眠っていて、もしかしなくても枕にしていたらしい。
 ひとまずヨダレの跡は見なかったことにして、昨日より随分と顔色がいいおでこに手を伸ばそうとし――あれ?

 確かに手を握った記憶はある。あるのだけれど……どうしてこうなった?
 お互い指と指を絡め合い……って、これっていわゆる、こ、恋人繋ぎ!?
 慌てて振り解こうとした瞬間、タイミング悪く土方さんが目を開けた。当然、この手も視界に入っているわけで……。

「いや、あの、これは……」

 待って。別にやましいことなんてしていない!
 それなのに、無駄に焦った私を面白がってか手に力を込められてしまい解けない!

「お前の手、珍しく冷てぇな」
「わ、私じゃなくて土方さんが熱いんです!」
「そうか。なら、もう少し寝る」
「そ、そうしてください!」

 ……って、このまま寝るの!?
 すでに目を閉じてしまった顔を見つめるも、繋がれた手を急に引かれたせいで土方さんの上に倒れ込んだ。
 何事かと慌てる私とは反対に、涼しい顔でさらりと言い放つ。

「お前も寝とけ」
「ね、寝とけって……」
「さっきまでこうしてただろう?」

 そうだけれど!
 ……って、気づいていたの!

 思わず顔を背けようとするも、薄目を開けて伸ばすもう一方の手が私の頭を叩くように撫でた。

「夜通しの看病ご苦労だった。ありがとな」
「……ど、どういたしまして」

 再び閉じた瞼を開けさせるわけにもいかず、仕方がないので、このまま土方さんを枕にもう一眠りするのだった。





 その日のうちに熱も下がった土方さんは、他に症状もないからと早くも翌日には復帰した。
 積まれた書状にさっそく目を通し始める姿に、縁側で足を垂らしながらもうしばらくの安静を提案してみるけれど、こちらを見ることもなく大袈裟だ、と笑われた。

「みんな心配したんですからね」
「あれだ。俺も馬鹿じゃなかったって事だな」

 それって“バカは風邪引かない”、と言いたいのだろうか。
 わざわざ私に視線を寄越してまでにやりと言い放ったのは、どういう意味だ?

 すぐさま反論しかけるも、一つ、あることに気がついた。
 暦はまだ四月といえど、旧暦のそれは夏にあたる。
 つまり……。

「夏風邪……」

 すでに書状へと視線を戻した土方さんの耳が、ぴくりと動いた気がする。
 そして、おろした書状から現れた顔がこれでもかと眉間に皺を寄せながら、馬鹿野郎! と声を張り上げた。
 それだけ元気ならもう大丈夫そう、と私も通常業務へ復帰すれば、しばらくぶりの隊務をこなしているうちに気づけば暦は皐月さつき、五月になっていた。

 そうして迎えた五日は土方さんの誕生日。
 去年は江戸からの帰路中で、まともにお祝いも出来なかった分ちゃんとしたい。

 長州征討へ向けた準備で忙しいだ何だと言いつつもちゃんと時間を作ってくれたので、事前に用意したプレゼントを持っていつもより豪華な食事に連れ出した。
 ちなみに、相変わらず長州征討へ呼ばれる気配が全くないのだけれど……それを言ったら案の定睨まれた。
 気を取り直して、久しぶりのお酒をほんの少しだけ嗜みつつ、食事の終わりに懐からあるモノを取り出せば、誕生日プレゼントとして土方さんに手渡した。

「ん? 矢立か」
「はい。土方さんにぴったりかなって」

 矢立とは、筆と墨を一緒に持ち歩ける携帯用筆記具のこと。
 すでに所持しているのは知っているけれど、予備でもいいし気分転換に交互に使うでもいいし、主張しない程度に施された梅の装飾を見た瞬間、これだ! と決めたのだ。

「ほう。洒落てるな」

 梅の装飾に気づくなり柔らかな表情を見せてくれるから、ほっとすると同時に私まで嬉しい気持ちになる。

「そうだ。せっかくだから、さっそくこれで何か一句書いてみてください」
「ふむ……」

 矢立に装飾された梅を見ながら考え込む……そんな姿を眺めていたら思い出した。

「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」
「おい……馬鹿にしてるだろ……」

 しまった、声に出していたらしい。
 確かに上手い句ではないのかもしれないけれど、私は結構好きだったりする。
 だから、土方さんの鋭い視線を和らげるべく精一杯のフォローを試みる。

「何輪咲いてようが梅は梅ですもんね!」
「やっぱり馬鹿にしてるだろう!」
「そんなことな――イタッ!」

 多少の予想はしていたものの、避ける間もなくデコピンが飛んでくるのだった。
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