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【 落の章 】

052 曇天と炬燵

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 屯所につくと、丁度廊下を歩く斎藤さんを発見した。

「斎藤さん!」

 呼びかけに気づきこちらへ来てくれたので、慌てて買ってきたばかりの手拭いを手渡した。
 同時に、謝罪とお礼を告げれば少しだけ驚いた顔をされた。

「わざわざ買ってきてくれたのか?」
「はい! あ、柄が趣味に合わなかったらすみません」

 さっそく手拭いを広げる斎藤さんが、僅かに口元をほころばせた。

「いや、いい柄だ。ありがとう」

 そう言われてほっと息をつけば、黙って見ていた原田さんが、突然、何かを思い出したように吹き出した。

「そういやさ、こいつ梅柄の赤い守り袋買おうとしちゃっててさ」
「べ、別に手に取って見てただけで、買おうとはしてません!」
「そう、ふくれるなって。お前、顔もこんなだし、本当に女みてえで可愛いよな」

 そう言って、面白がるように私のふくれているらしい頬をつついてくる。
 完全にからかわれているっ!
 原田さんの手を払おうとすれば、斎藤さんの低い声がした。

「そういえば、永倉さんが原田さんを探していたが」
「あ! そうだ、島原行くんだった。じゃあな!」

 慌てて駆け出す原田さんにお礼を言うと、片手を軽く上げる背中から、おうよ、という短い返事があった。
 そして、原田さんの姿が完全に視界から消えると、斎藤さんが私に向き直った。私を見下ろすその姿は、さっきまでとは違い、どこか不機嫌になったように見える。

「あの、どうかしましたか?」

 今日は巡察にも出ていないし、顔に傷も作っていないはずだけれど……。

「原田さんと出掛けていたのか」
「そうですけど……」
「好きなのか?」
「…………へ?」

 何を? え、誰を……って?
 まさか、原田さんをってことか!?

 予想もしない質問に、傾げていた首を慌てて左右に振ろうとすれば、僅かに口の端をつり上げた斎藤さんが再び口を開く。

「梅の話だ」
「え? あっ、う、梅っ!?」
「何か違う想像でもしたか?」
「なっ、してませんよ! 梅ですよね!? わかってます! 梅の花は、花の中でも一番好きなんですっ!」

 捲し立てるように一気に告げると、そうか、と呟やく斎藤さんがおもむろに手を伸ばしてくる。
 原田さんにつつかれた方の頬に振れたかと思えば、親指の腹で滑るように数回肌を擦られた。

「さ、斎藤さん?」
「何だ?」
「いや、あの、これは……?」

 いつものからかいなのはわかるけれど、毎度毎度、恥ずかしいんだってば!

「汚れていたから拭っただけだが?」
「え……あ、ありがとうございます……」

 てっきり、またからかわれているのかと思ったわけで。親切を意地悪と捉えるだなんて、何だかもの凄く失礼なことをしてしまった……。

「気にするな。お前をからかうと楽しいからな」

 ……ん? やっぱり、からかわれている?

「斎藤さんっ!?」
「手拭いありがとうな。大事に使わせてもらう」

 そう言い残し、斎藤さんは去って行くのだった。
 深呼吸を一つして気分を変えると、その足で山南さんの部屋へ向かった。

 襖の前で声をかけると返事があり、お団子をすぐに渡せそうでよかった、と思いながら襖を開けた。
 山南さんは布団の上に座り、傷口に薬を塗り終えたのか、包帯を自分で巻いているところだった。

「私がやります!」
「ん、利き腕は使えるから大丈夫だよ?」
「いえ、私にやらせてください! 少しくらい、私にも役に立たせてください!」
「そこまで言われては仕方ないね。それじゃあ、お願いしてもいいかい?」

 私が引かないと踏んだ山南さんは、柔らかく微笑み私に包帯を手渡した。
 傷を確認しながら丁寧に包帯を巻いていく。よほどの無理をしなければ、もう傷が開くことはなさそうだった。

「ありがとう。いつもすまないね」

 申し訳なさそうにする山南さんに、そうだ! と一つ手を叩く。

「お団子買って来たんです! よかったら一緒に食べませんか?」
「ああ、私が甘いものを食べたいと言ったから、気を使わせてしまったかな?」
「いいえ! むしろ、お団子を食べる口実をくれたので感謝してます!」
「ははは。それはよかった。じゃあ、さっそくいただこうかな」

 お茶を淹れて戻ると、今日の出来事を話しながら一緒にお団子を頬張った。
 山南さんは、まだ隊務に復帰できるほど回復していないので、こうやって私の話を聞くのが楽しいと言ってくれる。
 死番をやったこととか、原田さんと買い物に出たこと、甘味屋の女の子が可愛かったことなど、隊務中のことからそれ以外のことまで色んな話をする。
 優しい山南さんは、私のつまらない話にも時折相づちを打ち、穏やかな笑みを浮かべながら聞いてくれるのだった。

 一通り話終わると、障子を照らす光もだいぶ赤くなり、部屋の中も薄暗くなっていることに気がついた。

「そろそろ夕餉かな。お団子を食べる時刻、間違えてしまったね」

 苦笑しながら同意を求めてくるけれど、いくら優しい山南さんといえど、それには頷けない。

「甘いものとご飯は別腹だから、大丈夫です!」

 山南さんの呆れながらも温かい笑いに包まれて、一緒に広間へ行き並んで夕餉をとった。

 もう、今までのようには刀を握れないかもしれない。
 医者はそんなことを言っていたけれど、今では屯所内を自由に歩き回ったりしているし、こうして食欲だって取り戻して、日々少しずつ元気になっている。
 だからきっと大丈夫。そう信じて、今はただ、早く復帰できることを願うのだった。





 夕餉を終え部屋に戻ると、寒くなるまで私の定位置だった壁際に、布団を被せた四角い物体が置いてあった。
 布団を捲ってみれば、もわんと暖かい空気が漂う。
 よく見ると、布団がかけられているのは一人用の小さな机のようなもので、中には小さめの火鉢が置いてある。

「これって……もしかして、炬燵?」
「おう、気がついたか」

 声のした方を振り返ると、丁度部屋へと戻って来た土方さんだった。

「たかが曇天くれぇで、年も越せねぇほど寒い寒いってうるせぇからな。特別に用意してやった」
「っ! じゃあ、これ使ってもいいんですか!?」
「そのために用意したんだろうが。いらねぇなら片づけるぞ?」
「えっ!? いりますっ!」

 この時代にも炬燵があったことに感動しながら、さっそく中に入った。入ったというより、掛けてある布団を身体に掛けたという方が正しいけれど。
 中には火鉢が入っているので、思うように足を伸ばすことができないのだ。
 それでも、暖房器具の乏しいここでは何より暖かい。

「はぁ~、あったかぁ~い。幸せだ~」

 やっぱり、火鉢だけより断然暖かい。

「そんなんで幸せ感じるのか。随分と安上がりな奴だな、お前は」

 土方さんの呆れたような声が聞こえるけれど、今日ばかりは腹も立ちそうにない。

「何とでも言ってくださ~い。今日はきっと、土方さんには何言われても怒りませんよ~」
「ふっ。そうかよ」

 素っ気なくもどこか満足げな返事をすると、土方さんは文机に向かい書き物を始めた。
 その様子を炬燵の中から眺めていれば、時々、火鉢に手をかざしては擦るようにして暖を取っている。

「土方さんも、炬燵で暖まったらどうですか?」
「あのなぁ。文を読むだけならまだしも、炬燵に入ってたら文字が書けねぇだろうが」

 確かに、私のよく知っている炬燵とは違って、ただ布団がかけてあるだけでテーブルになる板がない。この時代の炬燵とは、きっとこういうものなのだろう。

「俺はこの火鉢だけで十分だ。それに、一度入っちまうとなかなか出れねぇからな。仕事になんねぇんだよ」
「あ~、その気持ち凄くよくわかります。私、すでにもう出られそうにないですから」
「だろうな」

 呆れられると思ったのに、今度は嬉しそうに笑っている。
 ……土方さんの反応がおかしい。

「土方さん、頭でもぶつけましたか?」
「は? 何だ急に」
「何だか、今日の土方さん怖いくらいに優しいから、どうかしたのかなって……」
「炬燵、没収してやろうか」
「あ、やっぱりいつもの土方さんでした」
「おい。そりゃ、どういう意味だ!?」





 翌朝、炬燵に入る私のすぐ横から、土方さんの声がした。

「なぁ、俺はお前に炬燵を用意したよな?」
「はい。今もありがたく使わせてもらってます」
「じゃあ、何でお前は火鉢の時と変わらねぇ位置にいるんだ?」
「だって、こうすれば土方さんも少しは暖かいじゃないですか?」
「片足だけだがなっ!」

 仕事に追われる土方さんの背中を見ながら、一人だけぬくぬくと炬燵で暖を取るのは申し訳なくて、火鉢を文机の反対側へと移動させ、代わりに炬燵を置いたのだ。
 そして、布団を限界まで引っ張り土方さんの足へ掛けている。
 あまり近づき過ぎたら本当に邪魔になってしまうし、おそらくこれがギリギリの距離。その結果が、片足だけというちょっと面白い光景になっただけのこと。

「これじゃ、火鉢に張りついてた時と変わらねぇじゃねぇか。隣にいられると邪魔だって言ってんだろうが!」
「まぁまぁ、仕事の邪魔はしませんから」
「当たり前だ! 邪魔したら本当に取り上げるからなっ!」

 それだけは勘弁して欲しいので、炬燵に突っ伏し土方さんを眺めながら、大人しくしておくことに決めたのだった。
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