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【 落の章 】

035 ―芹沢鴨―

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 俺は縁側に腰を下ろし、日暮れまではまだあるというのに、さも当たり前のように酒をあおっている。
 隣には梅が寄り添い、空にするたび杯を満たしてくれる。こうして今日も、俺の気が済むまでつき合ってくれるのだろう。

 緩みかける頬を気取られぬよう見上げた空は、湿った風が徐々に雲を広げていた。

「雲行きが怪しくなって来たな」
「明日は雨かもしれまへんね」

 多くの言葉を交わすでもなく、ここ最近は、ただこうして酒を片手に縁側で過ごすことが増えた。

「そろそろか?」
「そろそろや思います」

 そう言って、梅は綺麗に微笑んで見せた。
 彼奴がここへ来てからというもの、俺が酒を飲む姿を見るたびに決まってやめろと言ってくる。
 適当にあしらってやろうが、どんなに凄んでみせようが、懲りずに何度もやって来ては、果敢にもこの俺に説教を垂れてくれる。

 この俺に酒をやめろと言うのは何も彼奴だけではないが、所詮は口先だけの奴らばかりだ。
 決して、俺の身を案ずるわけではない。俺が酔って狼藉を働くことを防ぎたい、それが本音なのだろう。
 だが、彼奴だけは違った。心から俺の身を案じているのだとわかる。本気でぶつかって来る奴なんぞ、後にも先にも彼奴くらいなもんだ。

「芹沢はん、お春ちゃんのこと考えてるんどすか? 優しい顔してますで」

 優しい顔、か。
 近頃、梅はよく俺にそんなことを言う。聞き慣れん言葉だ、俺には似合わん言葉だと自嘲めいた笑みを返せば、庭の方からこちらへと向かって来る足音が聞こえた。

 ――来たか。



「芹沢さん……。また飲んでるんですか」

 姿を表したのは、髪の短い男の格好をした女。
 俺の姿を見るなり、飽きもせずお決まりの台詞を言う。
 いつものように軽くあしらってやれば、隣の梅はまるで子を見守る母のような笑みで、俺たちのやり取りを眺めている。
 俺のそれより、よっぽど優しい顔だ。

 こんな小娘に説教なんぞされているというのに、不思議と悪い心地はしない。ある意味、俺には似つかわしくない、穏やかな時だとも思う。
 こんな時が永く続いて行けば、それはいずれ幸せと呼べるものに変わるのかもしれんが、今の俺にとってそれは儚い夢物語だ。

 この女……春は、いったいいつまで俺の夢物語につき合うつもりなのだろうな。
 否、答えなどわかっている。お前は俺が死ぬその時まで、俺に夢を見させてくれるのだろう。
 そしてその日は、おそらくそう遠くはない。

「なぁ、春。新見も死んだ。そろそろ俺か?」

 我ながら何と意地の悪い訊き方かとも思うが、お前は本当にわかりやす過ぎる。
 必死に動揺を隠そうとはしているが、元来、嘘や隠し事が出来ない性分なのだろう。
 さらに追い討ちをかけてやれば、とうとう言葉を詰まらせた。かと思えば、慌てて取り繕おうとするその様に、どこまで心根の優しい人間なのだと呆れさえする。

 そんな人間が己の身を案じているということに、どこか面映ゆさを感じ、杯の中身を一気に飲み干した。
 そして、まるで幼子のように真っ直ぐで純真なお前には、きっと理解しがたいであろう話をしていった。

 どうせ永くはないこの命、最後くらい新選組のために使ってやるのも悪くはなかろうと。

「芹沢さん……もう、止めてください……」

 今にも泣き出しそうな顔で、お前はそう言った。
 次第に何かを悟ったような表情を見せたかと思えば、みるみるうちに絶望にも似たものへと変えていく。終いには、涙さえ流し始めた。
 表情一つで、こんなにも容易く感情を読み取れる人間も珍しいだろう。
 お前の髪を切らせた張本人だというのに、とんだお人好しもいいところだ。

 百五十年先の世ではどうだか知らんが、人が良いだけでは生きて行けんぞ。
 お前のような人間は、都合の良いように利用されるだけだ。ましてや春、お前は先の世から来たのだからな。
 だが、土方はお前の髪を切ったことに少なからず責任を感じているであろう。たとえ俺がいなくなろうとも、髪が伸びるまでの間は無闇にお前を放り出すこともあるまい。



「お春ちゃん、泣いとりました」

 使いから戻って来るなり、梅は俺の隣に腰を下ろしそう言った。

 だが、彼奴ならば大丈夫だろう。
 どれだけ冷たい雪に覆われようと、春になれば大地は顔を出し、草花は花を咲かせるように、彼奴も決して枯れることはないだろう。

「なぁ、梅。お前まで俺の我が儘につき合う必要はないんだぞ?」
「何言うてるんどすか? うちはうちのしたいようにしてるだけどす。それとも、芹沢はんはうちのこと邪魔になってまいましたか?」
「いいや。お前も物好きだと思っただけだ。……すまんな」

 ありがとう……と呟けば、梅は嬉しそうにはにかみ身体を僅かに傾けた。
 心地よい重みを肩に感じながら見上げた空は、厚みを増した雲に覆われ随分と低くなっている。強さを増した風が、庭の草木を揺らしていった。

「明日は荒れるかもしれんな」
「そうどすね」



 思えば俺は、随分と強引なやり方でここまで来た。それが正しかったとも、間違っていたとも思わん。
 ただ、そうせねば新選組はおろか、壬生浪士組でさえ路頭に迷いかねなかったのだ。志だけで生きて行けるほど、この世は甘くないからな。

 だが、それももう必要あるまい。
 これからの新選組に必要なのは、近藤や土方のような人間であるべきであろう。

 壬生狼と揶揄されるほど血の気の多い奴らを束ねるのは、決して容易なことではないが。
 人望の厚い近藤に隊士たちを慕わせ、その分、土方は鬼となり非情に振る舞うであろう。
 自ら憎まれ役を買って出るなど、難儀なことだが。そういう男だ。

 だからな、春。
 この新選組を、彼奴らを支えてやって欲しい。
 お前になら、否、お前にしかできんとも思うのだ。この俺に、二度も手をあげたお前にしかな。



 なぁ、春。
 お前は、百五十年先の世に新選組は存在しないと言った。
 だが、それでもお前は知っていた。
 新選組は、その名を残せたということなのだろう。

 だからこそ、産声を上げたばかりのこの新選組が、進むべき道を見誤ることのないように。
 お前の知っている新選組であり続けられるように。





 新選組筆頭局長、芹沢鴨。
 琴月春。
 筆頭局長として、お前に最初で最後の命を下す。



 ――新選組の行く末を、その目で、お前自身でしかと見届けろ!――
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