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第五十章

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 食事を終え、隼人はすでに日課となりつつあるスイーツの時間。どうやら食べるだけではなく、作るのもストレス解消になるらしく、毎日のように作っている。隼人が食べるペースを上回る量を作るので、冷蔵庫も冷凍庫はお菓子に占領されつつあった。
「職場に持って行っては?」
 せいぜい一口程度しか食べられない圭としては、少しでも減らして貰いたいのが本音だった。
「そうしようかな。切って個包装しておけば、持って行ってもらいやすいし」
 その気になってくれて、ホッとしたその時、インタフォンが鳴った。
「誰だろう、こんな時間に」
 パウンドケーキをオーブンに放り込んで、隼人がインタフォンの確認画面に近寄った。圭も後に続く。
 玄関の向こうにいたのは、田端聡の事件で関わった刑事二人だった。
 二人は顔を見合わせたが、無言のままで隼人は玄関扉に向かった。
「お久しぶりです」
 感じの良い年嵩の刑事、上野は以前の通り笑顔で、軽く会釈をした。
 その後ろで、相変わらず不愉快そうな表情の若い刑事、矢橋が首を曲げただけの礼をする。
「すぐに失礼しますので、お構いなく」
 コーヒーの用意を隼人がしている間、圭は刑事二人の前に座っていた。
 心臓が爆発しそうなほど、大きく鳴っている。上野はともかく、矢橋の鋭い目が気になる。
 コーヒーを二人に出すと、隼人が席に着き、ようやく話が始まった。
「保科緑さん、ご存知ですよね」
 二人は同時に頷いた。
「新宿の駐車場で、殺されているのが発見されました」
「殺された?」
「はい。心臓を刺されていました。
 これは、皆さんに伺っているのですが、今日の午後二時から五時の間、なにをしていましたか?」
「私は、手術中でした。病院に確認して貰えれば」
「麻上さんは?」
「私は、大学を出たのが二時半頃で、四時頃、友人がここに。六時頃までいました」
 アリバイは二人共、問題は無い。
「監視カメラは無かったのですか?」
「あまり、経済状態の良くない駐車場でしてね、カメラのほとんどがダミーでして。
 偶然、本物のカメラが、保科さんの車の傍にありまして、ワンピース姿の女が歩いているのを撮していましたが、近くを歩いていただけなので、関わりがあるかどうかは分かりかねましてね。
 それに、心臓を刺すのは中々、女性の力では難しくて」
 上野が説明している時、矢橋がチラと圭を見た。女性の力では。と言う部分で。おそらく矢橋は、圭が女装して緑に近づいたとの仮説を立てているだと思われる。
 隼人のアリバイは完璧だが、圭は崩せる可能性がある。大学からマンションに戻るまでのどこかで、監視カメラに映ってはいるだろうが、新宿からは近いため、緑を駐車場に待たせ、会ってすぐ殺し、急いで戻ったなら、四時に朝子達を招き入れるのは可能だろう。
 ただ、緑を殺す決定的な動機が、圭には無い。隼人を奪われる等とは、圭は勿論、周りの誰も思ってはいないだろう。この点に置いては、さほど問題にする必要はないと思われる。 
 なにより圭を落ち込ませたのは、緑が殺された現場が、今日、朝子達が買い物に行ったデパート近くだったことだった。
 緑が、長期入院型の精神病院に勤めていたと、隼人から聞いた際、興味も手伝って調べたのだが、あるサイトでは、そこには精神疾患による犯罪者や、正当防衛などで起訴されなかった犯罪者も受け入れているとあった。
 繋がった。
 朝子や希実香を涼介が知っていた理由も、緑が圭や隼人に拘る理由も。
 人に見られるリスクを顧みず、駐車場で殺したのは、早く死体を発見させたかったからではないだろうか。
 香澄の死体が見つかり、緑が殺され、圭と涼介しか知らない革の栞が圭の元に届いた。
 涼介からのメッセージが、圭に届いた瞬間だった。
 堪えきれず、圭は俯いて口を押さえた。絶望が心を支配していた。
「圭! 済みません、圭はちょっと、こういう話に弱くて。
 吐くか?」
 我慢できず、頷いた。矢橋は疑いを深めたかも知れないが、どうでも良かった。疑われようとも、矢橋が疑いを裏付け、万一逮捕状を持ってきたとしても。
 背中を擦って貰いながら吐き切って、ぐったりと手洗いの前の廊下に座り込んでいる間に、隼人が刑事達を送り出したらしかった。
 「疑っているわけではないよ。保科先生を知っている人間は全員、調べるのが仕事だからね。ただ、俺は少々トラブルがあるから、早々に来たんだろう」
 慰めるように、隼人が肩を抱いてくれた。
「保科先生になにがあったのでしょう」
 荒い息を吐きながら、疲れ切った声を出す。
「それは、これから警察が捜査してくれるだろう。もしかしたら、男関係かもしれない。
 もう、休んだ方が良い」
 確かに、疲れ切っていた。しかし、横になったからといって、疲れが取れるとは思えない。
「腕枕で眠らせて……」
 もたれ掛かって、懇願する。
「良いよ」
 優しく頭を撫でてくれた。

 朝、目が覚めるとすでに日は高く昇り、勇一郎がリビングで仕事をしていた。どうやら隼人が圭を心配して、勇一郎に頼んでくれたらしかった。
「おはよ……」
「隼人も気が利かねぇな。俺が来てんだから、圭ちゃんの部屋に寝かしといてやりゃいいのにさ」
 勇一郎の言葉で、圭は自分が隼人の寝室から出て来たと気付いた。
「気が利かないのは、中里さんも同様ですよ。誰の部屋から出て来ようと、見ない振りしてくれれば良いではありませんか」
「冷やかしながら、本当に圭ちゃんと隼人がそういう関係かどうか不明だったけど、やることちゃんとやってんだな」
 どう反応すべきか考えた結果、無視することにした。
「隼人に頼まれて、来てくれたのですか?」
「華麗にスルーだな。
 隼人をホテルに誘ってた女が殺されたって? 
 なぁ、圭ちゃん、今回の事件、例の事件と関連あると思うか?」
「例の連続事件ですか? 関係ないと思います。心臓を刺されていたと聞きました。
 例の事件は、中里さんが言ったのですよ、共通点は刺し方のしつこさだと。
 それに、今は十一月の初旬です。時期も、違いますよね」
「そうだけどな」
 勇一郎はらしからぬ、気難しい顔でキーボードを叩いては唸る。
「なんとなく、気になるんだよ。なにが気になるんだろうな」
「私に分かるわけがありません」
 突き放すように言いながら、圭の心は落ち着かなかった。
 勇一郎は本当に、自分の疑問が理解できていないのだろうか? もしかしたら、圭の気持ちを察して、探りを入れているのではないのだろうか。そんなことを考えさせられるのだ。
(彼は私を待っている。あの店で)
 圭の気持ちは定まっていた。
 本当ならば自分の考えを隼人達に話して、一緒に確認に行くべきなのだろう。それが最適なのだとは分かっている。しかし、圭にはそれができなかった。
 圭にとって涼介は、親友のままなのだと思い知らされた。もしも連続殺人の犯人だとすれば、警察に引き渡すべきなのだが……。
 隼人に初めて抱かれた夜のように、決心してしまえば戸惑いも、消えてしまっていた。
 明日、決着を付けると決めた。
「なぁ、圭ちゃん」
 勇一郎はまだ悩んでいるのか、低い声を出した。
「なんでしょう」
「隼人とはどんなエッチしてんだ?」
 よっぽどパソコンに打ち込んでいる内容を消してやろうかと思ったが、さすがにそれは可哀想だと思い、手近にあった雑誌を頭目がけて投げつけておいた。
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