進まない時間 後編～思うはあなたひとり～

第六章

　様々なジャンルの本を与えた結果、意外なことに、圭が興味を示したのは、ビーズ細工の本だった。
　ビーズは種類も多く、手法によって、可愛らしい小作品から、豪華な飾りまで見応えがあるらしい。色々な作品の写真と共に、作り方が示されており、両方を見比べては、頷く姿がよく見られた。
　ビーズを用意しようか？　と聞いたが、力一杯頭を横に振られてしまい、やめておくことにした。次男の言う通り、心配は必要ないらしい。
　一週間ほどで、ビーズのブームは終わり、次は、ミニチュアフードの写真を眺めるようになった。が、食欲はあいかわらずのまま。
　どうやら選択基準は、かわいらしさ、美しさ。加えて、犯罪が絡まぬ安全性らしかった。


　大晦日は山上は実家に帰り、隼人は圭の病室で過ごすことにした。
　結局、手芸はすぐに飽き、今は漢字を埋め込む、クロスワード系のパズルに夢中らしい。
　あと一時間で年が改まるタイミングで、圭がそわそわし始めた。小さなテレビを持ち込んで、全国の大晦日の様子を眺めていたのだが、気もそぞろなのが、隼人にもわかる。
　どうやら、隼人に話しかけたいらしいのだが、迷っているようだ。
「どうした？」
　話し掛けると、隼人を見上げ、うっすらと口を開いた。
「ごめんなさい」
　久しぶりの声だった。
「迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」
　掠れた声は、今にも泣き出しそうに聞こえた。
「何を謝る必要がある？」
「貴方に、殺せと言われたら、どんなに苦しいか……。私は貴方に、ひどいことを……」
　正直、この件に関して圭は、無かった事にするつもりだと思っていた。時として、内容によっては、突き詰めず、うやむやにした方が良いこともある。
「ずっと、気にかけていたのか？」
　目を伏せて、頷く。
「だから、喋らなかったのか。
　圭、どの辺から覚えている？」
　入院以降、あるいは入院以前の記憶の一部を失っている可能性があるだろうことは、次男とも話していたが、確認するには、圭の心理的負担を考えないわけにはいかない。今は、良い機会だと思えた。
「貴方が病室に入って来た時」
「それ以前で記憶しているのは？」
「みず……　」
　怯えた表情を見せた。
「水野君と面会して、帰ってからすぐに眠ったね。あの辺り？」
　圭は頷いた。
「はい。二ヶ月も経っていたのですね。
　私は一人、記憶を失うことで、楽に生きてきました。貴方を苦しめて」
　正しくは、失ってはいなかった。本当に失ったのは、隼人の腕の中で、暴れ疲れて眠りに就いた後だろう。
　二ヶ月間、最も苦しんだのは圭だと、隼人は知っていた。
「お前が俺を苦しめたとすれば、それは、傍にいてくれないことだ」
　圭の手を取ると、手の平に頬を寄せた。
　肉の薄い、青白い手。しかし、温かく、愛おしい。
「早く帰って来てくれ。俺の傍にいて欲しい。お前が必要なんだ……」
　テレビの中で、除夜の鐘が鳴った。
　今年こそは、良い年でありますように。隼人は心の中で強く願った。