視線

岡倉弘毅

文字の大きさ
上 下
10 / 18

第九章

しおりを挟む
 二度目の情事の後、芳明は乱れた髪を撫で付けながら、少しばかり狼狽えていた。髪を整えずに外を歩くなど、芳明には考えられない行為である。
 既に、二人の間には、暗黙の決め事があった。決して、互いの家に、連絡し合わないこと。故に、情事はいきあたりばったりにならざるを得ない。だからと言って、必要な物を常に持ち歩くわけにもいかないのだ。
 外は穏やかで、微風程度しか吹いていない。
「どうぞ」
 芳明の前に置かれたのは、見慣れたポマァドの壜であった。芳明は訝しんだ。それは、俊紀の使っている物とは違うはず。匂いで分かるのだ。「間違っていましたか?」
 芳明が戸惑っているのに気付いたのだろう。心配そうな声が背後から聞こえた。
「どうしてこれが?」
 目の前に手鏡が差し出される。芳明が髪を整え終わるまで、持っているつもりらしい。
「匂いを覚えておりました」
「わざわざ」
「例え男の物とはいえ、匂いが違えば奥様が訝しむでしょうから」
 少しだけ、口籠った。
 芳明は、先日の久仁子の表情を思い出し、理解した。あの時久仁子は、芳明以外の人間の移り香を嗅いだに違いない。
 そうして、俊紀にも、そういう過去があるのだと気付いた。
「匂いのせいで、どなたかに知られた過去がおありなのですね」
「兄に、気付かれました。二種類のポマァドの匂いがすると。洒落者の兄など持つものではありませんね。
 私も、友人宅に泊まったとでも、嘘を付けば良かったのですが、思いもかけぬことに戸惑ってしまって」
「叱られましたか?」
「罵倒されました。
 でも、兄も考えたようです。私が所帯を持てば、今のように散財はできなくなります。むしろ都合が良かったのでしょう。すぐに理解を示し始めました」
「そうですか」
 素っ気なく答えて、芳明は壜を手に取った。正直助かりはするものの、複雑な気持が胸に渦巻く。
(私の立場は一体、なんであろう。もう、友人ではあり得ない。恋人? あり得ようもない。愛人とも違う。
 あぁ、そうだ。男妾のようではないか? 今の私は)
 俊紀の気持ちが知りたいと思った。問うてみたい気もしたが、怖くなってやめた。恋人と言われるのも、愛人と答えられるのも、ましてや、男妾などとは。
(友人と言われたなら、滑稽過ぎる)
 髪を整え終えると、俊紀が、手鏡を持っていた手を引いた。
 礼を言うべきかと見上げたが、言葉が唇から溢れることはなかった。必要ないと思ったのだ。
(俊紀様は、ご自分のなさりたいことをなさっただけ。
 やはり私は男妾なのだ)
 頬に触れる温かな指が、なぜか冷たく感ぜられた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

処理中です...