進まない時間 前編

岡倉弘毅

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第四十章

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 『この前は悪かったな』
 勇一郎の声が、鼓膜を刺激する。いつもの明るさはどこへやら、なにやら落ち込んだ声に思えた。
「お前が悪いわけじゃないだろう」
『ん……』
「何かあったのか? まさかとは思うが、明君がまた」
『そっちは大丈夫だ。
 お前、坊やとはどうなんだ?』
「どうって?」
『いや、明が気にしてたんだ。この前、お前を呼び出したせいで、坊やがお前に不信感持ったんじゃないかって。
 言い訳しようと、英和に電話番号を渡してもらったらしいけど、かかってこないらしい』
「圭は、明君が関わってることは知らない」
『勘付いてないって? そんな鈍感な子には見えなかったぜ』
 そうだろう。隼人のことを聞かれてすぐ、起きたことだ。
 さすがに、明との関係は疑ってはいまい。が、武の存在は知っている。
「気にしなくていい」
『しっくりいってなさそうだな。
 なんだったら、俺が言い訳しようか?』
「逆効果だろう。お互い、文化祭で、知らんぷりしてたんだからな」
『二丁目仲間を無視するのは、ある意味普通じゃないのか?』
「最近、圭が学校でカミングアウトしたから、俺には隠す必要がない。他の生徒の前なら隠しても、圭には隠す必要はないだろう?
 なのに隠すのは、知られたくない何かがあるってことだ。結局は、自業自得なんだよ。
 それより、彼はどうして、バカなことをしていたんだ? 武が好きだった少年を知りたい理由がわからない」
 てっきり、隼人は武の最期を知りたいのだと思っていた。
 落ち着いて考えてみれば、武を看取ったことを、明が知っているとは思えない。圭には言ったが、守秘義務を理解するだけに、明に話しはしないだろう。
 好きだった少年を知りたいと言いながら、最たる目的は、武の中の、自分の存在を確かめたかったのだろうと思わせられる質問だった。
『武は、自殺だったんだよな? なんかさぁ、明の言い方は、殺されたって疑ってるように聞こえた』
「見捨てられたような気になっているんだろう。自分を残して死んだことが、認められない……」
 自殺。本当に自殺だったのか。
『どうした?』
「いや、なんでもない。
 こっちのことは、気にしなくていい。彼にもそう伝えてくれ」
 もう直、圭が帰って来る。隼人は決心した。もう、隠し事はするまい。と。
 「どうしました? いつもと様子が違いますが」
 あの日以来、山上がいつも圭の傍にいてくれた。お陰で安心でき、本来ギクシャクしているはずの二人も、山上のお陰で穏やかにいられたのだが、今日は隼人が休みのため、山上はいない。
 着替え終えた圭がリビングに現れると、隼人は先手必勝とばかりに、話がある。と、圭に伝えた。
「この前の夜だけど、何があったかは話せない。圭も、西島君とのことは、疑っちゃいないだろう?」
 圭は黙ったまま、答えようとはしない。
「問題は、兄の武の方だ。
 気づいているだろうから話すけど、武とは二ヶ月だったかな、関係を持っていた。
 おれたちは、同類だった。許されない相手に恋をして、苦しんでいたんだ。
 武は、弟と同じ年の相手で、異性愛者だったこともあって、俺以上に悲観していた」
 圭は表情を変えもせず、じっと、机に視線を落としている。
「実は、あの時俺は武の従姉妹と婚約をしていた。お前との、決定的な別れの理由が欲しかった」
 仰向いた圭は、やはり感情を殺したまま、生気のない目で、隼人を見つめていた。
「あの日俺は、仲人を西島院長に頼むため、西島総合病院にいた。近くで交通事故があって、緊急の手術で混乱していたよ。院長も執刀のため、会うことはできなかった。
 帰ろうとした時、武が運び込まれた。母親が発見したそうだ。ナイフで首や腹部を複数回刺していて、生きているのが不思議なくらいだった。
 その場には研修生一人しかいなくて、母親に泣きつかれて俺は、他所の病院だが、処置に当たった。でも、武は間もなく息を引き取った。
 武が到着する数分前に、少年が担ぎ込まれたのを見た。血で顔を真っ赤に染めていた。多分、唇を噛み切ったんだろう。精神的なショックが大きかったらしく、正気を失っていた。
 後で小耳にはさんだのだけど」
 隼人は暫し悩んだ。どう言えば、オブラートに包めるのか。しかし答えは出ず、はっきりと言うしかなかった。
「レイプされていたらしい」
 予想できていたが、圭のショックを受けた顔は、できれば見たくはなかった。初めて感情を表し、ひどく怯えた表情を見せた。
「少年と、少年を犯した犯人、自殺をした武、この三人は、俺達の最悪の未来だった。そうして、俺は悟ったんだ。結婚は、決定的な別れにはならない。むしろ、逃げ道を失った俺が、最悪の結果へと向かう切っ掛けになると」
「最悪の結果?」
「お前を犯し、首を絞める夢を、何度も見ていた。予知夢になっていたかもしれない」
 圭は立ち上がり、顔を背けた。
「その後、婚約は破棄したのですね?」
「そう。破棄して、あちこちに詫びて、カミングアウトしてから、お前を呼び出した。もしかしたら、もう、愛想を尽かされているかもしれなかったが、それでも良いと思った」
「ごめんなさい。一人にして下さい。食事はいりません」
 沈み込んだ声に、分かった。と、答える以外にはなかった。
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