進まない時間 前編

岡倉弘毅

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第八章

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 ベンチに凭れかかって、ぼんやりと空を見ていた。今にも降り出しそうな空は、圭の気持ちと似ていた。
(どうしていつも、こうなのだろう)
 友人など、必要無いと思っていた。周りは圭を異端者として見る者が多く、うかつに信用したならば、傷付くのは目に見えていた。
 誰も信用しない。圭は今までそう考えて生きてきた。にも関わらず、涼介を受け入れようとしたのはなぜか。
(私が悪かったのだ。私は彼を、利用しようとした)
 初めて涼介を見た時、似ていると思った。どうしてなのか、自分でも理解できないのだが、似ていると感じたのだ。
 涼介と言葉を交わすようになって、それはますます強く感じるようになった。
 端から見れば、二人は正反対に見えるに違いない。涼介には友人も多く、いつも明るく笑っている。女の子からの告白も既に二桁に乗ったと聞く。
 しかしまだ、圭は感じていた。二人は似ていると。
 圭は、もう一人の自分を、客観的に見たいと思い、涼介が付きまとうのを許した。
(私に、彼を責める権利があるのだろうか?)
 涙が溢れそうになって、膝の上に肘をつき、手の平で顔を覆った。
 圭は嬉しかった。自分に向けて笑いかけてくれるのが。圭の好きな音楽を聞き、話題にしてくれるのが。
「先輩」
 涼介の声に、圭は反応しなかった。
「昨日のことは、ごめんなさい。あの人と先輩の関係、知りたかったのは本当だけど、それは好奇心じゃない」
 足音が近づいて来る。
「僕は、先輩にとって一番の存在になりたいと思ってる。だからあの人が気になった。山上先生も、気になってる。
 誤解しないでね。恋人になりたいわけじゃない。
 初めて見た時から、先輩は僕と同じだと思ったんだ」
 圭は顔を上げると、涼介を見た。その目に、嘘は見当たらなかった。
「先輩、泣いてたの?」
 肯定も否定もせず、視線を逸す。
「ごめんなさい。貴方を誤解していました。
 いいえ、誤解だけではありません。私は八つ当たりをしました」
「八つ当たり?」
「嫉妬していたのです。彼が、隼人が貴方のことを、楽しそうに話したので」
 涼介は、吹き出すように笑う。
「先輩、あの人のことがすっごく好きなんだね」
 はい。と、圭は素直な気持ちを言葉にする。
「誰よりも、愛しています」
 涼介の笑い声が止んだ。
「先輩、変なこと聞いていい?」
 変なことと言いながら、声は真剣だった。
「はい」
「セックスは好き?」
 意表をついた質問だった。しかし、二人にとっては共通の問題なのだろうと、感じていた。
「わかりません」
「わからない?」
「経験がありませんから」
「だって、あの人、恋人なんでしょう?」
「私は十七歳ですよ。法に触れます」
 言い訳としては、下手すぎる。当事者同士の秘密の行為なのだから、黙っていれば、法など関係ない。恥じらって、嘘をついていると思われても仕方はなかった。
「以前、貴方を揺り起こした時、手の震えが止まらなかったのを覚えていませんか?」
「覚えてる」
「あの状態で、そんな行為ができると思いますか?」
「でも、先輩を触ってたよ」
「彼しかいない状態で、首から上に限られます」
「特別な人で、そこまで?」
 返事は、ため息に変えた。
「先輩?」
 この手の話を、人にするのは初めてだった。常に一人、心の中で思い、悩む毎日だったのだ。
 話したかった。答えて欲しかった。今、喜びを得た。反面、初めてだった為、精神面の負担は考えつかなかった。
 軽い吐き気と目眩を感じて、圭は目を閉じた。




『君が好きなんだ』
 突然、家庭教師の大学生が言った。算数の問題を解いている最中で、場違いな言葉は、私の頭にはすんなり入ってこなかった。
『君は僕のこと、どう思っている?』
 十一歳の私には、どう答えればいいのかがわからなかった。教えてもらい始めてまだ三ヶ月しか経っておらず、人付き合いが得意でもない私からしてみれば、好きも嫌いもなく、家庭教師以外の何者でもない。
 答えに困って、黙り込む。母親はつい先程、地域の清掃活動に出たので、逃げ道はなかった。
『愛しているんだ』
 ますます意味がわからない。幼い私にとって愛とは、肉親や、特定の異性に対する言葉と認識している。
 大学生の手が、鉛筆を持つ私の左手に被せられた。汗ばんだ熱い手は、ひどく不快だった。
 大学生の行動が恐ろしく、気持ち悪く、私は左手を引き抜こうとしたが、今度は握り締められてしまった。
 逃げなければ。ようやく私は大学生から逃れるべく、抵抗を始めた。
『離して!』
 大学生はあっさりと手を離したかと思うと、バランスを崩して、倒れそうな私に覆いかぶさるように動くと、両手首を戒めた。
 したたか背中を床にぶつけた私が、軽く咳き込んでいる間に、私の両手首を片手でまとめて抑えると、湿っぽい手で、頬を撫でる。
『綺麗だ。ねえ、僕のこと、好きだろう?』
 私はなにも答えられず、震えていた。大学生の言う好きの意味が怖かった。
『なぜ震えるの?』
『離して』
 小さく訴えると、大学生は笑いながら、手を、首から肩に滑らせた。
『逃げないと、約束する?』
 必死の思いで頷くと、戒めは緩んだ。
 逃げなければ。しかし、どうやって? 自問自答する。次逃げそびれたなら、どんな目に遭わされるか。どうしようもない恐怖が渦巻く。
 ゆっくりと体を起こしながら、周りを見渡すと、ハードカバーの本が目に入った。考えるよりも速く体が動き、本を掴むと、私が無抵抗だと信じる大学生の横顔を殴り付けた。
 そのまま、逃げ出すべきだった。しかし愚かにも私は、顔を抑えて呻く大学生が心配になり、顔を覗き込んでしまった。大丈夫? と。
 左手に、電気が流れるかのような痛みが走り、息を飲む。
 大学生の手に握られたコンパスが、私の左手に突き立てられていた。
 再び突き立てられ、短い悲鳴を上げた。
 助けて! 助けて! 声も出せず、心の中で叫び続ける。
 コンパスが引き抜かれて、迷いなく、逃げるために背を向け、走り出したつもりが、足を引っ張られ、倒れ込んだ。
 次の瞬間、背中を引き裂かれる痛みに、意識を失った。
    
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