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chapter4

step.34-8 罪と罰

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「ぐっ……」

 ……東京の夜景が揺れていた。
 赤、青、黄色、橙色……色とりどりの星のような光が、揺れていた。

「伝っ! そのまま離すなっ!」

 類さんの切羽詰まった声。
 頷く代わりに、僕は震える奥歯を噛み締めた。

 冷たい夜風が巻き上がり、髪がゆらめく。

 手すりから身を乗り出して、僕は帝人さんの左手を掴んでいた。
 類さんが僕の身体を支えていなかったら、たぶん彼と一緒に落ちていた。

 耳の奥で心臓がドクドクと言っている。
 この手を離したら、帝人さんが死んでしまう。
 階下から暗い夜が腕を広げて、彼を待ち構えているようだ。

「ぅっ……」

 と、彼の手袋が僕の手の中から滑り落ちていく。
 帝人さんはこちらを見上げて、苦笑した。

「……君、お人好しが過ぎるだろう」

 力が入らない。このままじゃ……!

「く、ぅっ……」

 いやだ……!
 いやだ、いやだっ!!

 東京の夜の喧騒が遠ざかる。
 耳鳴りに飲み込まれていく。

「帝人さ――」

 掴んだ手袋だけが、手中に残った。

 ――その刹那。

「帝人! 右手伸ばしてッ!!」

 横から伸びた小柄な手が、帝人さんの左手首を力強く掴んでいた。
 ニャン太さんだった。

「早くしてッ!!」

 彼は器用に手すりに足を引っかけ、片手で自身を支えながら叫んだ。

 打たれたように帝人さんは言われた通りにした。
 ニャン太さんは自分を支えていた手を離して、帝人さんの右手も掴み、

「ふ……ぬ、ぬ、ぬ、ぬっ……!」

 帝人さんを勢いよくベランダの内に引きずり込んだ。

 僕はその場にへたり込んだ。腰が抜けていた。

「バカッ!!」

 鼓膜を破らんばかりの声が響く。

「何考えてんの!? ほんっと、バカなんじゃないの!? バカ! バカバカバカバカバカッッッ!」

 ニャン太さんが顔を真っ赤にして怒鳴った。
 バカと何度も叫ぶその双眸から涙をポロポロとこぼしながら。

 帝人さんはコンクリートの床に手をついて、呆然としていた。

「なんで……」

 浅い呼吸を繰り返し、青ざめた唇が「なんで……」と何度も呟く。

「なんでって……まだわからないんですか? そんなの決まってるじゃないですか!」

 言葉の途中で、僕を掴んでいた類さんが立ち上がった。
 そうして帝人さんに歩み寄って、

「っ……!」

 胸ぐらを掴んだかと思うと、容赦なく彼の横っ面を殴った。

「家族だからだろ」

 類さんの言葉に、帝人さんが大きく目を見開く。

「お前が俺の親父のことで罪悪感を覚えてるなら、これでチャラだ」

「……チャラ? 俺は君に酷いことをしただろう」

「俺の弱さは俺のもんだよ。俺が甘んじて受け入れてたんだ。それをお前のせいだとか、おこがましいにもほどがある」

 類さんは帝人さんを突き放すと、続けた。
 
「そもそも、お前が俺たちを繋ぎ止めてくれてたんだ。理由はどうあれ、俺はそのことに感謝してる。お前がいなかったら、俺たちはこんな風に一緒にはいられなかった」

「……」

「帝人」と、背後でソウさんがフラ付きながら、立ち上がった。
 僕は急いで彼に駆け寄り、手を取った。
 それから帝人さんの下に導いた。

 ソウさんは帝人さんの顔に手を伸ばした。
 それを帝人さんは咄嗟に振り払った。

 ソウさんはその手を掴むと、まだ付けたままだった片方の手袋を外して捨てた。
 次いで戸惑う彼に構わず、彼の顔に両手で触れた。

「ソウ……?」

「帝人。次、馬鹿な真似をしようとしたら俺がお前を殺す」

 真剣な表情で告げられた思わぬ言葉に、一同がギョッとする。

「ちょっ……ソウちゃん、殺すって……っ」

「殺して、その罪と一緒に生きる。それが嫌なら、2度とするな」

 慌てるニャン太さんを遮り、彼は続けた。

 帝人さんが息を飲む。
 ゆっくりと彼は項垂れた。その目元に光るものが滲む。

 静寂が深く落ちて、やがて彼は躊躇いがちにソウさんの手に手を重ねた。

「…………そんなこと、君にさせられるわけないだろう」

 掠れる声を絞り出し、くしゃりと顔をゆがめる。

「ごめん……ごめん、なさい……」

 大きな身体を丸めて、帝人さんは子供のように泣いた。
 そんな彼をソウさんは抱きしめて、ニャン太さんが彼の髪をそっと撫でる。

 その横で、類さんは嘆息して髪を掻き上げた。
 彼は僕の方を見て苦笑しようとして失敗し、唇を引き結び眉間を指先で揉んだ。
 僕はズレた眼鏡を直して微笑みを返した。



 罪の意識は、きっと彼らを強く結びつけていた。好きとは違う確かな絆もあるのだ。
 でも、それが彼らを苦しめるのなら、僕はそれを真っ向から否定したい。
 ――愛する人には、いつだって笑顔でいて欲しいから。

 この身勝手さを罪と呼ぶか、愛と呼ぶか。
 それは、これからの僕が決めればいいと思う。
 今はただ、新たな旅路に祝福を。
 歪で愛おしい僕の家族の物語は、ここから始まるのだ。
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