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chapter4

step.30-3 メイドとお邪魔者

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 ニャン太さんのお店はバイトのふたりが既に開けていて、さまざまな仮装をしたお客さんたちで賑わっていた。

 以前、壁際に並んでいた椅子のほとんどは、今日は撤去されていて、部屋は広々としている。
 中央には長いテーブルが置かれ、色とりどりの料理と夥しい数のアルコールが並んでいた。

「デンデン、好きなだけ飲み食いしていいからね。オススメはーー」

 お店に着くやいなや、ニャン太さんは話の途中で常連のお客さんたちに囲まれてしまう。

 ごめん、と身振りで謝る彼に大丈夫ですと頷いて、僕は帝人さんとソウさんと一緒に料理を取り皿によそった。
 お料理は風変わりなものばかりだった。
 トマトたっぷりのサラダに、ムール貝の中にお米が詰められたもの、それからナスの肉詰めなど。
 聞けば、隣のトルコ料理のお店から毎年提供して貰っているらしい。
 そこのお店の人たちも飲み食いしていたが、初め僕はコックのコスプレをしている人だと思っていた。

 料理を口に運びながら、僕は声をかけられる度にビクビクしてしまった。
というのも、誰が誰だかわからないのだ。元より人の顔を覚えるのが苦手なのに、仮装までされてはわかるはずがない。
 曖昧に「お久しぶりです」と返すしかない……
 
「久しぶりっすね、メガネくん」

 と、聞き覚えのある声に呼びかけられて、僕はハッと振り返った。それから一瞬身体を強張らせる。
 そこには、トゲトゲしたものがくっついた革ジャンを着込んだモヒカン男がいた。

「え、ええと……コータくんさん、ですよね」

「ええっ!? 誰だと思ったんすか!」

 以前、会った彼は長い前髪で顔を隠し、後ろ髪は肩口で切りそろえられていて、なんとなく陰鬱な雰囲気をかもしていたのだ。
 辛うじて耳と顔に噛みつくたくさんのピアスで彼をコータくんさんと認識できたが、一瞬、本当にわからなかった。

「随分と印象が違ったので、全然わかりませんでしたよ……」

「本気でやらないと根子さん怖いんすよ」

 そう言って、彼は近場にいた人に「汚物は消毒だ~~~」と言って、手に持っていたシャンパンを吹き掛けた。

 相変わらずだ。
 シャンパンで濡れるわけにはいかないと距離を取れば、腕に腕が絡められた。

 ふにゅん。と柔らかな感触が触れて飛び上がれば、

「カワイイメイドさんがいると思ったら、伝くんじゃない」

 カンナギさんだった。

「お久しぶりです、カンナギさ――」

 慌てて目線を逸らす。

 多分彼女はミイラコスプレをしている。しかし、包帯で豊満な身体を隠す気はないらしく、この寒空の下、あまりに露出が多すぎた。
 今にも豊かな胸元がこぼれ落ちそうだったし、腰回りも辛うじて隠れているだけだ。
 目のやり場に困る……というか、そのまま外に出たらお巡りさんがくるのではないだろうか。

「ウフッ、照れてるの? 伝くんってホント……カ・ワ・イ・イ♪」

「……っ!」

 ピタリとくっついてこようとするカンナギさんからを押しのけると、すかさずシャンパンが彼女を直撃した。コータくんさんだ。

「歩く猥褻物は消毒、消毒っと」

「誰が猥褻物だ、コラ」

 鈍い音と共にコータくんさんが床に崩れ落ちる。カンナギさんの容赦のない拳が彼を襲っていた。

「だ、大丈夫ですかっ!?」

「伝くん、踏んづけちゃっていいわよ」

「いえ、それはさすがに……」

「メガネくん、そのパンツはないっしょ」

 心配してかがみ込めば、コータくんさんは僕のスカートをめくっていた。

「まあ、白ブリーフじゃなかっただけマシだけど……その服にフツーのボクサーパンツて……」

「ちょっ、なに見てるんですか!?」

「細部の確認っすよ」

「そんなことしなくていいですよ!」

「カワイイ下着なら持ってるからはく?」と、キョトンとしてカンナギさん。

「はきません!」

「遠慮しなくていいわよ。今脱ぐわけじゃないから」

「そういう問題ではなく……あっ、ポケットに何入れてるんですか!?」

 無理やりナニカをスカートのポケットに突っ込まれ、僕はあたふたと取り出そうとする。そうしている間にコータくんさんはソウさんの方へと床を這って移動していた。

「ソウさんもボクサーかー……」

 遠慮なく下から覗き込んで、ため息をつく。

「ダメか?」と、ソウさん。

「ちょっと手抜きじゃないっすか。これ、オレがやってたら根子さんにボコボコにされま――ぐぇっ!」

 言葉の途中で低い呻き声が上がった。

「あ、ごめん。いたの気付かなくて……」

 コータくんさんを踏みつけた帝人さんが、慌てたように足を持ち上げる。

「今の絶対ワザとっすよね!?」

「そんな……人聞きの悪い……」

「――って言いながら、この人また踏んでるよ! あだだだだだっ!」

 帝人さんは毛虫を見るような目つきでコータくんさんを靴底でぐりぐり潰す。
 自業自得としか言いようがない。
 僕は見なかったことにした。

「それじゃ、ゆっくりしていってね」

 カンナギさんは悲鳴を上げるコータくんさんにお腹を抱えて笑うと、やがて彼を引きずってお客さんの対応に戻っていった。
 僕は呆気にとられながら、帝人さんたちと壁際に移動しカオスな店内を眺めつつ食事をした。

 時折、声をかけられ話してみるといろんな人がいることに気付いた。
 常連客だけではない。近隣のスナックのお姉さんや、コンビニで働く外国の人、あと、 全然関係のない舞台役者の人も混ざっていた。賑やかだったから寄ってみたらしい。

 酔って暴れる人は、ニャン太さんに問答無用で摘まみ出された。
 コータくんさんは、色んな人にウザイ絡み方をして、その度にカンナギさんに殴られていた。いずれはニャン太さんに放り出されるかもしれない。

 僕はただただ場に圧倒されて、帝人さんたちと一緒に、いつものような他愛もない話をしつつ漫然とご飯を食べてお酒を飲んだ。
 眺めている分には楽しいが、あの中に入っていく勇気はなかった。ふたりがいて本当に良かった。

「ごめーん、ちょっとボク外行ってくるから何かあったら携帯に連絡ちょーだい」

 ニャン太さんが、そんな風に言って声をかけてきたのは宴もたけなわな頃合いだった。

「えっ!? どうしてですか!?」

「お酒そろそろ切れちゃうし補充しようと思って」

「残ってるので十分なんじゃないの?」

 みんなヘロヘロだし、これ以上追加しても飲む人はいなさそうだが……

「片付け終わった後にボクが飲むの! 今のうちに買っておかないとお店しまっちゃうからさ」

 僕は帝人さんと顔を見合わせる。
 たぶん自分たちは同じことを考えている。

 まだ飲む気か? と言う気持ちと、彼がここからいなくなったら、何かあった時に僕らでは対処できないと言う気持ちと。……主に物理的な意味で。

「それなら俺が行くよ」

「僕も行きます」

「ええ? そんな、悪いよ。今日はみんなお客さんなんだから……」

「さすがにニャン太がここからいなくなったら身の危険を感じるよ」

「そんなことないと思うけど……」

 ニャン太さんは店内を見渡した。
 お料理はもうはけていて、中央のテーブルの一部はもう片付けられていた。
 代わりにいくつか椅子が戻っていて、酔い潰れた人が寝ている。その中にはソウさんの姿もあった。

「でも、まあ、確かに。責任者だしね。お言葉に甘えさせて貰います」

 ニャン太さんがペコリと頭を下げる。
 僕らは店を出た。

 静謐な風が、お酒で火照った頬を撫でる。
 心地よい冷気に目をすがめれば、帝人さんが口を開いた。

「ありがとね、伝くん」

「お気になさらず」

 答えると帝人さんが何か言いたそうな顔をしていることに気付く。

「あの、何か……?」

「ああ、ごめん。意外と伝くんって大胆だなと思って」

「え? どうしてですか?」

 言葉の意味がわからず目を瞬かせた僕は、はたとした。

「あ……!」

 仮装中だと忘れてうっかりそのまま外に出てきてしまった。

「あはは。もしかして、忘れてた?」

「はい……」

 目にする人たちがあまりに飛び抜けていたせいで、すっかり自分は普通だと思い込んでいたが、女装メイドは一般的ではないだろう。せめてもの救いは今が夜なことと、ここが飲み屋街なお陰でちらほらとメイドの格好をした客引きがいることだろうか。……まあ、全員女性だったけど。

「いいよ? 戻っても」と帝人さんが気遣ってくれる。

「……いえ、行きます」

 僕は首を振った。
 ……いや、この場合、帝人さんのために行かない方がいいのか?
 こんな格好の僕と一緒に歩くのはイヤに違いない。

「俺は気にしないけど。手伝って貰えるのは助かるしね」

 僕の心を読んだように、彼は穏やかに言った。

 結局、僕は戻らないことにして帝人さんと近くの酒屋に向かった。
 ギョッとする店員に身体を竦めつつ、僕らはニャン太さんの好きな甘いお酒を両手に買って帰路につく。

「類さんも来られたら良かったんですけどね」

 会話が途切れたタイミングで、僕は言った。
 たぶん類さんは悪ノリが好きだから、きっと今日来ていたらよくわからない仮装をして誰とも知れない人とゲラゲラ笑い合っていたような気がする。

「そうだね。でも、この時期は彼、結構ナーバスになってるから」

 帝人さんの言葉に、僕は「あっ」と息を飲んだ。
 そうだ、来月はクリスマス――類さんのお父さんの命日だ。

「また、ちょっと……大変になるかもしれない」

「はい……」

 僕は表情を引き締めると小さく頷いた。

 帝人さんはもう「距離を置いた方がいい」とは言わなかった。
 それがちょっと嬉しい。
 今度はもっと役に立とう、と心を決める。ソウさんばかりに頼らないように。

 そんなことを考えている時だった。
 前から来たサラリーマンにすれ違いざまに腕を掴まれた。
 驚いたのも束の間、僕はその腕を掴む人物を見て目を見開く。

「あの、何か?」

 帝人さんがかばうように僕を抱きよせる。
 それには構わず、サラリーマンは僕を無理やり引っ張るようにして、まじまじと顔を覗き込んできた。
 なんの奇跡か悪運か、そのサラリーマンは……将臣だった。

「お前、伝だよな?」

「ひ、人違いでは……」

 帝人さんの大きな背に隠れようとするも、彼に力強い手が許してはくれない。

「オレがお前を間違えるわけがないだろーが!」

「君……突然、人の連れに失礼じゃないか?」

「ツレだぁ!? 伝、お前、あの二股彼氏はどうしたんだよ!?」

 道の真ん中で、将臣に大きな声で問い詰められる。
 なんだなんだと視線が集まるのを感じて、頬が熱くなった。

「しかも女装なんてしやがって……それはコイツの趣味か?」

 僕はますます項垂れた。周囲から「あれ男?」なんて声が聞こえた気がする。
 こんな風に大きな声で指摘されるなんて想定していなかった。本当に僕は浅はかだ。

 帝人さんの大きな手が、僕の背を撫でた。

「……君にいろいろと質問があるのはわかったよ。ひとまず場所を移動しないか? 目立つのは君の本意ではないだろう?」

 将臣がはたとして僕を見た気配。
 僕は唇を引き結ぶ。

 唸るように頷いた将臣を連れて、僕と帝人さんは店に戻った。
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