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chapter3

step.21-2 理想と現実

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* * *

「ら、頼久類……」

 億劫そうに身体を起こした頼久類に、僕は思わず呟いた。

「ああ?」と、彼は形の良い眉を持ち上げる。

「フルネーム呼び捨てにされるほど、俺はお前のこと知らねぇんだけど」

 ズボンのポケットに手を入れて、肩を怒らせる。

 ――今にして思えば類ちゃんが言ったのは当たり前のことなんだけど、あの時のボクには彼の言いざまはかなり衝撃的だった。

「み……帝人! コイツ、猫被ってた!! 儚げな美少年じゃないじゃん! 柄悪いヤンキーじゃん!」

「ちょ、ニャン太っ……」

「信じられない! みんな騙されてたんだ!」

「うっっっっっっぜぇ」

 鼻に皺を寄せて、頼久類が吐き捨てる。
 彼は不機嫌そうに目を細めると蔑むようにボクを見下ろした。

「勝手なイメージ押し付けてキャンキャン喚いてんなよ、このチビ」

「チビ!?」

「ご愁傷さまだな。牛乳飲んでも背は伸びねぇぞ」

 手にしていた牛乳に目線を向けて、彼はニヤリと口の端を持ち上げる。
 ボクはパクパクと口を開閉させて整った顔を見上げた。

 ギャップとかそういうレベルの話じゃない。
 なんだコイツ。ぜんっぜん見た目と中身が違うじゃないか!

「落ち着いて、ね、ニャン太。彼もビックリしてるし」

 帝人がボクの腕を掴むと、地面に座っていたもうひとりの男子生徒を示す。
 彼はパンを口に咥えたまま、ものすごく険しい顔をして固まっていた。
 彼は、ええと、確か同じクラスの……

「君、汐崎くん……だよね? 同じクラスの」と、帝人。

 かなりの間の後、汐崎くんは頷いた。

「……そうだけど」

「一緒にご飯食べてもいいかな?」

「別に……」

 彼のすぐ隣に腰を下ろそうとした帝人にボクは仰天する。

「な、何言ってんの、帝人!?」

「え? でも、ここでお花見するって……」

「汐崎くんはいいとしても……ボクは頼久くんと一緒に食べるのなんてごめんだよ! ご飯がマズくなる!」

「俺もお断りだ。一緒にいてチビがうつったら困る」

 すかさず頼久くんが言う。ボクはお弁当を持つ手を振り上げた。

「チビチビチビチビうるさーーーい!」

「わぁあああっ! ニャン太、ニャン太、ストップ!」

 帝人に背中から羽交い締めにされる。
 頼久くんは、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべてフッと噴き出した。

「小型犬ほどよく吠える」

「きぃぃぃいいいい!」

「もう、頼久くんも煽るのやめてよ!」

「煽ってねぇよ。ホントのことじゃん」

 プチンと来た。
 ああもう、小型犬らしく噛みついてやろうか……!

 ボクは帝人を振り払うと、頼久くんに掴みかかろうとする。

「うわっ……」

「あ――」

 と、帝人の大きな身体が傾いで、支える間もなく彼は汐崎くんの上に倒れ込んだ。

「帝人、ごめ――っ」

「ごめん、汐崎くん! 大丈夫!?」

「……大丈夫じゃない」

 急いで身体を起こした帝人に、フリーズしていた汐崎くんは静かに言った。
 食べかけのパンが地面に転がっている。
 彼は制服をはたきながら短く吐息をこぼすと、落ちたパンを拾った。

「ほ、本当にごめん。代わりのパン買ってくるよ」

「いや……」

「あの……ヤキソバパン好き? これ、まだ口付けてないから……」

「悪い。はしゃぎすぎた」

 購買で買ったパンを差し出せば、頼久くんも同じようにしてカツサンドを差し出した。
 ボクらは顔を見合わせて、同時に苛立たしげに顔を背ける。

 汐崎くんはじっとヤキソバパンとカツサンドを見比べていた。それから、小さく首を振った。

「そんなに食べられない」

 そう言いながらも、彼はボクらの差し出したパンを手に取った。

「から、半分ずつ貰う」

「え、あ、うん……」

 半分ずつとは思っていなかった。
 彼はヤキソバパンの袋を開けると半分ちぎり取った。それからゆっくりと食べ始める。

 所在なく立っていると、彼は不思議そうにした。

「……座れば?」

 頼久くんが彼の隣に腰を下ろす。帝人も同じようにしてから、お弁当を広げた。
 ボクも渋々座った。

「桜、キレイだね」

 帝人が桜を見上げて、のほほんと言う。

 ボクは複雑な気持ちでお弁当の包みの結び目を見下ろした。
 お昼休みは限られているし、帝人もご飯食べ始めちゃったし、ボクだけ移動する気にはなれない。だからってお弁当を開ける気にもなれない。

「あ。汐崎くん、春巻き好き?」

 帝人は気にせず、汐崎くんに声をかけた。

「嫌いじゃない」

「じゃあ、これ。お詫びにどうぞ」

「お前が詫びる必要はないと思うが。……貰う」

 お弁当の蓋に乗せた春巻きを、汐崎くんが指で摘まむ。
 頼久くんもカツサンドの半分を春巻きの横に置いてから、食事を始めた。

 ボクは大きな溜息をついて。お弁当の包みを広げた。意地を張って午後お腹が空く方が馬鹿らしいと思った。

「飯マズくなるから俺と一緒に食うのはイヤだったんじゃねーの?」

 頼久くんがカツサンドを頬張りながら言う。ボクはじと、と彼を睨んだ。

「そっちこそチビが移ってもいいわけ?」

「少しくらい縮んでも問題なかったわ。お前と違って俺タッパあるし」

 こめかみがヒクつく。
 ボクは何も聞かなかったことにして、お弁当を掻き込んだ。

「そ、そういえば、汐崎くんと頼久くんって同じ中学なの?」

 気まずい空気に耐えかねたのか、帝人が問う。すると汐崎くんは首を左右に振った。

「違う」

「じゃあ、どうして……」

「俺がナンパした」と頼久くん。

「ナンパされた」

 汐崎くんが淡泊に同意する。

「そ、そうなんだ……」

 ボクは飲み込むようにお弁当を平らげた。
 それから努めて頼久くんの声を頭の外に追い出しつつ、帝人がご飯を食べ終わるのを待った。
 彼は急ぐ様子もなく、マイペースにお弁当を食べていた。

* * *

 その日の帰り。
 家の最寄り駅を帝人と一緒に出たボクは、足を踏みならしながら改札を出た。

 強い風が吹いて、はたはたと髪を揺らす。
 ボクは風に負けじと夕日に吠えた。

「ムカつくムカつくムカつく!」

 午後の授業が終わっても、頼久くんのニヤついた顔が離れなかった。

「まだイラついてるの? ニャン太、これから背伸びると思うし気にしなくていいと思うけど……」

 帝人が困ったように言う。
 ボクは鼻息荒く彼を振り返った。

「怒ってるのはそっちじゃないよ。すっごい裏切られた気分なの! アイツ、めっちゃ猫被ってたんだよ? 皆騙されてるんだよ!?」

「ええ? 猫被ってないよ。彼、初めからあんな感じだったよ」

 帝人が驚いたように言う。

「……えっ?」

 ボクはキョトンとした。

「ニャン太、席近いのに聞いてなかったの? 女子にも男子にも口悪いねって言われてたじゃないか」

「……そうだっけ?」

「そうだよ」

 ボクは入学式の日と、今日一日の記憶を追いかける。
 窓の外をぼんやり見つめていた横顔と、くったくなく笑う表情しか思い出せない。

「……よっぽどニャン太の好きな顔なんだね」

 帝人が苦笑する。ボクは全力でそれを否定した。

「ボクの好みとかじゃなくて! 無駄に顔、良すぎでしょ。アイツ、なんか人形みたいじゃん!」

「そうだね、キレイだよね。ちょっとゾクッてするくらい。でも……それで彼のことこうって決めつけちゃ可哀想なんじゃないかな」

「決めつける……?」

「だって、ニャン太は予想してた性格じゃないからショック受けちゃったんでしょ?」

「う……それは……」

「でも、そんなの頼久くんのまかり知らぬことだよ」

 ボクは腕を組んで、うーんと唸った。
 帝人のいうことは最もだと思った。
 チビチビ言われてカチンとしたけど、ボクも彼に同じようなことをしていた……のかも。
 いや、たぶん、していた。

「……ニャン太?」

「待って。……今、自己嫌悪中」

 帝人が眉をハの字にして笑う。
 窓際を見つめる横顔が、ニヤニヤ笑う表情に塗り替えられていく。
 あれが彼なのだ。儚げな美少年なんかじゃなくて。
 ボクは申し訳ないと思う一方で、なんだか凄くすごーーく損した気持ちになった。

 そんなボクの気持ちを嘲笑うように、一陣の風が砂埃を舞い上げて、空に吸い込まれていった。

* * *

 翌日の昼休み。
 同じ場所に行くと、昨日の風のせいか桜はすっかり散ってしまっていた。

「またうるせぇのが来た」

 頼久くんは、ボクを見やると鼻を鳴らした。
 草の上にあぐらをかいて、昨日と同じくカツサンドを頬張っている。
 その隣では、相変わらず汐崎くんが黙々とあんパンにパクついていた。

「こんにちは。今日も一緒にいいかな?」

 汐崎くんが頷く。帝人がニコニコ笑って、彼の隣に座る。
 ボクは口の中の唾液を飲み込むと、思い切って頼久くんの前に座った。昨日のことを謝ろうと思ったのだ。

 タイミングを探しつつお弁当を広げる。
 と、彼はあの性格の悪そうな、ニヤリとした笑みを浮かべた。

「俺と一緒に飯食いたくなった?」

 せっかく謝ろうと思っていたのに、出鼻を挫かれる。ボクはお弁当のブロッコリーに箸を突き刺すと、唇を尖らせた。

「それ以上にお花見したかったの。昨日は全然見れなかったし」

「もう葉桜だけどな」

 ぐ……いちいち嫌な言い方を……

「……そっちこそ退散しなくていいの? チビがうつるけど」

 負けじと言い返せば、彼はストローの刺さった小さい牛乳パックを持ち上げた。

「平気。今日はお守り飲んでるから」

「牛乳飲んでも背は伸びないんじゃないの」

「そんな話聞いたことねーなー」

 すっとぼけたように言う。
 ボクは心の中で「自分が言ったくせに」と毒突いた。

 そんなボクらを見て、帝人が苦笑をこぼす。
 それからゆっくりと桜の木を見上げた。

「本当、すっかり散っちゃったね」

 ボクもつられて目線を持ち上げる。

 もうお花見はできないのに、ボクと帝人は翌日も同じ場所でお昼ご飯を食べた。
 頼久くんは、うるせぇと文句を言いながらも、汐崎くんとそこにいた。

 そんな日が続き……気が付けば、ボクらはなんとなく4人で連むようになっていた。
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