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chapter2

step.20 火事と背中

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 冷たい雨が降っている。
 外はもうすっかり秋だ。


 そろそろ寝るべくベッドに潜り込んだ頃、類さんが部屋を訪れた。

「伝……仕事終わった。ぎゅうしよう、ぎゅう」

「お疲れさまです。でも、今夜はーーちょ、類さっ……」

 彼はご機嫌な様子で僕をベッドに押し倒してきた。
 仕事明けの彼はとてもテンションが高い。
 なんだかこちらも嬉しくなってしまうくらい朗らかだから、ついつい受け入れてしまいそうになる。
 が、今夜は心を鬼にして我慢。
 僕は類さんの腕から逃れるべく身体を捩る。

 ハイテンションとは裏腹に疲れている様子だからだ。
 それもそのはずで、類さんはまたここ数日、朝まで仕事をしていた。

「今日はもう寝てください……!」

「イヤだ。なんのために頑張ったと思ってんだよ。あんたとイチャつくためだぞ」

「それは、わかってますよ。でも、仲良くするのは明日だってできるでしょう?」

「あんたのこと抱いたら寝るよ。それはもう死んだように」

「いやいや、今すぐ寝てくださいってば!」

 キスを避ければ、首筋に噛みつかれる。
 せめて、自分の「その気」だけは追い払おうと必死になる。

「類さん、本当にダメです……っ」

「断る」

 押しのけようとするが、類さんの整った顔が近づくと思わず抵抗する力が緩んだ。
 もちろん彼がそんな隙を逃すわけもなく、僕の唇は奪われてしまう。

「んー! んっ、んんっ……」

「イヤなら全力で拒否しろよ、伝……」

 イヤだなんて思うわけがないとわかっているくせに、そんなことを言う。

 う、うう……ズルい。
 類さんは本当にズルい。

「心配なんですよ……ちゃんと休まないと身体壊しちゃいます……」

 僕は呟いた。……パジャマのボタンを外されながらじゃ、なんの説得もないけど。

 休んで欲しい気持ちと、しばらく触れ合えなかった寂しさとの間で、未だ揺れ動いてはいるものの、彼が甘えてきた時点で勝敗は既に決していた。

 トドメとばかりに、吐息を奪うような口付けをされ、僕の欲情は限界までエレクトする。

「好きだよ、伝」

「んぁ……ダメ、って……言ってるのに……」

 うつ伏せになると、類さんが背中に覆い被さってきて、背後から抱きしめられた。
 たくさんのキスの後、シャツの袖を腕から抜かれた。

「もう……したら、すぐに寝てくださいよ……? 約束ですからね……?」

「ん、約束する……」

 素肌を熱い手が散歩する。

 が、その指先は何度か止まった。
 やがて完全に静止したかと思うと、彼は全体重を乗せてくる。

「……類さん?」

「…………え?なに?」

 ハッと身体を起こした彼に、僕は続けた。

「今、意識飛んでませんでした?」

「……飛んでねぇよ?ほ、ほら、さっさと下も脱げって」

 絶対、寝てたよなぁと思いつつ、僕はいそいそと彼に背中を向けてズボンを引き下ろす。

 その時、ふと、触れ合いたいなら別にセックスじゃなくてもいいのでは?なんて考えが降ってきた。

 疲れてる類さんを更に動かせるのはやっぱり申し訳ないし。例えば僕から口でするとか……

「……あの、類さん。類さんも服脱いでくれませんか?今日は、その、僕がしますから」

「……」

 応答なし。

 下着も脱ごうと手を掛けていた僕は、類さんを振り返った。

「ね……寝てる……」

 彼は気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 やっぱり限界だったんじゃないか。

 呆れるやら、残念に思うやら、僕は複雑な思いで脱いだばかりのズボンをはき直す。
 それからぐしゃっと丸まっていたパジャマのシャツに腕を通すと、唇を半開きにして深く 寝入る類さんを改めて見下ろした。
 可哀想に、目の下にうっすらとクマができている。

 彼の肩口まで上掛けを持ち上げ、僕はその隣に寝転がった。

「類さん。お疲れ様です」

 起こさないように気を付けながら、そっと彼の髪に口付ける。

 ぬくもりが愛おしい。
 僕は類さんに身体を寄せると瞼を閉じた。

* * *

 翌日、類さんが起きたのは正午を大きく回る頃。
 みんなで昼食を食べ終わり、リビングでくつろいでいると、彼は慌ただしく僕の部屋から出てきた。

「おはよう、類」「おはようございます」

 帝人さんと挨拶が重なる。

「ああ、おはよ……」

「おはよーっていうか、おそよー?」

「ご飯、温めるぞ」

「ありがと、頼むわ……」

 ソウさんがソファを立ち、僕の隣に座っていたニャン太さんが右に退ける。
 その空いたスペースに類さんは腰を下ろすと、こそりと僕に耳打ちした。

「なんで起こしてくれなかったんだよ」

「よく眠っていたので。ダメでしたか?」

「いや、まあ、おもっくそ寝たけどさ」

 良かった、彼の顔色はとてもいい。ちゃんと休めたみたいだ。
 彼は肩を竦めて嘆息した。

「……昨日は悪かった」

「なんで謝るんですか。寝ろって言ったのは、僕ですよ」

 申し訳なさそうにする類さんに、僕はブンブンと頭を振る。
 と、ニャン太さんが目を瞬いた。

「なになに? チュッチュしてる途中で寝落ち?」

「そんなギリギリの状態で、伝くんの寝室行ったらダメでしょ……」

 ブラックコーヒーを飲みながら帝人さんが溜息をつく。
 それに類さんは気まずそうに髪を掻き上げた。

「いや、部屋に行った時点では眠くなかったんだよ」

「でも、くっついてるうちに寝ちゃったんでしょ?」

「……そう」

「デンデンはアルファ波出てるからねぇ~」と、ニャン太さん。

「良かったじゃない」

 帝人さんが微笑んで相槌を打つ。

「まぁ、うん、最高の寝心地だったんだけどさ……」

 類さんは僕をチラリと見てから、肩を落とした。

「イチャイチャもしたかったっつーか」

「そんなの、今からすればいいじゃん」

 ニャン太さんが不思議そうに言う。

「えっ!? さ、さすがにそれはっ……」

「伝くん、たぶん誤解してる」

 帝人さんがゆるりと首を振るのに、僕は目を瞬いた。

「誤解?」

「……ボク、今のデンデンの反応でめちゃくちゃ不安になっちゃったんだけど……もしかして、ふたりともデートしてない?」

「デート、ですか……?」

 そういえば、デートらしい時間は過ごしていない気がする。基本的にみんなとワイワイしているし、ふたりの時はベッドの上だ。

「ちょっと類ちゃん!?」

 ニャン太さんが類さんの肩を揺すった。

「お買い物行ったり、映画観たり、遊園地行ったり……そゆことしてないの!?」

「そういえば、してねぇな。付き合う前にカレー食ったくらい?」

「そうですね」

「類ちゃん……デンデンだから許されてるんだからね?フツーなら『私の身体だけが目的なの!?』って問い詰められる案件だよ!?」

「大丈夫ですよ。僕、外に行かなくても全然平気なので」

 むしろ家にいる方がリラックス出来るし、周囲を気にしなくて済むから楽だ。

「そんな、デンデン……不健全な……」

 ニャン太さんが唖然とする。
 次いで、何故か僕と類さんを引き剥がすようにした。

「ふたりとも今日、家ではイチャイチャ禁止ね」

「えっ!?」

「つまり、デートに行けと?」

「ニャン太。今日、雨だよ。またにしたら?」

 帝人さんが窓の外へ目を向けて言う。
 ニャン太さんは唇を尖らせた。

「雨って言っても、そんなに強くないし。今行かないと一生行かないよ、このふたりは」

「そうかもしれないけど……」

「わかったよ。デートしてくるよ」

 観念したように口を開く類さんに、ニャン太さんがすかさず念を押す。

「すぐラブホ連れ込むとかナシだからね?」

「お前は俺のことなんだと思ってんの?」

 その時、ソウさんが温めた親子丼を持ってきた。
 類さんは礼を言うと、遅い朝ご飯を食べ始める。

「どこか出掛けるのか?」

「うん。飯食ったら伝と出掛けてくる」

「ソウちゃん聞いてよ。類ちゃん、デンデンとデートしたことないんだって!」

 ニャン太さんの訴えに、ソウさんはゆっくり瞬きをした。
 それから僕を見たかと思えば、眉根を下げた。

「それは……可哀想に」

 え? あれっ? 同情されてる!?

「ソウさんは類さんとデートを……?」

「するが」

 意外だ。

「よくふたりで映画観に行ったりしてるよね」と、帝人さん。

「伝も行けばいい」

「映画ですか……」

 僕はあいまいに笑った。
 最近、論文の準備ばかりでテレビすらまともに見ていない。正直、エンタメをどう楽しんだらいいのか忘れかけている。

 デート、デートと考えていた僕は、あることに気付いて、つ、と背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
 デートするとしたら、今日が初デートだ。
 失敗したくない。それなのにーー

 そもそも、出かける服がない。

「あ、あの、やっぱりデートは後日にしませんか……」

「なんで?」

 類さんが掻き込んだ食事を咀嚼しながら首を傾げる。
 僕は顔を両手で覆うと、ボソリと言った。

「…………そ、外に出かける服がないんです。来週なら準備できると思うので」

「なんだ、ちょうどいいじゃん」

 ニャン太さんの言葉に、類さんが「おう」と頷く。

「ちょうどいいとは?」

 類さんは食事を終えると、手を合わせてごちそうさまと言った。
 それから僕を見て、口の端を持ち上げた。

「今日は買い物デートで決まりだな」
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